西成区の歴史【古代〜中世】 2021.01.08 06:21 西成区の歴史 (Wikipedia)【古代〜中世】中世ごろまでは現区域の大半が海辺に面していたと推定される。海道・甲岸・入船(以上、現在の萩之茶屋付近)、曳舟(現在の天下茶屋北付近)、今船(現在の天下茶屋1丁目付近)などの旧地名は、海辺に面していた痕跡を伝えていると考えられている。後奈良天皇は1557年4月、宮中への大鯛献納に対する感謝の意を示す文書を、今宮村に対して出した。区内にある弘治小学校の校名は、文書が出された当時の元号・弘治に由来している。区の南部の玉出は12世紀以降開発が進められ、中世・近世には生根神社を中心とした環濠集落となっていた。