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撃墜王 アフリカの星(1957)Der Stern von Afrika

2019.12.04 16:00

〈プレスより〉


解説

 第二次大戦下の北アリカ戦線を舞台にした映画は"砂漠の鬼将軍"など数多いが、これはメッサーシュミットで世界に名高いドイツ空軍の若き英雄ハンス・ヨアヒム・マルセイユの生涯を描くドイツ映画の傑作である。彼はかってのドイツ空軍中最年少の大尉として北阿戦線に活躍、イギリス空軍の誇るスピットファイアー機と交戦、一五八機撃墜という輝かしい戦果を挙げ、敵味方から"アフリカの星"というアダ名で尊敬され、恐れられていたが、一九四二年炎上する愛機から脱出する際落傘が開かないまゝに、不運にも二十二才の若さでその生涯を閉じた。

 この勇猛果敢だった軍人の心にも青年らしいみずみずしい願いと悩み、そして戦争えの疑いが渦巻いていたことをこの映画は鮮やかに描き出してあの激しい日々に生きた若い世代のすべての像をシンボライズして限りない感動を呼ぶ。

○ 主演の若きヒーロー、マルセイユにはドイツ映画の新人王として人気高い「最后の戦線」のヨアヒム・ハンセン、その恋人プリギッテには「パリの狐」「間奏曲」の知性派女優マリアンネ・コッホ。マルセイユの戦友たちに、この映画でワイアンマン監督に見出されたことから一躍スターの座につき、次々と主演作を送り出している「鮫と小魚」のハンスイエルク・フェルミ、ホルスト・フランク、それにフルミの若妻役に「大人になりたい」のローレ・ハルトリンクなど、ドイツ映画界の若手スターがずらりと顔を揃えて活気あるチームをつくっている。他に「恋ひとすじに」のカール・ランゲやアレクサンダー・ケルスト、ベーアシュミットなどのベテランが配役に重厚さを加え、この新鋭ベテランの組み合せは見事なアンサンブルをかもし出して作品を成功させる大きな原因となっている。

○ 監督は一九五五年「誰が祖国を売ったか」でドイツ映画賞最優秀監督賞を受けた巨匠アルフレート・ワイアンマン。脚本は同じ「誰が祖国を売ったか」の名コンビで「パリの狐」「鉄条網」などのすぐれオリジナルをものしたドイツ映画界随一のシナリオライター、ヘルベルト・ライネカー。撮影は「最后の戦線」でドキメンタリー・タッチの冴えをみ

せた名手ヘルムート・アシュレイとい最高のトリオがスタッフを組み、この映画を単なる戦争物に終らせない格調高い傑作に仕上げている。

○ なお特筆に価するのは、テーマ音楽のすばらしさで「橋」で電子音楽や現実音を使って野心的な試みに成功したハンスマルチン・マイエフスキが、ここでも戦争物にありがちな勇敢なマーチやいわゆる伴奏音楽を一切さけ、ボレロ風のテーマで全篇を統一するという冒険をやって、青春の憧れや悩みを象徴、すぐれた効果を上げている。

○ 撮影はドイツ国内はもとより、ローマ・スペインの各地から遠くカナリヤ群島の砂漠地帯にまで足をのばす大ロケーションが行われ、特に当時のドイツ戦斗機メッサーシュミットを持つ唯一つの国スペイン空軍の協力を得たセビリヤロケでは凄絶な空中戦を再現、砂漠にはドイツ飛行場を実物そのまの大セットを作るなど、迫力ある戦争映画になっている。


ストーリー

 一九三九年夏のベルリン─。すでに中部ヨーロッパには戦火のきざしがみえ始めていたが、ここドイツ空軍士官学校の生徒たちは青空を飛び廻ったり週末の休暇を恋人と過ごしたり、青春の日々をエンジョイするのに忙しかった。学校のもてあましもの、あらゆる規律無視の常習犯とみなされるハンス・ヨアヒム・マルセイユもその中の一人だった。彼は正規の飛行を守らず、あげくの果ては練習飛行中に道を尋ねようと自動車道路に着陸するという無暴をしでかすに及んで親友フランケ少尉のとりなしもかいなくとうとう飛行禁止の罰をくってしまった。

 だがまもなくこの呑気な時期とスポーツ気分の飛行の時代は終りをつげられなければならなかった。

 宣戦が布告され、全ヨーロッパに戦争の暗雲が拡大した。マルセイユたちは戦斗機中隊に配属され、アフリカ基地えの出動命令が下った。パリを通った時、彼らはもう一度青春と快楽に酔った。

