連句のルール
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kyonta/renku/koza17.htm 【講座17>連句のルール(2)特別な句の作法】 より
さて百韻でも歌仙でも、最初から三句目までと最後の句は特別な名前が付けられ、特別な作法がありました。それをまとめたのが次。
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1 発句-①客の挨拶であり、当座の情景・感懐を詠
→季語(但し千句・万句の第二百韻以降はさ
らずとも可)
②一句としての独立性を持たせる→切字
*十八切字-かな・もがな・ぞ・よ・や・か(以上終助
詞)けり・ず・じ・ぬ・つ・らむ(以上助
動詞)け・せ・へ・れ(以上動詞命令形活
用語尾)し(形容詞終止形活用語尾)いか
に(副詞)
*芭蕉の意見-切字なくては発句の姿にあらず、付句の
体なり。切字を加へても付句の姿ある句あ
り、まことに切れたる句にあらず。また切
字なくても切るる句あり。その分別、切字
の第一なり。(三冊子)
2 脇句-①亭主の挨拶返し→発句と同季・同所・同時刻。
②韻字留(真名留)が多い。
3 第三-①発句・脇から転ずる。
②丈高い句であること。
③「て」「にて」留めを普通とし、場合によ
っては、「らん」、稀に「に」「もなし」で
留める。
4 挙句-①正客・亭主以外の人が詠む。最初の一巡に
執筆の句なき時は執筆。
②<祝言>の心をこめて軽々と詠む。
③前句と同季。
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発句について、これまでに例示した百韻・歌仙は全て客が詠んでいましたね。『水無瀬三吟』の場合三人とも水無瀬を訪れているので客も亭主もないのですが、一応肖柏が案内者なので亭主役。後の二人のうち主客は宗祇ということで宗祇が発句を詠んだわけです。
なぜ客が発句を詠むのかと言うと、連句は複数で詠むのが原則で、するとたとえば誰かのうちに集まってとか、みんなでどこかに出かけて詠むわけですね。誰かの家に集まれば亭主一人を除いて後は客。みんなでどこかにという場合も、幹事がいるわけでその人が亭主になり、あとは客分となるわけです。
で客が亭主の家に行けば必ず挨拶をする。その時大体客の中の主だった人が他の人々を代表して挨拶することになるでしょう。これが発句になるわけです。
さてその挨拶というと、まず相手を誉めることが古来の作法。相手がその家の亭主ならば「いいお宅ですねえ」とか、幹事役ならば「いやいや今日はどうもご苦労さん」とか言うもので、あばら屋だと思ってもそうは言わない、下手な幹事だと思っても「あんたのやり方はちょっとまずいよ」とは言わない。そこで発句も亭主を誉めるのが作法ということになります。
それから日本人の挨拶は古来時候の挨拶を含むのが普通でした。これは日本の国土が昔から四季に恵まれていたことと、古来農耕社会であったので、ことのほか四季の巡りや気候を気にする国民だったからでしょう。
そこでその時候の挨拶に折り込むための言葉を取り出して体系化したものが季語になったわけです。季語というものの成立についてはまだ十分検討されていないように思いますが、多分こう言って特に間違いではないのではないかと考えています。
発句に季語を詠み込まなければならないというのはこういう事情があるからで、それに対して近代の俳句でも季語を詠み込むことになっていますが、挨拶性を喪失し独立したの詩であるはずの俳句になぜ季語を詠まなければならないのか、発句時代の習慣をただ引きずっているにすぎないということと、川柳と区別するためという二つの消極的理由の他にどういう意味があるのか、私にはわかりません。というより、俳句という純粋な詩に変化した時点で切り捨てるべきだったのではないか、それを切り捨てられなかったのは、結局俳句が、連句時代からの伝統の中での一変形に過ぎないのであって、決して連句と決裂して成立した純粋詩などではないことを物語っているのではないかと考えています。
