Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

堂崎天主堂

2021.01.05 03:31

浜沈丁昼を点して五芒星  五島高資

Blossoms of Myoporum bontioides

keeping the light twinkling during the day

like five-pointed stars Takatoshi Goto


https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7553840  【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連世界遺産】


https://rurubu.jp/andmore/spot/80039639 【カトリック堂崎教会(堂崎天主堂)】 より

明治初期にキリシタン迫害が行われた五島市奥浦地区の海岸沿いに立つ教会。五島列島で最初に建てられた福江島を代表する天主堂で、日本二十六聖人の一人で五島出身のヨハネ五島に捧ささげられた記念聖堂でもある。この地に明治13年(1880)に初代教会を建てたのは、パリ外国宣教会のマルマン神父。現在の教会堂は明治41年(1908)にペルー神父が設計し、施工は野原与吉棟梁。教会様式を整えたゴシック調のレンガ造りの平屋建て、堂内は三廊式のリブ・ヴォールト天井で、祭壇中央にはヨハネ五島らの遺骨を安置。県指定有形文化財で、堂崎天主堂キリシタン資料館となっている堂内には、潜伏キリシタンの資料が展示され、その受難の歴史が紹介されている。


https://nagasaki-bunkanet.jp/institution/%E5%A0%82%E5%B4%8E%E5%A4%A9%E4%B8%BB%E5%A0%82%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8/ 【堂崎天主堂キリシタン資料館】 より

五島キリシタン450年の祈りがきこえる

聖堂内に設けられた資料館。堂崎天主堂は、弾圧後の五島における宣教活動の拠点として1879年(明治12)パリ外国宣教会のマルマン神父によって建立された仮聖堂に始まり、後任のペルー神父によって建替えられ1907年(明治40)に完成したものです。建物の施工は野原与吉で、後に教会建築を数多く手がけた鉄川与助も参加したことが知られ、県指定有形文化財となっています。天主堂内には、帳方に受け継がれてきた「お帳(太陽暦)」(1634年)、ド・ロ聖教木版画(県指定文化財)など、キリスト教弾圧時代から明治以降の信仰の歴史を物語る資料が展示されています。また、五島生まれの二十六聖人のひとり聖ヨハネ五島の聖骨もマカオから里帰りし天主堂内に安置されています。厳かな空間で、信仰を守りぬいた人々の姿に思いを馳せることのできる展示となっています。また堂崎民俗資料館も併設されています。


https://www.todaysspecial.jp/seasonalnews/4550/ 【五島の歴史受け継がれる祈り】より

長崎県には130もの教会があり、そのうち五島列島には50の教会がある。五島は250年という長い禁教時代に弾圧と迫害のある中、多くの潜伏キリシタンが移り住んだ地であり、世界遺産に認定された「潜伏キリシタン」の歴史や信仰が今も生きている場所でもある。

潜伏キリシタンの歴史とは「信徒たちが島に移り住み、命がけで信仰を守った」という事実。信仰の復活を示すため建てられた数々の教会は、“弾圧や迫害にも揺るがない信仰” をあらわすように、なんとも言えない存在感を放っている。その “なんとも言えない信仰のかたち” が、島のあちこちに存在していて、独特の文化として大切に受け継がれているのだ。

水ノ浦教会

福江島で訪れたのは、水ノ浦湾を見下ろす小高い丘の上にある “白い教会” 。建築家の鉄川与助が手がけたもので木造では最大規模の教会だ。

中に入るとかまぼこ型のアーチを押し出したような形状の天井が印象的で、あらゆる教会建築様式を取り入れた設計になっている。深くて高い天井、白と淡いブルー、ステンドグラス越しのやさしい光が、スンとした厳かな空間をつくりだしている。

地域を見守る教会

五島の島々を巡っていると、数多くの教会に出会う。それらは町や住む人の生活に溶けこみ、今も島の人々の暮らしを見守りつづけている。その景観は日本でありながら、異国の空気が入り混じった独特の雰囲気がある。

そして潜伏キリシタンの歴史は、特定の宗教の歴史というだけでなく、島の生活に根ざした文化であり、五島の魅力のひとつでもあるのだ。