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僕がトランスジェンダーを名乗るワケ

2021.01.07 07:45

(寺田留架(ルカ) トランスジェンダー男性)

※『LGBTのひろば』(日本評論社,2017年9月30日発行)掲載原稿をベースに、執筆当時と変わった状況や考えを反映させ加筆修正しました。


 はじめまして。ルカといいます。トランスジェンダー男性で、今のところバイロマンティック・マセクシャル(恋愛対象は男女、性愛対象は男性)です。おもにキリスト教の土台で、安心して信仰やセクシャリティのことを話せる集まりを開いたり、セクシャルマイノリティのことを理解したいと願ってくれている人たちに伝える『約束の虹ミニストリー』という活動の代表をしています。

 今でこそ、「体は女、自認する性は男です」と言い切って、堂々と活動できるようにもなりましたが、初めからそうだったわけではありませんでした。生まれてからこれまで、どんな葛藤があったか、どうして今のように自分のことを語れるようになったのか、お話ししたいと思います。


生い立ち

 僕はクリスチャンの両親の元に長女として生まれ、可愛がられて育ちました。母のお腹にいた時、周りから「このお腹の出かたは男の子だねぇー!!」と言われ、途中まで男の子の名前で呼ばれていたのですが、検査で女の子だとわかると、聖書の「ルカによる福音書」と、十字架に留まるようにとの願いを込めて留架とつけられました。でも、そもそも聖書のルカは男性なので、何か不思議なものを感じます。

 幼稚園のうちは、女の子グループで遊ぶことに抵抗はなかったけど、おままごとでは、いちばん人気のお母さん役や妹役ではなく、ペットの猫とか犬を選んでいました。家できょうだい3人で遊ぶ時は、いつも狼の男の子の設定でした。そして、最近になって祖母から聞いたのですが、七五三の女児向け着物をすごく嫌がっていたそうです。

 かと思えば、幼稚園の夕涼み会では、皆がゆかたを着る中でひとりお気に入りのスカートとTシャツを着て参加していたらしいので、服装についてはまだ男女という枠組みで考えていなかったのかもしれません。

 でも小学校に入る頃には、とにかくスカートを嫌がるようになり、女の子と遊ぶのはつまらない、男子と遊んでいるほうがずっと楽しい、と感じていました。ただ、好きになるのは幼稚園の頃からいつも男子。自分は男が好きだから、一緒に遊びたいだけで、周りからは男好きって思われてる? という葛藤もありました。「男は女を、女は男を好きになるものだ」という世間の常識に染められていたために、男として扱われたいという思いが強くなっていっても、男が好きな自分はやっぱり女なんだ……という考えとの間で、いつも板ばさみでした。

 でも、共通の遊びで男子と仲良く出来ていたので、小学校ではそれなりに楽しく過ごせていました。男子グループでの悪ふざけで担任から呼び出され「お嬢さん!」と叱られて、「お嬢さんと呼ぶくらいならクソガキと言ってください」などと、生意気に言い返したこともありました。


性別の壁にぶち当たる中で強くなる、自身の性への葛藤

 問題は、中学校でした。男女を決定的に分断する、「制服」が始まるからです。スカートのせいで自分に女という記号がつき、急に現れたその「男女の壁」の「男側」に行けなくなってしまったことを痛感しました。でも、登校拒否したり他の格好で行く勇気もなく、毎朝欠かさず親に愚痴りつつ、マジメに通っていました。小学校時代に仲の良かった男子たちも同じ中学でしたが、小学校の頃みたいには遊べない雰囲気になっていました。

 絵を描くのが好きで入った美術部にも、他に男子はいなくて、必然的に部活の女友達となんとなく過ごすようになりました。仲良くしてくれてありがたいという気持ちと、本当は男子といたいのに、という複雑な思いを両方抱えながら、3年間を過ごしました。高校は絶対に制服のない学校に行って、男ばっかりの軽音部に入って汗臭い青春がしたい、との一心で、受験勉強を頑張り、無事志望校に入学できました。

