ヤマタノオロチと天叢雲剣 (草薙剣)
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7167592 【かがちは鍛冶職人??】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8285843 【大国主】
http://www.yohseikai.com/murakumo.html【ヤマタノオロチと天叢雲剣 (草薙剣)】 より抜粋
さて、それではオロチとは何なのか、虎や狼ではグツが悪かったのか。言語学上のオロチは「荒れ果ててけわしきところ」の意であると考えられています。しかし、どの国語辞典でも「大蛇」です。ただ広辞苑第二版でオロは奈良時代の東北方言で「山岳」の意、チは古代語で「神」となっています。つまり、ヤマタノオロチは8本の河川が北に流れる、中国山脈の「山岳の神」となります。山岳の神が鉄山で産出する鎌や鋤鍬(スキクワ)は農作業にとって神の手です。その山岳の渓流が洗い出す砂鉄と山上の治水は農作物の生命です。前出の高麗の意呂山(オロヤマ)には熔鉱炉と鍛冶場があり、その高麗北部にはオロチョン族が暮らしていました。ツングース系タタラ族狩猟民族ですが、鏃(ヤジリ)と銛(モリ)、ナイフは生活の必需品です。鉄を求めて南下し、朝鮮半島で争いが起これば捕虜難民が出ます。一衣帯水の中国山脈に入り、農事に同化し、オロチョンをオロチと訛ったのでしょうか。江の川上流 三瓶山麓 南西 邑智郡のオチは地名辞典で「よくわからない大内にやあらん」と書かれていますが、或いは鉄山の多い地域で山麓高原の稲作に同化して暮らすうちオロチの言葉が残ったのかもしれません。
オロチョン族を北にたどると黒龍江に達します。その下流域、ハバロフスク、アムール河岸の岸壁に菱型図形で蛇体だけの壁画が報告されています。明らかに信仰の対象ですが、ロン、ルンとは云わずムドウルです。種族も異なります。隣接して暮らす種族はオロチ族です。しかし民族に伝承される動物は白鳥と鴨、水鳥でした。高句麗の西、長白山脈を越えた遼河流域には六千七百年前からコウリャンや麦を主食とした紅山文化が開けていました。紅山文化遺跡から精巧な翡翠の猪龍の玉器、豚龍の腕輪等が発見されています。蛇体ですが頭部は豚で生活になくてはならない家畜です。龍の玉器としては世界で一番古いものです。それらは猪龍ズーロン、豚龍トンリュウと訳されています。しかし、それが先入観なしに龍と言えるのか。翡翠の原石は遠くトルコのカザフスタン、西域のホータンです。それから四千百年前黄河下流域二里頭、ここでは稲作と麦、粟等五穀です。夏王朝の遺跡から二千個余りのトルコ石、緑松石で象嵌された竜杖が発見されています。夏は禹(ウ)が建国した王朝なので禹杖と云うべきでしょうか。禹は黄河の水の精 大トカゲのことです。大きな頭部で、角は見当たりません。又、三千三百年前の殷虚からは龍の甲骨文字が発見されています。その一例は古代人が、捉えた竜の自然現象で虹、コウです。刻文には白昼一天俄かに掻き曇り、驟雨の後双頭の竜が虹となって現れ、大河の水を飲んだことが刻されています。これは凶事であり、大洪水が起こると怖れられていました。一般的に竜は角のある蛇の象形で表されています。
オロチョン、オロチ、意呂山、そして竜ロン、の言語学上の関連は正しく説明できませんが、人々が暮らした山岳と水源、主として稲作から遠く雲南、アッサムに至る竜のふる里にそのつながりを求めることは出来ます。数千キロの距離があるとは言え、高原や山岳には苗族、姜族の移動生活がありました。又、日本列島から揚子江、雲南、チベットに至る全長五千キロに及ぶ照葉樹林文化のつながりは今では広く知られています。長崎のペーロンのふる里は雲南貴州省清水江を遡上する竜頭舟競艇にあり、渓流と瀧の多い山岳の茶畑で生活する人の中には自分達のことをロンと云います。谷間の人の意ですがチベットのレプチャ、モン族がアーリア人に追われて渓谷に住み、お茶と塩の行商で渡り歩く流れ者の意でしょうか、この辺りが竜ロンの淵源です。アッサムから段々畑の稲作は五千年前北九州西部、北松浦半島、島原半島に至り、 熊本県菊池地方では日本最古に属する米粒や、圧痕が発見され、福岡県板付には二千五百年前の日本最古の水田遺跡があり、中国山脈岡山には最初期の棚田跡が確認されています。棚田と稲作こそが竜を齎しました。又、雲南省茶葉古道の銘茶は日本の禅寺で只管打座の悟り、堂宇の蟠竜は知恵の雨を降らせて人々の覚醒を促しています。雲南省からメコン川を遡上、長江上流の茶馬古道に沿って北上すると黄河との分水嶺 青海省に至り、星宿海(オドンノール)には 崑崙(コンロン)の玉があり、竜の掴むその宝珠には全知全能の力があると云われています。これは気の遠くなるような話です。ここでは川を下り竜の原初の姿を求めましょう。
