「宇田川源流」【年初放談】 令和三年の経済はどうなるのかの大予想
「宇田川源流」【年初放談】 令和三年の経済はどうなるのかの大予想
「年初放談」の二日目、経済に関して「令和三年」はどのようになるのかということを予想する内容になっている。
実際に「経済」に関しては、昨年の「年初放談」が全て外れているというような、かなり衝撃的な内容になった。まあ、基本的には、経済は「関連性」で発展するのであるが、その経済の関連性が、完全に切れてしまうというような状況になったのであるから、仕方がないというようになるのではないか。
このような状況になるというのは、誰も想定していなかったということになる。つまり、「日本」だけではなく、世界全体が「鎖国状態」になっていたのであり、その鎖国状態をどのように考えてゆくのかということが大きな問題になってきた。
ある意味で、昨年の日本経済というのは「鎖国状態」を体験している。もっとも、日本の場合は鎖国をするのは江戸時代、そして昭和初期の戦前と二回経験しているのであり、その意味では、鎖国経済になった時にどのようになるのかということはよくわかっている状態であるといえる。
そのように考えた場合には、日本は海に囲まれた国家であるのと同時に、文化性が同一であって、独自の発展を行うことができることから、以外にその海外とのやり取りなしでも、日本国内における経済の回し方や反転のしかた、文化の作り方を知っている。
このように書くと意外に思うかもしれないが、昨年で言えば、他国との連携がない中でも、鬼滅の刃などの独自の文化が発展している。もちろん、どの国も文化を滅ぼすようなことはなかったものの、日本の鬼滅の刃のように、コロナウイルス禍の中で世界に発信できるほどの文化が出てきているのはあまりないのではないか。
日本の場合「陸続きの外国」がないということから、基本的には空港と海港をすべて封鎖した場合、外国からの内容がくるものではない。つまり国内の感染拡大ということになる。
一方、日本は現代社会の中において言えば、「資源が外国からの輸入に頼っている」ということから、片方で文化などに根差した者とは異なり、通常の生活、例えば電気とか通信とかスマホといったようなIT系のものなど、様々なものが外国との貿易が止まった瞬間に止まってしまうということになるのである。
そのように考えた場合、「国民の文化を支える経済」と「資源貿易や食料貿易など、陰で生活を支える経済」ということの二つを分けて考えなければならない状態になっているのである。
そのような中で「テレワーク」という経済が始まった。「新しい生活様式」というような話になったのである。このことによって「同一場所・同一時間による集団の一斉労働」ということが否定された状態であり、その状態でどのように働くのかということが出てくるのである。
さて、このことによってどのようなことが生まれるであろうか。
まあ、このような感じではないか。
実際に、政治世界は、コロナウイルス禍の中でも、全く関係なく「浮世離れした」政治が行われることになる。残念ながらそのような予想しかできないのが現在の政治の現実なのである。さて、このことを見てみれば、政治を見ているだけで今回の内容を見ることはできないという結論になる。そのことで、経済は経済独自に見てゆくことにする。
まず第一には、やはり「外食」「観光」「エンターテイメント」というようなところには最も大きな問題になるが、それでも、一堂に会するというような「三密を避ける」内容がビジネスの在り方になるものと考えられる。
そのことから、一つには「大きな宴会場」「大きな会食や会議室」「演芸ホール」など、不特定多数の人々が集団で集う場所が徐々になくなってゆくということになるのではないか。それだけではなく、都心の人が集まる場所における人々の集まりがなくなるので、「オフィス街のランチ需要」や「夜の街の接待需要」の外食店としては、かなり大きな痛手となり、閉店などが相次ぐということになる。
このことから、「都心事務所や都心のオフィスビルの空床ができる」という自体が発生し、都心の土地や建物の不動産価値が下がることが予想される。当然にその不動産を担保に資金を調達している人々や都心の土地におけるマンションなどの住宅ローンは「担保割れ」状態が出てくることが予想される。もちろんこの辺の所は今年だけではないにしても、これから暫くこのように変わってゆくことになるのではないかという予想がされることになる。
さて、「人が集まる」ということと、同一時間に同一の人々が集うということ、この二つができなくなる社会は、当然に「人の住む場所やいる場所の平準化」ということが予想される。ラッシュ電車やランチ時間の食堂など、同一時間帯の集合体が避けられるようになるということと、テレワークから、基本的には会議がなくなるということや一堂に会する仕事がなくなり、そのことから「電車」などのインフラの在り方や、ランチ需要などの在り方も変わってくることになる。
一方で、当然にテレワークが中心になるということで「通信インフラ」や「通信の安全性」ということの企業は今後発展することになる。また、それだけではなくどの会社でも必要な「経理」「法務」「管理」業務や、場合によっては「営業」のアウトソーシング化または専門スタッフによるノウハウの販売というような会社が出てくるのではないか。
つまり、「専門性」が出てくることによって、その分野の内容が非常に大きくなってゆくのと同時に、「ムードメーカー」や「努力」などの「過程を評価される企業や人」に対しては、そのことがテレワークで示すことができないということから、それらの人がいなくなることになる。当然に「結果主義」か、あるいは「オンリーワンの技術または人脈」を持った人でしか、会社などに存在できないような状況になってくるのである。
当然に、これらの「新しい経済環境の変化」に対応できない人々や会社は淘汰されることになる。
では今年を予想してみよう。
<令和三年の経済の大予想>
・ バブル経済の崩壊と同じような状況で金融不況と失業者の増加が行われることになる。政治の対応が遅くなることと、政治は、コロナウイルス対応で赤字国債を乱発しすぎてしまっているので政府は対応できず、それらの経済対応になる。また、そこを何とかするということで、銀行や証券会社も危機的状況になる。
・ 専門性のある「結果を残せる人」や「アウトソーシング」が珍重される。また、それらに頼めない人々が、自分たちで「同業種組合」などの団体を作り、そのことから各業種においても「共通項で結ばれた内容」が出てくることになる。一方で、通信インフラなどを整備する会社が成長する。
・ 新しい経済に対応できない会社が淘汰される。これは伝統や大企業ということではなく、大きな企業であっても淘汰されることになろう。その受け皿をどのように作るのかということが大きな問題になる。人材も会社も淘汰の時代になってくるので、それをどのようにするかということになろう。
このように予想する。まあ、その予想がそれくらい当たるのかは、わからないということになる。