なお私は発句の性格としてこの挨拶性を非常に大事なものと考える訳ですが、『連句への招待』も『連句入門』も、昔から「客発句、脇亭主」と言われていたと一応言及はするものの、余り強調してはいませんね。認識の違いがあるようで、本当はどう考えたらいいの
か検討課題であります。
次に切れ字ですが、これも発句が連句の最初の句だからこそ意味のあるもの。つまり百韻も歌仙も、脇句以下の全ての句が前句を契機として詠まれ、前句と響きあって一つの世界を作るという連続性の中にあるのに対して、発句だけは前句がない。そこで前句がない
発句にいかにも前句があるかのように装うために、一句を二句であるかのように見せ掛けるために使われるのが切れ字のようです。
たとえば「風流の」の発句、
風流のはじめや奥の田植歌
の場合、風流の初めが奥の田植え歌だというのじゃなくて、「風流のはじめ」の部分が疑似前句、「奥の田植歌」の部分が疑似付句になっていて、「風流のはじめだなあ」と詠嘆していると、そこに奥の田植え歌が聞こえて来た、という構造になっているというわけ。
だから切れ字として使われる語は別に発句だけではない、語としては後の句に使われることもあるのだけれども、そこでは切れ字としての特別の意味はなく、その語としての普通の意味で使われるわけです。たとえば同じ「や」が同じ巻の名残裏の初句に、
さびしさや湯守も寒くなるままに
と使われてますが、これは切れ字ではないんですよね。だから芭蕉も切れ字がなくても切れる句はあるし、切れ字が使われていても平句になちゃう句もあるんだよ、と説明しているわけだろうと思います。
でこの切れ字も、現代の俳句に使われる訳ですが、少なくとも発句にとってこういう意味があったという以上の意味はない、ということは季語の場合と同じだろうと思います。
参考までに「風流の」を解釈しておくと、白河の関を越えて奥州に踏み込んだ芭蕉が、ここから私の風流の旅が始まるのだ、と思っていたら、折しも庭先から奥州の田植え歌が聞こえて来た。等窮さん、なんとも素晴らしいもてなしをしてくれるじゃありませんか、というわけで、見事に亭主の等窮を持ち上げた挨拶をしているわけです。
なお発句が「当座の情景・感懐を詠む」ということは、脇句以下は全て「当座の情景・感懐を」詠まないということです。では何を詠むか?
要するに想像力によって作り出した世界を詠むということです。これが現今の日本人にはちょっと難しいかも知れない。なぜかというと近代の日本文学の大きな特徴になっているのがヨーロッパの自然主義に影響された私小説の伝統。自分の生活を嘘偽りを交えずに描写するのがいいとされていまして、想像力などという得体の知れないものによって作り出された世界は絵空事として軽蔑する傾向がいつのまにか生まれてしまった。
しかし文学というのはもともと絵空事の世界なのであって、絵空事を軽蔑する人に文学を云々する資格はない!!文学の世界では月に人が住み男が女に女が男になり、文豪が猫になるのである。それを認めない人間はついに文学とは無縁な人間なのであーる!!と叫ばなくても、パソコン通信やってるような人にはわかりますよね。
でそういう中で発句は、唯一その時その場で感じた実情・実感を詠むものなのであって、だからこそ連句の中の特別な句の中でも特に特別な句だということになるわけです。
さてその発句に対して、脇は亭主の座。当然これは亭主の挨拶返しなわけですから、発句で持ち上げてくれたお客さんに対して、謙遜して答えるわけです。連句は変化の文学と言ってもここでは余り変化は心掛けず、発句に寄り添い素直に返答しなければいけません。で季節も場所も時刻も発句と同じにするわけ。
等窮の
いちごを折りて我がまうけ草
