日本人の起源
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7099567 【神道・物部氏】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7077184 【物部氏=タケミナカタ?】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/11688872 【物部氏の正体】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10803091 【秦の方士 徐福伝説と物部氏の正体(前編)】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10803713【秦の方士 徐福伝説と物部氏の正体(中編)】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10804388【秦の方士 徐福伝説と物部氏の正体(後編)】
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=278148 【日本人の起源(縄文・弥生・大和)】より
【セレンディピティ】より『物部氏リンク)』を転載します。
物部氏を調査してゆくと西アジアの情勢を把握する必要がありそうです。ユダヤやイスラエルなどの人々との関係もあるようで、西アジアの文化を何がしかの方法で日本に伝えられたと思われます。
--------------------------1より
ここで、以前調べた【白鳥族】のことを補足します。
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古代、白鳥をトーテムとする部族は欧亜にかけて存在しました。
【白鳥族】は匈奴の中にいました。後の【匈奴】は自称【フン】Hu-unといいましたが、これはメソポタミアのウル語の【鳥】=【フ】huに起源しています。
彼らは鳥(フ)をトーテムとしていましたから民族名を【フン】と称したのです。そして、この鳥の【フ】は、3世紀、馬韓の長い王号の中に、濆(フ)、不(フ)、報(ホウ)としてありました。また高句麗では王妃部の絶奴部が、細群(さいぐん)と麁群(そぐん)に分かれていましたが、細群が【白鳥トーテム族】、麁群が【大角鹿トーテム族(スキタイ人)】でした。
いうなれば、白鳥トーテム族が匈奴に、高句麗に、馬韓に、いたのです。
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国史で猿田彦といわれるユダヤ・ガド族は、BC10世紀以降のウラルトゥ(ウガヤ王朝)時代からの歴史を【高天原の由来】として、ホツマ文字(神代文字)で書かれた【秀真伝】など、五七調の叙事詩として語り伝えながらシルクロードを東遷して中国→朝鮮→対馬へと至りました。
そこで【記紀】では降臨したのがニニギノミコトでコノハナサクヤヒメと一緒になってという話が出てきますが、その天孫降臨、実際にはユダヤ系のガド族、日本名では猿田彦が最初にやってきました。彼らが天降って王宮を作った場所は吉武高木遺跡です。
他にも、イエス・キリストを生んだゼブルン族、日本で言えば宗像神社の三人の姫=宗像神社の御三神に相当する人々、さらには女王卑弥呼と大物主命などの系統であるイッサカル族、これらが三位一体となり連合して竺紫の地に渡来しました。ここには糸島半島がありますが、ガド族らは、ここに上陸しています。この吉竹高木でつくった国を伊勢国といいます。
この伊勢国がやがて近畿地方に移るため、区別してこの地を【旧伊勢国】としていますが、この時、最初の【伊勢国】を建てたのです。伊勢の君・猿田彦は鉄鐸・銅鐸文化の祭祀者であり、秦末の【焚書坑儒】事件で多くの王族や儒者たちを殺されたガド族がイスラエル北朝からユダヤ南朝系に変身して急遽、鉄鐸・銅鐸文化を携えて日本列島へ亡命したのです。
こうして九州博多の地に新しい青銅器文化の先進国が建設されました。
次に、その初代猿田彦命に続いて、二代目の猿田彦は、イスラエル神(バアル神)を祀る太陽神殿(天照大神を祀る日代宮)を平原王墓(遺跡)に築き、 八咫鏡・神鏡・鉄剣・勾玉など【三種神器】を奉納しました。それが九州社会を発展させるきっかけになりました。
この頃、九州の地には以前から縄文人や稲をもってきた苗族、あるいはシュメール人のグループといった先住民が居住していました。猿田彦二世は、その人々を支配化においてユダヤ人たちのヘレニズム文化(ギリシアとペルシャの混合文化)によって鉄鐸・銅鐸を生産する青銅器文化を九州全体に繰り広げていきました。
【鶴族】は物部氏のこと、【亀族】とは九州豊国(金官加羅)の中臣氏のことです。