お酒を飲んでいないのに酔う人
新年早々お酒の話です。アルコ-ル発酵をするような微生物(たとえば酵母菌)を体内に共生させれば、お酒を飲まなくても手軽に安く酔えるのに、などと夢想したことがあります。でもヒトが発酵酵母と共生したら、誰もが酔っ払い、まともな対人関係、社会生活は無理でしょう。おそらくそんな共生はあったとしても、進化の過程で除去されてきたはずです。ところが世の中には、体内でアルコ-ル発酵をしてしまう人がまれにいます。
体内でアルコールが産生される疾患は、「酩酊症」、「自動醸造症候群」、「腸発酵症候群」などの名称で呼ばれ、わが国では50年以上前から知られています。近年では海外でも報告されるようになり、英国や米国などからの報告が見られますし、飲酒が禁止され、実際呑んでいないアラブ諸国からも報告されるようになっています。いずれの症例も、確定診断にはかなり時間がかかります。なぜなら、アルコールを飲んでいない場合、アルコール濃度の測定は行いませんし、体調不良がアルコールによるものとは思わないからです。アルコ-ル発酵の程度が低いと、本人は気がつかないかもしれません。従って、「酩酊症」の患者さんの数は、報告されているよりも実際はかなり多いと推測されます。
腸内細菌は、通常バランスが維持されていますが、何らかの原因(例えば食事制限、抗菌薬の使用、腸の手術など)で腸内細菌のバランスが崩れてしまうと、普段はあまり活動していないアルコ-ル発酵をおこなう微生物が腸内で異常増殖し、炭水化物を発酵させアルコールを醸造してしまうことがあります。これが「酩酊症」(自動醸造症候群、腸発酵症候群)の原因です。原因菌は細菌ではなく、真菌の仲間である酵母菌(サッカロミセス・セレビシエ)やカンジダ菌(カンジダ・アルビカンスやカンジダ・グラブラータ、カンジダ・クル-ゼイ)などが知られています。
酩酊症の実例としては、たとえば2013年に報告された米国の症例では、61歳の男性が、アルコールを飲んでいないのに、酩酊のような意識障害を呈して救急外来に搬送された例があります。呼気からは飲酒運転の法的上限の5倍ものアルコールが検出されました。そこで、病院に24時間隔離した上で、食事後のアルコール濃度を測定した結果、食後の血中アルコール濃度が0.12%に達したそうです。
やはり米国の症例報告では、13歳の子供がアルコールの摂取がないにもかかわらず、酒に酔ったような症状を呈し、血中アルコール濃度の上昇も見られ、「酩酊症」と診断されました。この子供は、新生児期に広範囲の小腸切除を受けており、便からは真菌類のカンジダ菌や酵母菌が検出されました。「酩酊症」は、抗真菌薬の投与や炭水化物の制限などで症状が抑えられることがわかっています。最近では、腸内細菌のバランスが崩れたときに、健康な人の便を移植する治療法も行われています。
2020年には、腸内ではなく膀胱内でアルコールが生成されていたという症例が、世界で初めて米国から報告されました。この61歳の女性患者は、他の医療機関でアルコール依存症が疑われ、尿検査でもアルコールの陽性が何度も確認されました。しかしお酒は一切飲んでおらず、結論として、膀胱に生息する真菌類のカンジダ菌(カンジダ・グラブラータ)が、膀胱中の糖を使って発酵し、エタノールを大量に生成したことが確認されました。
「酩酊症」の方の中には、酔っ払い運転として運転免許が失効してしまう人もいるそうです。「食事だけで酔えてお得だ」などと軽率なことは言えませんね。(by Mashi)
・婆どのが酒呑に行く月夜かな(小林一茶)
参考文献:Kasherine M Kruckenberg et al., Auto-brewery syndrome. Annals of Internal Medicine (2020) DOI: org/10.7326/L19-0661