は、「いちご」が夏で発句と同季、場所と時刻は一句ではわかりませんが、少なくとも朝や夜ではない。
「いちご」は現在のオランダイチゴではなく野趣に富むキイチゴだとのこと。「まうけ草」はご馳走のこと。こんな田舎ではご馳走といってもこんなものしかありませんが、と謙遜して、しかしこれは私が手づから折ってきた、私としては精一杯のおもてなしですよ、と言ってるわけです。立派な挨拶返しですね。
韻字止めにするのも発句と一体になって、一首の和歌のような一つのまとまりを作り出すためのもののようです。
次に第三はここが百韻なり歌仙なりの変化の始まり。以後の句も全て前句に付きつつ打ち越しを離れるという精神で続けられる訳ですが、その最初の句ということで大事なところです。
曽良の第三
水せきて昼寝の石やなほすらん
は若干晦渋な句ですが、「せきて」は塞き止めるということ。「昼寝の石」とは、「石に枕し流れに漱ぐ」という故事により、山奥に住む隠者の生活を暗示する語。前句のいちごをその隠者が昼寝の枕にした石を直してその上に置き、自分一人の貧しい食事とする情景を描いているのだろうと考えられます。
発句と脇句で作っていた、田植え歌が聞こえて来る里の人家における客と亭主のやりとりの場が、一転して山奥の渓流の孤独な隠者の食事の場面に転じられたわけです。
山奥に住む孤高の隠者ということで②の丈高さもあり、③に言ううちの「らん」留めにもなっていますね。
さて最後の挙句ですが、これは執筆の句と言うより、正客でも亭主でもない人が詠むのが作法ということでしょう。大事なことは②の祝言性と、まとめに書きませんでしたが終わらせないということ。
祝言性は多分、連歌の時代に連歌が神社や寺の境内で法楽のために行なわれたというあたりに起源を発しているのだろうと思います。戦乱打ち続いた中世には、平和や安定を願う気持ちが強かったということでもありましょうか。平和な時代ではあっても、そこに集った人々の幸せと和を願うのは当然のこと。現代においても祝言で終わらせる意味は十分あると考えます。
終わらせないというのも多分それと関係があるので、幸せがいつまでも続いて行くように、という願いがこめられていたものと思います。
ちなみに「風流の」の挙句は曽良が詠んだ
蚕飼コガヒする屋に小袖かさなる
という、等窮邸の繁栄を祝うものでした。
以上4種類の句以外は全て平句と言います。平句の中のどの句かを指定する時は、たとえば「名残表の何句目」とか言います。
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うーむ、なかなか面倒なことになって来たかな?しかしルールブックというのは何でも面倒なもので、実際に運用する時にはそれほどには感じないのが普通でしょう。ま、残りはまた。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kyonta/renku/koza18.htm 【講座18>連句のルール(3)定座と巻の構成】より
今日は月と花の定座と連句一巻の構成の話。
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特別な句としてはもう一つ、月と花の句があります。和歌の伝統の中で、何時の間にか(万葉集の時代には特にどうということもなかたのだと思いますが)月と花は極めて大事な題材になりまして、その伝統が連歌から俳諧へと引き継がれた結果、俳諧においてはも
う詠む場所まで決められるということになりました。これを定座ジョウザと申します。それは次の通り。
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5 月と花の定座
百韻(四花七月) 歌仙(二花三月)
初折 表 七-月 五-月
裏 十-月・十三-花 八-月・十一-花
二の折 表 十三-月
裏 十-月・十三-花