 ところが、せっかく私服の高校で、知り合いもほぼいない新しい環境で、自分としては精一杯男としてスタートしたはずなのに、結局周囲からは男として見られていないということに、気がつき始めました。髪型を変え、喋り方、歩き方やくしゃみまで研究して変えたのに、ただの「怖い」もしくは「イタい」女子でしかない。振る舞いを変えれば男として見てもらえるかもしれない、という期待は打ち砕かれ、でも自分から「男として見てほしい」と言うには根拠も自信もなく、もどかしさでいっぱいでした。念願の軽音部に入って組んだバンドでも、こちらからはニックネームで呼ぶメンバーから「さんづけ」で呼ばれ、自分が男に生まれなかったことを心底恨みました。

 でも、小さな転機も訪れました。生まれて初めて、女友達に恋心を抱いたのです。移動教室の夜、部屋でたまたま2人きりになった時に、疲れたその子がもたれかかってきて眠り始め、友達だと思っていたのに急に異性として意識してしまいました。たまらなくいとおしく、守ってあげたい、という気持ちが湧き上がり、ああ、自分はやっぱり男だったんだと嬉しくなりました。相変わらず、男は女を愛するもの、という世間のジョーシキに縛られた発想でしたが……。

 ところが同時に、やっぱり女同士で好きになるのはダメなんじゃないか、という後ろめたさ、罪悪感もざわざわと襲ってきました。しかも、しょせん女の自分がつきあえるはずがない、早いうちに諦めなきゃ苦しむし、気持ちがバレてしまったら困らせるだけだ、という打算もどんどん出てきて、その子への恋心はなかったことにして、封印してしまったのです。


「性同一性障害」との出会い

 その頃、保健室の先生によく会いに行くようになりました。僕は中学時代に知り合った友達が「うち、ほんとは女なんだ」「手術して女になる。親は反対してるから出て行く」と言うので、その子を理解したくて調べているうちに、性同一性障害というコトバを知りました。その過程で、自分ももしやその子と逆バージョンの当事者なのでは、と思うようになっていたのです。そのことを相談すると、先生は当時まだまだ乏しかったはずの文献を探し、女性から男性への手術の事例なども載った専門的な本を仕入れて、保健室に置いてくれました。

 その本には、ホルモン投与で毛むくじゃらに変化した生々しい写真や、失敗の危険やそこまでしてもカンペキな男性器や体つきになれるわけでもないというリスクの面も克明に描かれていました。それらを目の当たりにしたら、男になりたいと小さい頃から思っていたけど、果たして自分はそこまでできるか、そこまでしたいのだろうかと腰が引けてしまいました。でも何より、否定することなく親身に考えてくれて、自分ひとりのために本を探してくれた先生の心遣いに、救われた思いがしました。

 大学では美術科に入ったのですが、女子ばかりのクラスで、皆仲良くしてくれていたけど、自分の居場所として安心することはできませんでした。女性から、同性として見られていることが居心地悪く、心の中に自分から壁を作っていました。

 そして、中学、高校時代に拍車をかけて、女子トイレを使うのが心底嫌になってきました。だからといって、思い切って男子トイレを使ってみることなんてできませんでした。当時の自分は周りからどの程度男に見えているのかもまったく自信がなかったし、体の性別を知っている人にバレたらと思うと、仮に咎められなかったとしても、「あの人女なのに男子トイレ使ってる・・・」と思われるだけで、大学生活なんて送れなくなる、と怖かったのです。

 かといって、「あの人どっちかな?」と思っている人から女子トイレに入るところを見られて「ああ女か」と思われるのも嫌だったので、なるべく利用者の少ないトイレを選んだり、ほかの人となるべくすれ違わないタイミングを狙ったりなどと、神経をすり減らしていました。人数が多すぎるコミュニティだからこそ、完全に男にしか思われない容姿を手に入れない限りは、願う性別で過ごすことは叶わないだろうという諦めがあったと思います。