 そして遙かなる地アフリカえきた。限りなく続く白い砂と真青な空、息ぐるしいまでに照りつける太陽、星の降るような夜、─オアシスのほとりのテント暮しが始まった。

 明けても暮れても敵のスピットファイアー機との激しい空中戦が続いた。神秘と魅力の砂漠に、情容赦ない戦争だけがあった。

 だが空を飛ぶことを楽しんでいるようなマルセイユは、散歩にでも行くようにメッサーシュミットの座席に乗り込み、勇敢に敵機と斗った。彼の撃墜機数はふえ、彼の名前は敵味方から恐れられ、尊敬されるようになった。

 そんな頃、ドイツ本国から新しい飛行士がマルセイユの隊にきた。マルセイユと若い飛行士は友情の絆で結ばれた。

 だが、彼の最初の出撃はまた彼の最後の飛行でもあった。飛行機は撃墜され、二人の操縦士は砂漠を捜索したクルゼンベルク大尉によって発見されたが、新来の飛行士は同じ撃ち落されて砂漠に不時着したマルイユの腕の中で息ををひきとった。この時彼は初めて眼の前に死をみたのだった。彼が撃墜した機数は又、彼が殺した人々の数でもあったのだ。

 彼の心に初めて戦争が影を落した。だが戦いは彼の迷いをよそに激しさを加えた。

 戦友の幾人かが次々と死に、新しい飛行士たちがそれをうめて行った。戦い、眠り、又空を飛ぶ生活の単調さを人々は酒場で忘れようとした。

 敗れることを知らないようにマルセイユは空を飛び続けた。

 そして少尉に任じられ、数多くの勲章を贈られた彼は、ドイツ軍人、として最高の名誉である騎士十字章を受けるためベルリンに帰った。

 この空の英雄”を全ドイツが歓呼して迎えた。彼の写真は新聞の第一面を飾り、ラジオは彼の声を放送し、彼の自伝の出版さえ計画された。今や彼は戦争遂行のための宣伝の英雄に祭り上げられていたのだ。

 そんな熱狂の渦の中で、母校の小学校に講演に招かれた彼は、一人の若い女教師と知り合った。ブリギッテというその美しい娘の中に、彼は今まで彼が全く知らなかった何かを見出した。斗うことしか知らなかったマルセイユの心の中に新しい感情が芽生えたのだ。戦争という異常な状況の中で二人の心は急速に結びつけられて行った。彼は初めて愛することの喜びを知った。

 だがムッソリーニに招かれているマルセイユはすぐローマえ立たなければならなかった。しかし駅に別れを告げにきたブリギッテをみたマルセイユは、衝動的に彼女を車中にひき入れてしまった。彼にはせっかく掴んだ幸福にサヨナラを言う決心がどうしてもつかなかったのだ。旅券も荷物もない彼女をローマまで連れて行くのにマルセイユの有名さが役立った。

 ローマでもドイツ空軍のエースのまわりでは同じような騒ぎがくり返された。歓迎会、祝賀会、叙勲にと公衆の前をひきまわされることに疲れ果てたマルセイユは、ブリギッテと二人だけの時を求めて、遂に身を隠すことを決心した。ローマ郊外の静かで小さな宿屋と美しい自然の中で、軍服を脱いだマルセイユとブリギッテは短いが幸せに満ちた日々を送った。

 だが幸せは余りに短くはかなかった。恐ろしい戦争の手から逃れることはできないのだ。行方不明になったマルセイユを親友のフランケが探しにきた。二人は戦争について人生について語り合ったが、それは無益だった。ブリギッテも恋人を放すまいと斗ったがそれも無駄だった。運命はより強く戦争はあらゆる所にあった。

 アフリカでは絶望的な戦いが続いていた。戦線にもどったマルセイユは、戦いえの疑いと新しい幸せえの願い秘めて黙々と空を飛んだ。彼の戦果は前人未踏のものになり、撃墜機数一五八機に達した彼を、人々は「アフリカの星」と名づけた。

 だが遂に運命の日がやってきた。

 出撃した機が故障し、につつまれた愛機を強引に調整しようとするマルセイユに最後の時が迫った。不時着させるには遅すぎた。失速して地面に突っ込み始めたから飛び出したマルセイユのパラシュートは開かなかった。砂漠に点々と機の残骸が散らばり、砂丘のかなたにうつぶせになったマルセイユの姿を夕陽が赤く染めた。それは戦い、恋し、悩んだ二十二オの一人の青年の死だった。