三の折 表 十三-月
裏 十-月・十三-花
名残の折 表 十三-月 十一-月
裏 七-花 五-花
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但しどうしてもそこで詠まなきゃならんというわけでもなくて、概ね定座より前に出ることは差し支えなく、後に出ることも花は「こぼす」と言って嫌われましたが、月の場合はそれほど厳しくはなかったようです。
ただ月の場合空に出る月と暦の月がありまして、後者は<月次ツキナミの月>と呼ばれ、本当の月ではないと考えられていたようです。
それから花の場合、要するに桜の花を指すわけですが、「桜」と言ったのでは花ではない、ということになっていました。「花」というのは単なる植物の一種類ではなくて、要するに最高の美を象徴する言葉と考えられていたのでしょう。
そこで花の句を詠む人は、これは連歌の時代から貴人・宗匠・珍客ということになっていたのですが、一座に初心であっても少年がいる時には、そういう人に詠ませることがあったそうで、これを「若い者に花を持たせる」と言ったのだそうです。
ところで月というのは世界中の国により民族によって、そこから何を感じるかが違うもの。今連歌・俳諧は世界中で注目されつつある文学形式で、外国で連句を巻く試みというのも色々行なわれていますが、この月、また外国人には日本人ほど桜への思い入れがないので花も、外国に移植する(植えるんじゃなくて感じ方・考え方を)のは難しいでしょうね。
この間のカナダの学生への授業でも、時間がなかったのとどう説明したらいいかわからないのでこの話はしなかった。勿論時間があればしつこく説明したはずですけどね。
さてお次は一巻の構成について。
連句は基本的に「三句のわたり」、すなわち打越と前句と付句の三句の関係に注意しながら付け進めて行けばいいので、全体でどういう構成を持たせて、それによって何を言わんとするかという、いわゆる主題などというものはありません。
今までに説明したかどうか忘れちゃいましたが、この主題がないというところも連句の特筆すべき特長。
ほら、学校の国語の時間に、この小説の主題は何だとか言われて先生に責められたでしょ?連句を知らない人は文学作品には必ず主題があると思い込んでるのよね。で実際ある作品は多いわけだけど、でも文学作品にとって主題が何かなんてことは全然大事な問題じゃないのよね。これは文学の先生が言ってるんだから嘘じゃありません。主題がわからなかった人、そんなことで国語が嫌いになっちゃやだよ。
そして連句の場合この主題が始めからないのですが、しかし一巻全体のゆるやかな構成は、昔から色々考えられていました。その代表的な意見を抜き出すと次の通りです。
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○百韻
一の懐紙の面の程は、しとやかの連歌をすべし。てにはも、浮きたる様なる事をばせぬ事なり。二の懐紙の面よりさざめき句をして、三・四の懐紙をば殊に逸興ある様にし侍る事なり。楽にも序破急のあるにや。連歌も一の懐紙は序、二の懐紙は破、三・四の懐紙は急にてあるべし。(筑波問答)
○歌仙
一巻、表は無事に作すべし。初折の裏より名残の表半ばまでに物数奇も曲もあるべし。半ばより名残の裏にかけては、さらさらと骨折らぬやうに作すべし。末に至りてはたがひに退屈出で来り、なほ好き句あらんとすれば、却って句しぶり不出来なるものなり。(去来抄)
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前者は音楽の理論である序破急というのを援用した良基の百韻論で、初折を序、二の折を破、三・四の折を急に配当したもの。後者は歌仙に対するものですが、大体同じですね。歌仙では懐紙を二枚しか使わないので、規模の縮小とそれに伴う若干の変形がある、というところでしょう。