 また、当初所属していたバンドサークルの先輩でゲイだと公表している人がいたので、一方的に親近感は覚えていましたが、在籍中にセクシャリティの話をすることはできませんでした。その人は身も心も男性として男性に惹かれるからこそ困難を抱えているのに、僕なんか男として男を好きだと自分では思っていても、体が女である以上「まだ有利だろ、可能性あるじゃん」と思われてしまうのではないか……と悪いほうに考えてしまって(実際その頃、ネットで知り合った男性と付き合っていました)、そういう話題を切り出せませんでした。

 そして、女性の先輩方は、意図はわかりませんがレディース服のお下がりをくれたりしていたので、もう諦めて、頑張って女の子になりきったほうがラクなのではないか、とも考えました。そして一大決心でもらった服を着て、通学もしてみたのですが、行きの電車の中から早くも具合が悪くなってしまいました。自分は今、女性の格好をしている。周りから女として認識されている。それだけで気持ち悪く、耐え難くて、やっぱり女性として生きることなんて無理だ……と改めて確信しただけでした。

 精神的にも不安定になってきたため、思い切って大学の保健センターに相談し、親の許可も得られて、ジェンダークリニックに通い始めました。インターネットでも診断基準を調べていたので、自分はそこに該当するとほぼ確信していましたが、やはり性同一性障害だという診断を受けました。長年の問題にちゃんと名前がついたことで、少なくとも自分の勘違いではなく「自分はこういう障害だから、こうなんだ」と言える根拠をもらえたという安堵感を覚えました。

 次に来れば診断書を書いてもらえる、つまり男性ホルモン投与や性別適合手術への道が開けるという段階でしたが、そこに進むことは、親から主に健康上の心配で大反対されていたし、押し切って自分で全部やれるほど自立していなかったので、お金を払ってまで書いてもらう必要もないやということで、通院はやめてしまいました。


カミングアウトを始め、積み重ねていく

 当時の友達(ストレート)に、性同一性障害だということを話したら、知り合いや有名人を挙げて「手術もして、完全に男になって女性を愛してこそ一人前。そこまでの覚悟はないだろ」みたいなことを言われてムカついたこともありますが、医者から認めてもらったというだけでも、だいぶ精神的な安定を取り戻しました。母親に比べて、当初はあまり認めてくれていなかった父親も、医者がそう言うなら……と、この頃から少しずつ理解しようと(ありがたいことに今では「長男です」と紹介してくれるまでに)歩み寄ってくれるようになりました。

 診断をもらって多少自信がついたからか、大学2年生の途中で移籍したもうひとつのバンドサークルでは、自分のセクシャリティを周りに伝えるようになりました。今までのように黙っていたら、また女として扱われてしまう。もうそれだけは嫌だ! という一心です。

 伝えてみたら、周りの反応はわりとあっさりしていて、引かれもせず、逆に突っ込んだ質問もほぼされず、なんとなく男でも女でもない感じのポジションに落ち着きました。男扱いまではいかなくても、とりあえず女扱いがなくなるだけでもかなり嬉しかったのを覚えています。基本的には、普段のバンド活動において性別はそんなに重要なことではなかったので、ヘヴィメタルのコピーバンドを組んで思い切り激しくドラムを叩くことで、日頃の生活での性別によるストレスも忘れることができました。

 また、合宿の時に、実行委員の後輩たちが「すみません、どうしても男女別の部屋にしかできなくて、女子部屋に泊まっていただくことになっちゃうんですが……」と、本当に申し訳なさそうに謝りに来てくれて、そこまでこちらの気持ちを考えてくれたことが何より嬉しくて、心遣いにひたすら感謝しました。そして、そういうふうに、周りから「便宜上は女子部屋にいるけど、女子というわけではない」と認識されてさえいれば、だいぶ気持ちがラクになるんだということも実感しました。


