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椿まつり

2021.01.02 12:53

https://yurapuka.net/goto/2011/12/29/%E6%A4%BF%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A/ 【椿まつり】 より

五島は日本有数の椿の産地です。

その椿づくしのお祭りが毎年2月に行われます。来年は、平成24年2月18日(土)~3月4日(日)の16日間。

この期間、椿に関する展示、イベント、ツアーなど盛りだくさんで、楽しませてくれます。

今回は、去年の椿まつりで披露された「伝統芸能上演」についてご紹介していきます。

この時、披露されたのは、五島市三井楽町に古くから伝わる正月行事「獅子舞」です。

昭和47年、県指定無形文化財に認定されました。天狗の面を付けた猿田彦が太鼓と笛の音に合わせて舞います。

そもそも、獅子と天狗の舞にはどういう物語があるのでしょうか・・・

百獣の王である獅子を神の前に連れ出そうとする天狗と、それに抵抗する獅子のしぐさを表現した道中舞。

天狗に操られた獅子は寝ようとしますが、天狗が突き起こします。それに怒った獅子は天狗に襲いかかります。

ここから獅子と天狗の大合戦のはじまりです。獅子は、天狗の神業になす術もなく、天狗に従い神前で奉納舞を表現する宮巡り舞の形になっています。五島全域に伝わっている獅子と天狗の舞。

私が小さい頃は、獅子舞・天狗を見た瞬間、怖くて逃げていましたが、昔から今へと繋がれている伝統芸能だったのですね。

今度のお正月は、物語を思い浮かべながらじっくりと舞を見物しようと思いました。


https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/465 【 貝津の獅子こま舞】より

三井楽町貝津に古くから伝えられている獅子舞で、正月の行事の一つでもある。正月二日、貝津神社において「獅子起こしの儀」があり、翌三日、同神社氏子の各家を訪ねて悪魔払いをする。役割は、男獅子、女獅子、それに天狗の面をつけた猿田彦で太鼓と笛の音に合わせて舞う。舞は「道中」「狂舞」「宮巡り舞」の3つからなっているが、特別なものとして「神楽舞」がある。二人立ちの獅子舞は各地にあるが、頭を持つ獅子方のみが舞をして、後の獅子方はホロのすそを持つだけの古式の獅子である。

 なお、この文化財は、昭和47(1972)年8月15日に県指定無形文化財に指定されていたが、昭和52(1977)年1月11日に指定解除、同日、県指定無形民俗文化財に指定されている。


http://fushigi-chikara.jp/sonota/6332/ 【天狗のルーツ?猿田彦を祀る「猿田彦神社」と「椿大神社」(三重)】 より

日本の天狗の元祖かも知れない猿田彦(さるたひこ)という神様。身長が2m以上で、1m以上という長大な鼻を持っていたという伝説もあり、いわゆる鼻高天狗にそっくりな姿かたちであると言われます。その猿田彦を祭神とする神社の本拠地(総本社)が、近江国(滋賀県)と伊勢そして鈴鹿(三重県)にあります。

そのひとつは滋賀県の比良山を望む琵琶湖の湖畔にある「白鬚神社」で、全国の白鬚神社の総本社。そして三重県にはその名のとおりの「猿田彦神社」と「椿大神社」という2つの総本社が存在しています。

今回は、三重県の2つの猿田彦の神社を訪ねてみることにしましょう。

「天狗の遊び場」がある椿大神社

全国にはおよそ2千社の猿田彦を祀る神社があるそうですが、その総本社とされているのが鈴鹿市の椿大神社ということになっています。社伝では椿大神社の創建は第11代垂仁天皇27年(紀元前3年頃か)で、滋賀県の白鬚神社が垂仁天皇25年とされていますから、ほぼ同じ頃にできたとても古い神社ということになります。

また、猿田彦の後裔とする「行満大明神」は、日本の修験道の祖とされる役小角(役行者)を修験道に導いた元祖としていて、この行満大明神の子孫が現在に至るまで椿大神社の宮司をされているということです。

このことから、天狗の原点かも知れない猿田彦→後裔の行満→修験道の祖とされる役小角→修験道と関係の深い天狗信仰、とつながっていくことも考えられます。

この椿大神社は標高905mの入道ヶ獄という山を背景としていて、その山の山頂には奥の宮があります。山頂一帯には太古の磐座(いわくら:古い神道における神が宿る岩)が点在しているそうですが、頂上より約200mのところには「天狗の遊び場」という磐座があり、ここは昔、猿田彦の一族が集まって話し合いを行った場所なのだそうです。「遊び」とは古代の「政治」の意味ということで、猿田彦一族=天狗が政治を行う場所だったのでしょうか。

新しい道をひらくパワースポット・猿田彦神社

伊勢神宮・内宮の北の方向に猿田彦神社があります。この神社も全国の猿田彦を祀る神社の総本社とされていて、椿大神社と同じく猿田彦神社の宮司は猿田彦の末裔なのだそうです。

というのも、猿田彦の故郷は伊勢の五十鈴川の上流の地で、天孫降臨神話で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を迎えたときに最初に出会った女性の神、天宇受売命(あめのうずめ)を伴ってこの伊勢の地に帰ったことから、この猿田彦神社のある場所が猿田彦の本拠地であると言われています。伝承では猿田彦の後裔である大田命が、やはり第11代垂仁天皇の時代に天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)にこの伊勢の五十鈴川上流の地を献上し、倭姫命は垂仁天皇25年に天照大神(あまてらすおおみかみ)の祭祀を託され、現在の伊勢神宮内宮ができたということです。

ちなみに琵琶湖の白鬚神社は倭姫命によって社殿が建てられたという伝承があり、鈴鹿の椿大神社は倭姫命に下った神託によって社殿が造営されたという伝承がありますから、猿田彦を祀る3つ神社はすべてほぼ同じ頃に、同じ倭姫命との強い関係があったということになります。

天孫降臨神話で猿田彦は瓊瓊杵尊の案内役(道しるべ)となったことから、猿田彦神社では「啓行(みちひらき)の神」とされています。そこから、何か新しいことを始めるときに良い方向に導いてくれるパワースポットとして多くの参拝者が訪れています。