なぜそうするのかは、後者がわかりやすいですね。序の部分は何しろ一巻の顔ですから、ここで乱れては後がどうなるかわからない。破の部分は、やや肩肘張った序の雰囲気から開放されて、思い切り楽しむところ、急はここで沈思したりすると時間がかかって退屈してしまうから、余り考えずにとにかく早くやれということ。
思うにこうした注意は、出来上がった作品を読む人よりも、一座に集まった人達の雰囲気を大事にするという感じがありますね。これはその場にいる人が作者であると同時に読者でもあるわけですから、当然といえば当然のこと。結果として出来たものが第三者の目
にも面白かったら儲け物、しかしそれは作者達のあずかり知らないことであって、そこが集団制作とは言っても、劇の脚本を合作するのとは違うところです。
この関係、パソコン通信のRAMとROMの関係と似ていませんか?ROMの人が見て面白がってくれたらそれはそれでいいけれども、「双方向」というより「多方向通信」であることをその最大の特徴とする(と私は考えている)パソコン通信においては、とりあえず自分のメッセージを見て何らかの反応を返してくれるRAMの方が大事なんだというのとね。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kyonta/renku/koza19.htm 【講座19>連句のルール(4)句材の分類と去り嫌い】より
まだ花と月の定座などは決まっていなかった連歌の時代にも、百韻で四花七月、4枚の懐紙に花は各1回、8つの面に月は原則各1回という決まりは、かなり早くから出来上がっていたようです。そこには2つの理由が考えられます。一つは連歌が和歌の伝統を背景に持っていたということ、もう一つは一巻の変化を図ろうということ。
そしておそらく同じ理由から、花と月以外の言葉も、1巻に何回使っていいとか1度出たら次は何句あけないと同じ語や同類の語を出してはいけないという決まりが出来ました。またそのためにどの語とどの語が同類の語であるか、といったことも考えられました。
どの語とどの語が同類の語だったり別の種類だったり、というと文法の品詞分類を思い浮べませんか?終止形の語尾がウ段は動詞でシは形容詞とか。切字を問題にしたことからも窺えるように、日本語の文法的研究は中世の歌論・連歌論から始まったと言ってもいいかもしれません。平安時代は文法なんか知らなくても物が書けたけど、日常生活で使う言葉と書き言葉が分離してしまった中世には、文法知らないと物が書けなくなってしまった。
そして言葉をいくつかのカテゴリーに分類し、あるカテゴリーの語は1巻に何回詠んでいいか、その場合間隔をどれだけ開けなければいけないか、また何句続けてよいか、ということを決めたのが去り嫌いのルールです。
そのカテゴリーの分類も、分類された語を去り嫌う間隔や連続のルールも、時代により流派により変動があって、なかなかこれこそ決定版というものは示せないのですが、ほぼ芭蕉時代の歌仙のルールを紹介していると思われる『連句への招待』と『連句入門』を参
考にまとめてみました。
実は両書はともに芭蕉時代を基準にしたと思われるにもかかわらず、いくつか見解の違いがあって、その際まだ素人の私にはどちらを採るべきか判断がつきにくかったりするのですが、とりあえずここでは『連句への招待』に基づき、『連句入門』の説を注記するという形で示しました。但し必ずしもその方針で一貫していないところもあります。時間に追われて作った公開講座のプリントですから、その点はお許し下さい。いずれ時間をかけて再検討したいと思います。
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四 句材の分類と去り嫌い
[ 季 語 ] 語例は季寄せ・歳時記参照。
<<五句去り・三~五句連続>>
春・秋
<<五句去り・一~三句連続>>
夏・冬-但し芭蕉出座の作品は二句去りになっている。
