天秤座の下弦の月
1月6日18:39、天秤座で下弦の月となります。
下弦の月は、満月で気づいた不要なものを手放せているかどうかチェックするタイミング。
それと「太陽と月のバランスが取れた状態。自己の立ち位置や心の状態を客観化し、次のサイクルを意識してみましょう。」(『火星サイクル手帳2020-2021』より)12サインのうち、「客観」の視点に立っているのは獅子座から蠍座の4サインと言われます。
その前の、牡羊座から蟹座が主観、後ろの射手座から魚座は俯瞰で物事を捉える傾向があります。
チャートは獅子座から始まっています。
「自己の立ち位置」とは太陽のことでしょうか、俯瞰の山羊座にあります。
「心の状態」を表すのは月、天秤座は客観のサインで、向かい合った時に自己と反発したり抑えてしまうこともあります。
そこに留まらず、俯瞰の視点である山羊座の太陽を意識することが大切です。
そしてMC=目指す地点は牡羊座と牡牛座、12星座の終わりの魚座から「次のサイクル」へ入ったところにあります。
客観と俯瞰を通して最後に身につけるのは主観なのかもしれません。
これを書いているのは1月2日。
セッションを受けたり星読み教室に参加してくれた友人と、
友人のお友達で興味を持ってくれた心理カウンセラーの方と、
先日の星読み教室の補講、のつもりがまた脱線しまくったあと。
友人たちのやりとりを見ていて、まるで公開カウンセリング(公開処刑?)だわ、
と私のほうが勉強になったなぁと思いながらも、
やるべきことはちゃんとやらねばと少し反省もしつつ、書いています。
「べき」「ねば」も幻想なのかもしれないんですけどね。
目の前の他者は鏡。客観的に見て気づくことやあぁだこうだ言いたくなることって、実は自分で認めなきゃいけない自分の一部であり、自分で自分に言ってやりたいことなのかもしれない。
って、読んでくれているかもしれないと思いつつ書いていますからね、Rさん。
めっちゃ、あるんですよ、見てて。素直じゃないなぁ何か守ろうとしてるなブロックしてるな、って思い当たるフシが。
ぜーんぶ、私がやってきたことじゃないか?自分の中にないものはわからないし見えない。
それはいろんなところで学んできたことだけど、実際に人を目の前にすると、抑えてしまっていたのも自分。
客観的に見させてもらうことで学んでいたんだけど「で結局、自分はどうしたいの?」。
それについて分析したところで私はその人じゃないし、同じ状況に自分が置かれたとしたら客観的でなんていられなくなる。
なんだけども私のアセンダント天秤座「すべての知識に橋をかけようとする人類」と乙女座金星が発動すると、分析思考が止まらなくなりがちです。
ちょっとその思考にストップをかけるべく、ブログを書くことにしたのですが、私ってやっぱり、主観的でも自分発信でもなく、客観的で何かに影響を受けて物事を始めるタイプなのかもしれないと気づきました。
良いも悪いもないけれど、今現在「火星期」で、火星は蟹座=活動宮で主観のサインにあるので、自分から何かを始めたい、という気持ちが強いのかもしれません。
ちなみに「魂の一段深いところの願い」を表すとされる「龍頭図」では、パイオニア的な牡羊座に太陽が来るので、新しい何かを自分から始める、ということに欲求もあるのでしょう。ネイタルホロスコープの太陽は獅子座なので、これもオリジナルやクリエイティブを求めるサイン。
だけど、私が作り出さなきゃっていう考えも幻想。
ゼロから何かを生み出すなんて、ないものねだりだったってことを認めよう。
私が本当にワクワクすることは、いろんな人がいて、いろんな人たちの個性を見て、世界って豊かだなぁと思うことなのかもしれません。
そんないろんな個性の一人に自分がなればいいということなのかもしれません。