絶望の谷を超える

 とはいえ、体の性別に対する違和感、嫌悪感そのものが消えたわけではなく、この状態のまま生きることに肯定的な将来像を描くことも出来なくて、日中は楽しくしていても、夜になるとどうしようもなく辛くなって、自分の体を殴りつけたりしながら泣いていました。また、子どもの頃から信じていた神様に向かって、「なんで女の体に造ったんですか! なんで、女の体にするなら、女の心にしてくれなかったんですか!」と、怒りや悲しみをぶつけながら、声にならないうめきのような祈りをしていました。

 ところが、正確な時期は思い出せないのですが、ある時ふっとこんな思いになりました。「神様が自分をこういうふうに造ったからには絶対、何か意味とか目的があって、こんな自分だからこそ誰かの役に立てる道があるはずだ。こんな自分でも、ありのまま愛し合えるパートナーが与えられて、幸せに生きられる未来が用意されているはずだ」。

 それは、誰かから説得された言葉でもなく、自分で考えついた理屈でもなく、本当に唐突に悟りが開けたかのような独特の体験でした。自分でそう思おうとしたってきっと納得できなかっただろうし、まして誰かから言われていたら猛烈に反発していたはずです。個人的には、「神様から語りかけられたような体験」と思っています。だから「こういうふうに考えればラクに生きられるよ」などと、他の誰かに言うことは絶対できません。でも、僕自身は、このときから漠然とではあっても、将来に対して希望のようなものを持つことができるようになりました。

 さらに、紆余曲折あって、見習い入社した造園会社を半年で辞めてしまった後、神学校(牧師などになるために聖書やキリスト教の教えを学ぶ学校)に入学したのですが、そこで初めて、男子として学生生活を送ることができたのです。入浴などの課題は、家族連れの方向けの寮に入れるように図らっていただけて解決しました。男同士として語り合える友達が何人も出来て、ますます、神様が自分のセクシャリティを肯定してくれていると感じました。

 そして、体はまったく変えていないし、自分でも見かけや声などの男らしさにはまるで自信がなかったにもかかわらず、接する中で「いやーやっぱルカは男だわ!」と言い切ってくれる友達に囲まれて、それまでずっと心残りだった、体の性別への執着がかなり薄れていきました。かつては、体を変えない限りは男として扱ってもらうのは無理だ、という思い込みもあったせいで、ホルモン注射や手術を望んでいたけれど、自分にとっては、体そのものの性別よりは、周りがどう扱ってくれるかのほうが大事だったのだ、と自分が本当に望んでいたものに気付くことができたのです。一時は、「性同一性障害」という“診断”に救われていた面もありましたが、性別違和に苦しんでいるという印象を与えるその呼び方より、出生時に割り当てられた性別と異なる性的アイデンティティを持って生きているという意味の「トランスジェンダー」と名乗ることが、しっくりくるようにもなりました。


約束の虹ミニストリーの活動の中で~僕がトランスジェンダーを名乗るワケ

 神学校卒業直前の時期に、牧師ではなくいち信者としてセクシュアルマイノリティのために活動するようにという神様からの「お告げ」のようなものを確信し、2015年の春から、「約束の虹ミニストリー」の活動を始めました。誰かのためにという思いで始めたその活動の中で、たくさんのLGBTクリスチャンの仲間たちに出会うことで、まだまだ僕自身が囚われていた規範、思い込み、しがらみから、どんどん解き放たれていくのを感じています。

 僕は現在、父の経営する建築設計事務所で働きながら約束の虹ミニストリーの活動をしています。そのかたわら趣味として、ハマっているバンドを観に行ったりコピーバンドでドラムを叩いたりもしています(残念ながらコロナで思うように動けなくなってしまいましたが……)。以前はライブハウスに出入りするとき、とにかく男に見られたい、体が女であることを悟られたくないという思いが強すぎるあまり、せっかくの楽しい場でも、どこか常に気を張っていました。