*季移り-普通ある季から他の季へ移るには間に雑の句を入れるが、直接転ずる場合がある。
[ 雑 ]
<<三句去り・二~五句連続>>
{恋}-*芭蕉の意見-昔の句は、恋の詞をかねて集めおき、その詞を綴り、句となして、心の恋の誠を思はざるなり。いま思ふところは、恋別して大切の事なり。なすにやすからず。(三冊子)かくばかり大切なるゆゑ、皆恋句になづみ、わづか二句一所に出れば幸
ひとし、かへつて巻中恋句まれなり。また多くは、恋句よりしぶり吟重く一巻不出来になれり(中略)付けがたからん時は、しひて、付けずとも一句にても捨てよ。(去来抄)
<語例>恋・思ひ・涙・情け・傾城・野郎・娘・嫁入り・婿入り・妾・女・後朝・むつ言・かね言・ささめ言・留伽羅・別れ・枕ならぶる・思ひ寝・独り寝・夢・門立ち・文・玉章・契り・伊達・人目・人目の関・人目しのぶ・神を祈る・物憂き・色好み・かこつ・はづかし・名の立つ・乱れ心・妻・待宵・姿見の鏡・占・かたみ・出家落ち、など。
<<三句去り、一~三句連続>>
{神祇ジンギ }-従来三句去り、蕉風では二句去り。
<語例>大嘗会・宮居・社・鳥居・玉垣・片そぎ・駒犬・拝殿・禰宜・長官・御祓・御はらひ・神楽・神輿・祭・榊取る・忌竹さす・御幣・神慮・託宣・夢想・御湯立て・拍手・御籤、など。
{釈教シャッキョウ}-神祇に同じ。
<語例>仏像・元祖・門跡・院家・禅師・長老・上人・和尚・僧正・僧都・法印・法眼・法橋・阿闍梨・検校・碩学・坊官・法師・法体・禅門・入道・発心・坊主・僧・出家・沙門・寺・堂・伽藍・功徳・因果・地獄など。
{旅}-三句去り。
<語例>関送り・駒・慕ふ名残・偲ぶ都・馬の餞・船路・硯・刀・峰越え・分け行く野山・雁の声・月の下臥し・柳を折る・草枕・東路・やつるる袖・逢坂・淀川・駅路・いとし子・一夜妻・藁沓・蓑笠、など。
{述懐シュッカイ }-しみじみした思いを述べる事。
<語例>往昔ムカシ ・年寄・浪人・老・白髪・後家・命・うき世・身のうき・姥・貧・隠居・隠者・遁世・苔の袂・苔衣・墨染・眉の霜・わび住み・捨る身・零落オチフル・家を売る・売り食い・古家・其の日過ぎ・すりきり・不幸せ・継子・寡・乞食・世捨て人・渡世・借銭・年忌・月忌・遠忌、など。
{無常}-述懐のうち特に死葬に関する詞。
<語例>塩干山・あだし野・無常の煙・死出の山・みつせ川・死人・棺・たち酒・野べの送り・灰よせ・墓・塚・中陰・四十九の餅・魂結び・人魂・力落・枕食マクラメシ ・腹切る・白骨・冥途・黄泉・喪・髑髏・幽霊・ふるき枕・辞世、など。
{夜分}-芭蕉時代二句去り。打越を嫌わぬ場合も。
<語例>日待ち・神楽・明け方・梟・更くる・七夕・稲妻・宵・闇・曙・暁・横雲・暗き・明け暮れ・露更けて・いさり火・花火・埋み火・床・蝋燭・灯し火・まどろむ・又寝・有明の残る・閨・枕・布団・衾・臥す・送る・後朝・寝る・睦言・下紐・転寝・鼾・狐・灯し・蚊遣り火・むささび・かざしの錦・別れの鳥・苔莚、など。
{山類サンルイ}-異山類は打越も可。
<語例・体タイ>山・峰・嶽・岡・洞・岨・坂・谷・島・尾上・高根・麓、など。
<語例・用ユウ>滝・杣木・懸橋・炭竃、など。
{水辺スイヘン}-異水辺は打越も可。
<語例・体>海・浦・浜・堤・江・湊・渚・島・沖・岸沼・汀・川・淵・池・瀬・洲・滝・泉・井・溝・津・崎など。
<語例・用>水・清水・塩・波・氷室・氷、など。
{居所キョショ}-異居所は打越も可。
<語例・体>門・背戸・窓・戸・障子・蔀・格子・屋・玄関・家・屋根・庵・宅・里・屋形・城・宿・棟・甍・瓦・軒・垣・壁・床・築地・亭・書院・棚・二階・広間・欄干・楼・天井・座敷・台所・
隣・風呂・湯殿・廊下・厠、など。
<語例・用>庭・外面・簾・坪の内・畳・露地・垂布・暖簾、など。
*以上山類・水辺・居所は、体-用-体、用-体-用等、すなわち観音開きにならないようにする。
<<三句去り・一~二句連続>>
