三浦半島 草花歳時記
https://www.townnews.co.jp/0502/2021/01/01/555790.html 【三浦半島 草花歳時記
特別編 「松竹梅」はなぜ目出たいの?】 より
明けましておめでとうございます。特別編の今回は、お正月にふさわしい「松竹梅」の話です。
中国では松竹梅を「歳寒三友」(さいかんさんゆう…寒い冬に友とすべきものは松・竹・梅であるの意)といいます。松竹梅が選ばれた理由は、松と竹は冬でも緑葉がいつまでも変わらず、梅は最も寒い時期に花を凛と咲かせることから、三者は君子の高い節操の比喩として用いられてきました。こうした文化が室町時代に日本へ導入され、後にめでたいもの、縁起の良いものとして使われてきました。
松(マツの仲間の総称)…水分の少ない岩場等の過酷な環境にも生育し、繁殖力も大きいことから、人の長寿と子孫繁栄を願っています。
竹(タケの仲間の総称)…常緑で清楚であり成長も早く、茎は真直ぐなことから人の清らかで素直な性格を表し、また地下茎で広く繋がっていることから、家族(民族)の連帯や人の協調性を表しています。
梅…松と竹にはない華やかな花を咲かせることで、人生の華やかさと食用や薬用に用いられることから、健康な身体づくりに役立っています。
植物の世界から見ても、三者はバランスよく選ばれており、松は裸子(らし)植物、竹は植物の単子葉類、梅は被子(ひし)植物の双子葉類と理にかなっています。
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第3回 正月に立てる門松「クロマツ」】 より
明けましておめでとうございます。今回は門松とクロマツについての話です。門松には普通「クロマツ」を利用しますが、この風習は日本独特のもので、1070年頃の文献にはじめて「世俗が門戸にさす」とあり、源氏物語や枕草子には出てきません。松を利用する理由の一つに、常緑で剛健、また変幻自在とも思える多様な形姿をしており、荒れ地でもところかまわず根づく生命力があることから、古来より長生きの象徴や不老長寿の願いを込め、めでたい木とされてきました。
クロマツの花は、4〜5月に同じ株の中で別々に咲き(雌雄同株)、雌花は今年伸びた枝の先端に紫紅色の楕円状球形が1〜3個、雄花はその下部に多数固まってつきます。そして雄花は花粉を飛ばした後には脱落、雌花は受粉後閉じたまま緑色に変色し、翌年の秋まで成長して、茶褐色のマツボックリ状になっていきます。熟すと固い鱗片が開き、中から種子が飛び出します。種子からの発芽は良く繁殖するので、ここにも長寿と子孫繁栄を願う意味があります。夏から秋にかけて、一枝に今年のマツボックリ(緑色)と、昨年のマツボックリ(茶褐色)が同時に見ることができます。
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第6回 「椿」(ツバキ)は和製漢字】 より
今回は三崎三御所の一つ、大椿寺の「ツバキの御所」からツバキの話です。
昔から草や木の名前を命名する時には、中国の古い文献(図鑑)より似ている草木の名を漢字で表してきました。文献から見出せない草木には、「萩」「榊」「楠」等のように和製漢字を作り、ツバキも春に咲く木から「椿」と表しました。ちなみに中国では椿は「チャンチン」を指します。
野生種のツバキを「ヤブツバキ」といい、語源は艶葉木、光沢木(つやき)、強葉木(つよばき)等からつけられました。
また自家受粉をせず、常に他の木と受粉をするため、実生からでも変わり花がよく現われる花木で、古くから多くの品種が作られてきました。
ツバキとサザンカとの違いで、わかりやすいのは次の通りです。【1】花後の花弁の落ち方…ツバキは1個の花がポトリと落ち、サザンカは1枚1枚バラバラに落ちます。【2】子房の表面…ツバキの表面は毛がなくつるつる、サザンカの表面は白い毛で覆われています。【3】苞(ほう)と萼(がく)…ツバキは花弁が落ちても苞と萼は残りますが、サザンカは開花時に苞と萼を落としてしまいます。
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第5回 雛人形に「モモ」は飾らない】 より
3月3日の雛祭りには、普通、雛人形と一緒に「モモ」の花が飾られます。
昔からモモは「陽を表し陰を祓う」とされ、中国では鬼を退治するという伝説があり、「鬼はモモを嫌う」といわれていました。日本昔話の桃太郎の話もここから生まれてきたものと思われます。
日本で桃の節句は、女の子を悪鬼から守る願いが込められてきました。現在では雛人形とモモの花を一緒に飾りますが、もともとモモは呪性があると信じられてきたため、旧暦の3月3日に神へ供えられ、雛人形とは別でした。それにより、モモの花を飾るときには、雛人形は飾らない地方が多かったといいます。戦後になってデパートなどの売り出しで、一緒に飾るようになりました。
モモは20世紀に入って新たに中国で原生地が発見され、それまでのペルシャ原産が中国原産になりました。
中段写真のように、同じ株の中で赤と白の二色の花が咲くことがありますが、モモは赤と白の両方の色素を持っており、たまたま別々に現れただけです。
三浦市の見桃寺は源頼朝がつくった三崎三御所の一つ「桃の御所」といわれ、参道に桃の木がみられます。
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第4回 「河津ザクラ」は偶然の発見】 より
2月に入ると京急三浦海岸駅からの沿線には、「河津ザクラ」の開花を楽しむ人が毎年大勢訪れます。サクラの中でも1月下旬から2月まで開花する早咲きのサクラで、花色は桃色または淡紅色で、ソメイヨシノより色が濃く、花期も約1カ月と非常に長いのが特徴です。
河津ザクラはオオシマザクラとカンヒザクラの自然雑種で、1955年伊豆河津町に住む飯田勝美さんという方が偶然発見しました。しかも雑種でありながら種子も偶然つけたといいます。その後、町ぐるみで河津川沿いに広めました。
サクラは中国大陸の内部まで分布していないため、桜の花見の風習は日本独自のものと考えられています。中国では古くから梅が重用、日本では奈良時代に中国の文化と共に、庭に梅を植えて早春の香りを楽しむ風習が伝えられてきました。平安時代になり急速に日本の文化が発達してくると、国粋主義が勃興し宮中(紫宸殿)の梅が枯れたのを機会に、桜に代わり「左近の桜 右近の橘」が誕生しました。この左近の桜は一重のヤマザクラが選ばれ、今日まで続いています。