 でも、ミニストリーに集まってくれる仲間たちと共にセクシュアリティと信仰のことを何でも話し合える時間を重ね、ありのままを受け止めてもらえる体験を繰り返していくことで、「何が何でも男として認識されなければいけない」というプレッシャーから解放されていきました。

 ライブハウスで初対面の人から女性として見られていると感じたときに、以前なら「いや男です」「えっでも」「男です!!!」と、相手にモヤモヤが残るし自分もスッキリしないやりとりをしていたところを、「あー、体は女性として生まれましたけど、トランスジェンダーで、アイデンティティは男性なんです。男性として接してくれたら嬉しいです」と落ち着いてカミングアウトすることができるようになりました。すると相手もたいていは「あーそうなのね! じゃぁルカくんでいいかな? よろしくね!」とあっさり受け止めてくれるし、その常連さんが周りの人にも「ルカくんだよ~」と紹介してくれるようになったりして、どんどんライブハウスが居心地の良い場所になっていきました。

 もちろん、女性だと思われてるなって感じるときは相変わらず凹むし体が一瞬固まるし、説明の前には深呼吸して心を整えないとカミングアウトの言葉を出せなかったりもします。男子トイレに入って誰かに咎められたらどうしようといちいち懸念しなければならないストレスも変わっていません。そんなふうにいつもいつもマイノリティの側が緊張や説明にエネルギーを奪われなければいけない現状は、看過されるべきではないと思っています。

 だからこそ僕は、こうして周囲の理解してくれる人に恵まれた者として、率先して自らのセクシュアリティを晒(さら)すことにしています。そうすることで、社会の皆が「体や見かけの性別と違うアイデンティティを持っている人も、自分たちと一緒に生きているんだ」という事実に慣れていって下さるんじゃないか。それによって、やすやすとカミングアウトできない状況にいる仲間たちも生きやすい社会が一歩ずつ生まれていくはずだ。それが、地道で小さなことだけど身近なところからできる、自分に与えられた使命の果たし方のひとつなんじゃないか……そのように今は思っています。


さいごに

 身近にトランスジェンダーなのではと思う人がいらっしゃる方へお願いがあります。たとえ周りの人たちがとっくに気付いていたとしても、なかなかカミングアウトできない・したくない人もいます。そのような人がいたら、無理にカミングアウトさせようとしないで、その人が扱われたいと願っている性としてただ接していただきたいのです。

 カミングアウトをする理由が人それぞれあるように、しない人の理由も様々です。カミングアウトが受け入れてもらえるか分からないという不安だけでなく、「"トランス"男性・"トランス"女性」ではなくただ「男性・女性」として暮らしたいという願い、トランスジェンダーであると伝えることで余計な気を遣わせてしまうのではとか特別扱いされたくないという懸念、自分自身トランスというアイデンティティを引き受けられていなかったり、まだ言葉にして周りに伝えられる段階にいない、など……。

 「話してくれたら、受け止めるのに!」とやきもきするかもしれません。でも、当人は必死に、自分の生きる世界を探り見極めながら、一度話したら取り消せないカミングアウトというものを誰に対してすべきなのか検討し続けています。誰に、いつセクシュアリティを打ち明けるのか決める権利を持っているのは、その人自身です。もしもカミングアウトされたその時には、ゆっくりと聞いていただければ幸いです。

 受け止める準備が出来ていたつもりでも、いざ当人から打ち明けられると、親しい関係であればあるほど、その重みに耐えきれなくなることもあると思います。特にクリスチャンの場合、教会でそのことがどういう扱いになるかという不安も共に負うことになるかもしれません。

 そのようなときは、ぜひご相談くださいね。一緒に悩みつつ、とことんお付き合いさせていただきたいと思っています。もちろん、トランスジェンダーご本人の方からのご相談も、全力でお受けいたします。ご連絡を、心よりお待ちしています。

【留架の母の視点で書かれた証しはこちら】