{生類ショウルイ }-連歌では「動物ウゴキモノ」と言う。芭蕉時代同生類は二句去り。「同生類」とは魚と魚、鳥と鳥の類。
{植物ウエモノ}-木類・草類に分けることもある。芭蕉時代二句去り。木と草は打越を嫌わない。
{時分}-夜分以外の時間を表す詞。朝日・昼・夕霞など。
<<二句去り・一~二句連続>>
{降物フリモノ}-降物に聳物は打越嫌わず。雨・露・雪・霰の類。
{聳物ソビキモノ}-雲・霞・虹・靄・曇の類。
{人倫}-実際にはかなり自由に付く。
<語例>人・亭主・兄・やもめ・ひとり・老翁・童・花の主・月の友・草刈り・鍛治・盗賊・座頭・ごぜ・年寄・侍・民・雑色・郎等・僧、など。
<非人倫>人形・眷属・思ふどち・二人・大勢・老若・花を主アルジ・月を友・草を刈る・鍛冶屋・敵・奉行・代官、などは人倫ではない。
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ここに載せなかったものとして1句で捨て2句去りの{天象テンショウ }1句から2句連続で2句去りの{芸能}・{食物}・{衣類}・{名所}・{国名}などがありますが、例は挙げなくても判断しやすいものということでか前掲の2書にも説明がないので、ここでも取り上げませんでした。他にもありますが大体この程度の分類を心得ておけば芭蕉時代のルールで付けることは出来るということでしょう。
ちなみにこういうルールのことを「式目シキモク」と呼びますが、その式目は連歌の時代と較べて俳諧の時代にはかなり簡略化されました。室町時代に一人前の連歌師になるためには、そういう煩雑な式目と古今集や伊勢・源氏物語といった古典をマスターするために20年の修業が必要だったと言われていますが、俳諧の時代にはそんなことはなかったようです。談林派の俳諧師だった井原西鶴は、十代の頃から俳諧の点者になったと自分で書いています。いくら何でもそれは若過ぎ、仲間内で点者を気取っていたということでしょうが、連歌時代に較べて修業年数がかなり短縮したのは確かなのでしょう。
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ここまでで連歌の現代的意義と歴史、そしてルールはあらかた説明しました。次回に何冊かの参考文献を紹介して、この講座はとりあえず終了。そして歌仙興行に入るという段取りです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kyonta/renku/koza20.htm 【講座20(最終回)>参考文献】
より
最後に付録として参考文献を挙げておきます。連歌・俳諧について参考書はほかにいくらでもありますが、ここでは現在手に入れやすく初心者の役に立つと思われるものばかりです。
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まず出来れば、というよりこれから連句をやろうという人に最低これだけは持っていてほしいと思うもの2冊。
☆乾 裕幸・白石悌三著『連句への招待』(有斐閣新書一九八〇年五月絶版の後和泉書院から去年6月新版刊行1500円)
☆東 明雅著『連句入門-芭蕉の俳諧に即して』(中公新書昭和五十三年六月540円)
両方とも去年の講座で一番お世話になった本であり、今でも歌仙を巻く時の参考書にしています。連句についてはまずこの2著をお読みになることをお薦めします。私の説明よりも遥かに詳しく正確なはずです。
但し両書は当然のことながら色々な点で見解の違い、強調点の違いがあり、その際どちらの説を取ったらいいか私にはまだわからない点があります。私としてはどちらかというと前者の方が説明がすっきりしているという印象を持っているのですが、芭蕉連句の実態については後者の方が詳しい、という点もあります。出来れば両書ともお読みになることをお薦めしますね。
