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般若心経のこころ ~執着を空(ゼロ)に還す~

2022.11.19 05:50

Facebook・山地 弘純さん投稿記事 新年法話2 『般若心経のこころ ~執着を空(ゼロ)に還す~』

「苦を抜き楽を与える教え」として伝えられてきたのが『般若心経』です。

今日はその般若心経がどのような素晴らしいお経なのかということをお話したいと思います。

 十五年ほど前のことでしょうか。檀家のおじいちゃんから「副住さん、ぜひ般若心経を講義してください」と言われた際、「今の段階では自分自身も理解できていないので勘弁してください」とお断りをした過去があります。

 いつかその心髄を語れるようになりたいと思いながらここまできました。

 そして今自分自身が心の相談や、スピリチュアルなケアをする中で、ようやく般若心経の内容をリアルに生かし、その悩みを読み解けるようになってきたと感じています。

 般若心経の中では「空(くう)」という言葉がたくさんでてきますが、これは数学でいう「ゼロ」のことです。

 「五蘊皆空」という一節を意訳すると「所詮あなたの思い込みがあるだけですよ」と訳すことができると思いますし、その苦しみを生む自分の価値観や固定観念の蓋の下にある感情を味わい昇華し、思い込みをゼロに還していくことが、般若心経セラピーの醍醐味です。

 そうやっていくつかの相談を受けていたわけですが、ある女性とのお話がとてもわかりやすい例になると思いますので紹介したいと思います。

 仕事上の愚痴が聞いてほしいということで、彼女は職場の同僚との関係性を中心に起こった出来事やそこで感じた自分の腹立たしさなどをいろいろと話してくれました。

 そこで私なりに話のポイントを整理すると、

「感情的になるのはやめるべきだ。」

「 感情を態度に出してはダメだ。」

「 すぐ泣いて自分を被害者にするのは許せない。」

「 子供みたいにして大人気ない人はほんと大嫌い。」

という怒りの発火スイッチが浮かび上がってきたのです。

 これが他者を通じて自分の内側から浮かび上がった「こうあらねば」「こうあるべき」という執着です。

 私はわざとその逆のことを言ってみました。

「感情的になってもいいじゃない。」

「感情を態度に出してもいいじゃない。」

「すぐ泣いて自分を被害者にしてもいいじゃない。」

「子供みたいにして大人気ないふるまいをしてもいいじゃない。」

 すると彼女は「え~、それは許せない」と言いました。

「その許せないって思いはどこから来るんだろう」と尋ねているうちに、いつしか彼女はぽつりと大切な過去の思い出を語り始めました。

 お父さんの虐待。

 いっぱいいっぱいなぐられまくったこと。

 それでもお父さんもいろいろあってかわいそうだからって自分がそれを無表情で受け入れてきたこと。

 お母さんはすぐ泣いて被害者ぶっていてそれが嫌だったこと。

 どうやら子供のころから大人びていて、他者への共感力が高く、自分の思いよりお父さんの思いを大切に生きてきたのだということが想像できました。

 「そっか、その同僚の女性はあなたの真の望みを教えてくれたのかもしれないね」と私は彼女に伝えました。

 「自分がやりたいのに抑圧しているから、他者がそれをやっている姿を見ると、うらやましくて腹立たしくなっているのかも。」

 執着は本心の上にかぶせている蓋なんですね。

 「こうせねば」というねばねばの感情を「納豆感情」と言うそうですが、蓋をしたままだと本心が発酵して「ねばねば」が他者をも絡めとろうとしてしまうのかもしれません。

  「ほんとはかなしかったんだよ~。」

「ほんとはそれを態度に出したかったんだよ~。」

「ほんとはお父さんのせいでってすぐ泣いて言いたかったんだよ~。」

「ほんとは大人ぶっていたけど、子供らしく表現したかったんだよ~。」

 そんな彼女の心の奥からの叫びが聞こえるような気がしました。

 「泣くことを我慢して感情を凍らせることで心を守ってきたんだろうね。悲しいってお父さんのせいだって泣きたかったっていうのが、本当にやりたかったのに抑圧してしまったことじゃないかな」

私はそう彼女に語りかけました。

「そうか。やっぱりこの時のことがまだ影響してるんだ。傷ついてないし、過去はもう癒せてるって思ったけど違ったのかな。」ととまどう彼女でしたが、やっぱりそういうメッセージもたくさん受け取っていたようで、だんだんと腑に落ちてきたようでした。

「たしかに楽しいっていう表現はすごくしてきたけれど、悲しいっていう表現は抑え込んできたのかも。これからは両面を表現していきたいと思う」

 こうして行動からのアプローチを決めた彼女のことは、これからも大切に見守っていこうと思います。

 このように、一つの出来事があり、それを皆が同じように体験したのに、「あの人は大して気にしていないけれど、自分はなぜかものすごく怒りが収まらない。」「みんなはほっとくことができているけれど、自分はどうにも一言言ってやらないと気が済まない。」というようなこともあると思います。

 それは自分の中に怒りの種となる傷があるからです。

 怒りの下層部になにがあるのかを丁寧に傾聴し、その蓋を外していくことで抑圧された感情と本当にやりたかったことを見つけることができるのだと知っておくといいですね。

 その傷を癒し、やりたかったことをやりきった時、ゼロになって流れていくのだろうなと思います。

 するともうそのことで他者にイライラすることもなくなるでしょう。

 過去の傷つきを癒すことができる記憶書き変えのヒントは「不増不減」という一節にあります。

 得たものもあれば失ったものもあり、失ったものの影には必ず得ているものもあるというプラスマイナスゼロの「空」の視点です。

 スピリチュアルケアの講座の時にもこのようなワークがありました。

「あなたは病気で健康というとても大きなものを失いました。しかし失ったものが大きければ大きいほど得ているものも大きいはずです。失ったものと引き換えに得ているものに意識を向けてみましょう」と。

するとやっぱり見つかるわけですね。

「家族の温かさが身に沁みました。」

「食べ物がなんでも食べられなくなったからこそ喉を通るもののありがたさがわかりました」

「実は仕事が嫌で嫌でやめたいと思っていたのに実はそれが病気になったおかげで叶っていました」

などなど。

 その時には、まさにプラスマイナスゼロの般若心経の世界観だと感動したものでした。

彼女に問います。

「あのような体験があったからこそ得ることができたということはなんですか?」

 答えはまだ聞いていないのですが、きっと見つかりますね。

 ほんとに不思議なのですけどね、マイナスが大きければ大きいほど、プラスも大きいというのも私自身体験済みです。

 合わせてプラスマイナスゼロ。

心が空になります。

 この世界はどんな世界でしょうか。

その世界は自身の捉え方によっていかようにでもできるのだということを「般若心経」は教えてくれます。

 「五蘊盛苦」つまり「思い通りにならなくて苦しい」という時にこそ、般若心経の文言の如く、片寄った心を解き明かしゼロに還していくチャンスであることを知っていていただければと思います。

 皆さんの世界が、大きく広がっていきますように。

                合掌