会派・創風会の仲間たちとの活動
いなべ市議会議員を拝命して以来、この三余年、会派・創風会に所属していいます。会派長の清水隆弘議員、副代表の片山秀樹議員、幹事長の伊藤のりこ議員と私の4名。時々、意見の違いはあるが、その都度、話し合いを重ね、会派としての姿勢を示して、大きな仲違いもなく、何でも話せる政友である。
改選後、特に新人議員は、会派のお誘い電話があちらこちらからかかってくる。数は力。故に、会派の勧誘合戦となる。
しかし、私の場合、清水議員の後援会の役員をやっていたということと、長く創風会の会派広報紙を編集していたこともあり、他会派からのお誘いは全くなく、入るべきところに入ったという感じである。
いなべ市議会の場合、会派は、国政政党はあまり関係がない。
どちらかといえば、長く続く日沖市政に肯定的か、否定的かで分かれるようにも思う。創風会は、日沖市政を肯定しつつ、細かな部分で是正を要望する会派であり、市長と行う意見交換会等では、意見や要望、批判などもかなり申している。また、なぜ、それが現在できないかも、そうした折に細かく説明を受けてもいる。そうした話し合いの中で、「ここだけはやってほしい」との要望にも言及する。実際に、そうした中、政策に結びついたものもある。
各議員、生まれた家も違えば、当然、歩いてきた道、経験してきた職業も違う。長く人生を送れば、価値観はその人の人生のプライドにもなり、なかなか、同じ思いや気持ちを共有するのは難しい。そこに、市民の利害関係や、国や県の思惑というものもある。お金がなければ事業はできないが、財源は限られ、優先順位を決めなばならない。
ある意味、市民でいたほうが楽であった。こんなことをいうと支持者に叱られるかもしれないが、事細かに知らないうちで、責任を問われない立場では、意見や批判は言いたい放題で良い。いや、それも一つの役割であろう。
しかし、職業政治家(選挙で当選した政治家)になると、全体の仕組みを知り、現実を知り、優先順位性の難しさをしり、勢いは止まる。いや、冷静になるといえよう。(周りの市民からみれば「選挙の時の勢いはどうした?」と言われそうだが)。
会派を組織し、会派で話し合い、合議できないようでは、政治家ではない。多分、会派とは、基本的な価値観(正義の方向性)がかなり似ている議員の集まり。総論は同じ、各論が違うというところだろうか。
しかし、異会派同士は、なかなかそうはいかない。何しろ、正義の方向性が違うのである。だから、足の引っ張り合いみたいなことも起こる。
でも、それは大人の世界なら、どこでもあることでもある。しかし、政治家は、嫌いだから離れるわけにもいかない。どんなに不仲でも、議論をし、結論を出さねばならない。それは、市民の暮らしが関係する大きな結論である。
故に、真の議論が大切なのだ。できれば、その議論の様子を市民には見て欲しい。そこが、政治家が政治家である最大の舞台であるのだから。
会派新聞を発行し続け、通巻45号となった。議会の透明性を重視し、毎月発行としてきた3年間。仲間たちとの歩みの記録でもある。いなべ市議会の会派新聞の編集に携わったことが、私の議員への入り口であったこともあり、やはり、広報誌の発行には、特に熱が入る。