原始焼畑農業は山岳の斜面を焼き払って畑を作り数種の雑穀の種を蒔いて、その内から一番収穫の良い稲を選んで育てました。一二、000年〜六、000年前と考えられています。最近では稲作の起源は籾殻炭化米の発見から長江中流域南部説が有力視されています。段々畑で棚田をつくり、水をはって栽培することを体験的に知り、次第に湿原に広げ、同時に雨乞いの風習が生まれました。旱害は一族の生死に拘わります。山岳から湿原へ広がった稲作は逆に山上の水源に水を乞い求めることになります。山上に雲を呼び 水を招くであろう水棲の生き物で一番生命力のあるのは蛇、チカラのあるのはワニ、生活に密着したのは水牛で、ここに竜の原型があります。地震と洪水を起こす湖沼のナマズもいました。竜は身近な動物の力を頼む祈願信仰の習合が具象化、大小透明 変幻自在に寓話化されたものであります。では、オロチはー。オロは荒々しい竜骨の山岳と鉄山の鎚音を意味し、チは山岳の泉の水神、しかし ミズチの蛟 虯 离(コウ キュウ チ)には鱗皮、背ビレ、角、手足のもとがあっても、蛇 虺(ジャ カイ)毒蛇とはならない、オロチは地鳴りと火を吐く未完の竜です。
初期大和政権が編んだ古事記の原本ではオロチは音訳で「遠呂智(オロチ)」、日本書紀では意訳で「大虵(ダイヤ)」となっています。虵(ヤ)は蛇(ダ)の異体字、蛇蝎と嫌われたサソリの象形文字です。しかし、オロチの居る上には常に雲気あり、山岳の神オロチには八雲立つ岳雲に雨乞いの意があり、雲を起こし慈雨を齎す水神、支那大陸の竜と同源です。ところで石見神楽のオロチの頭部はたしかに蛇ではない神獣の竜ですが、手足がありません。蛇身です。共に水の精ですが、竜には手足があって雲を駆けり天に昇ります。三千年前の中国では竜は飛竜となり、更に昇って「亢竜悔(コウリュウク)い有り」という哲学的な言葉まで使われています。日本書紀で「大虵」と意訳されたのは編纂者の面子があったのでしょう。日本書紀は国外向けに渡来系の人が意訳しています。初唐において竜は玉座の象徴でした。天子の瑞祥である竜を悪者として成敗される物語には心情的に同意できなかったのでしょう。後漢光武帝の賜印は金印蛇紐です。彼等の視線の先には雲南省滇王の蛇紐の印と共に志賀島があったのでしょう。秦の始皇帝には黒龍の力が、漢の劉邦は赤龍の徳を持つと伝えられ、蛮夷を蛇や亀に例えるのは前漢以来チャイナの伝統です。
オロチは大蛇か竜か、古事記が編纂されようとした時代、初期大和政権としては苦慮したと思います。壬申の乱と白村江の戦いの傷跡が残り、天武朝にとって西の空に暗雲はおだやかではない。出雲石見の勢力に配慮していました。オロチ神話は中国地方全体のことでありながら、出雲の山奥の小さなトラブルが脚色されています。物語の発端は櫛名田比賣の結婚でした。本来なら喜ぶべき話ですが、彼女の家系は国ツ神の子孫であることから当時としては狩猟採取民で、祈祷師の筋であったと云えます。上流から箸が流れて来て人家があることを須佐之男は知りますが、易占の筮竹、筮萩(メドギ ハギ)のことでしょう。シャーマンの家系であれば当然氏族関係が重視されます。一方、稲作になかば同化した高志のオロチの部族の人達は古志とも書き越(エツ)のことで、雲南ロード、南方稲作民の系統を引き、「歌垣」の風習があります。これは出雲に今日でも古志の地名が残り、伝説と重なります。年に一度祭りの日には誰とでもよい、好きな人と結ばれなさいという結婚観の違いが決裂の大きな原因でしょう。とは言え、歌垣の夜、たらふく酒を飲ませて闇討ちとは少々寝覚めが悪い。余程親分衆、首長は横暴で評判が悪かったのでしょうか。稲と鉄で古志のオロチは財を貯え横柄であったかも知れません。善良な村人を巻き込んだ戦いには遺恨が残ります。歌垣の夜の闇討ちは或いは賢明というべきでしょうか。それからオロチを寸断して天叢雲剣を天照大神に奉ったというのは、出雲石見の人々の魂が新しく生まれ変わる「御生(ミアレ)」の思想ととることが出来ます。
須佐之男は新羅から50人の猛士と共にやって来たと風土記は伝えています。歴史資料に時差があり、天日槍とのかかわりは不明ですが、スサは砂鉄を意味し、共に製鉄に従事する男性集団と解されています。彼等の目的は武器としての鉄でしょうが、中国山脈の鉄は本来稲作民の鋤や鍬、農機具です。農機具と武器、鉄を制するものは国を制します。稲作と鉄の山岳の神ヤマタノオロチは記紀の神話を彩り、やがて、倭国の大乱を経て歴史は神武東征へと収束されてゆきました。ヤマタノオロチは出雲の国譲りと奈良大和に王権を導く乗雲飛竜となって南紀(高野・龍神国定公園)の主となりました。龍神は春分には春霞となって棚引き、夏には入道雲となり、実りの秋にはウロコ状の雲と広がって秋分を祝い、再び潜竜となります。虎や狼は水神にあらず、瑞穂の国の神話の主とはなりえなかった。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を