なお私のこれまでの解説は、あらかたこの両書の縮小再生産という感じがあってお恥ずかしいのですが、たまにこの両書とも私の認識と違っているという場合もありました。その際は臆することなく自分の考えで説明を進めました。
両書とも著者は俳諧研究の専門家ですから、私の認識と両書の見解が違っているとすれば潔く自説を引っ込めるべきだったかも知れませんが、私は原則として自分が理解出来ていることしか書けない、と考えています(実際にはかなり知ったかぶりして書き散らしているのでしょうが)のでそうしたまで。間違いであったと納得出来れば勿論自分の認識を改めるつもりです。
☆何でもいいから歳時記
これは本の題名ではありません。季節感を大事な素材とする連句を巻くためには、季語を登録した歳時記または季寄せは必携で、上の2冊がなくとも歳時記だけは持っていて下さい。読者の多い本なのでこれは各社から工夫を凝らした様々なものが出版されているの
で、中でどれが良いと判断できないので「何でもいいから」としたわけです。
ただ歳時記を使う時注意が必要なのは、編者によって季語の認定が異なり、同じ語が本によって別の季節に配置されている場合がままあること。辞典と同じである言葉をどう使うか、最終的な判断は句を作る人自身にあるということですね。もっともその人の判断が他の人々に認められなければ仕方ありませんが。
以下は読んだら勉強になるけれど、なければいけないというものではありません。文字通りの参考文献ね。
☆小西甚一著『宗祇』(筑摩書房日本詩人選16昭和四十六年十二月)
これは私にとっての連歌の教科書と言ってもよいものです。表題は「宗祇」ということになっていますが、宗祇についての説明は約3分の1。あとは連歌そのものについての説明と「水無瀬三吟百韻」の評釈と連歌の式目に関する若干の表。それは連歌についての認識
が一般に行き渡っているとは言えない現状で、宗祇がどうのこうのと解説するだけでは何もわかってもらえない、という認識によるもの。
著者は私の恩師の一人でありますが、私はあくまでも不肖の弟子。現在ドナルド・キーンに対抗して『日本文芸史』全5巻(講談社より現在第5巻まで刊行中)を一人で執筆中という大変な人ですが、文章は常に平明でユーモアに富み、長い文章でも読者を飽きさせない、学者としては珍しい文章家。連歌は江戸時代からの連歌師の血を引く山田孝雄博士を中心とした連衆の一人だったとのこと。
☆山田孝雄著『連歌概説』(1937年4月岩波書店)
これも連歌入門書として甚だ有益ですが、相当長い間絶版になっていたのが1980年に再刊されて(第三刷ということになってる)私もやっと手に入れたもの。今簡単に買えるのかどうかわかりません。出せば売れるのに出し惜しみするのが岩波書店というところの
悪い癖です。
なお『宗祇』の方は手元にある昭和49年の第3刷が1,100円でしたが、値段は箱に書いてあるので多分今はもっと高いのでしょう。しかしそんなに馬鹿高い本ではなく、とにかくこれ1冊読めば連歌のことはかなりわかりますから、お薦め品です。
☆島津忠夫校注『連歌集』(新潮日本古典集成昭和五十四年十二月)
南北朝から室町時代の代表的な連歌百韻10巻に頭注を付け、巻末の解説を中世の連歌論書よろしく問答体で記した注釈書。まだまだ連歌の注釈が少ない現状では、これだけの作品一つ一つにこれだけの注釈を付けた本は貴重です。
その注はいささか斬新過ぎてすぐには納得出来ない、というものもありますが、実際の作品を読み解いて行くお手本として、やはり価値ある1冊だと思います。1,800円。
☆金子金治郎・暉峻康隆・中村俊定注解『連歌俳諧集』(小学館日本古典文学全集32昭和四十九年六月)
中世の連歌6巻と近世の俳諧貞徳から蕪村に至る百韻・歌仙19巻を収める注釈書。連歌と俳諧を一望のもとに収めようという方のためには甚だ便利な編集。注も詳しくこれまたお薦め。まあ挙げた本全てお薦めですが。
手元のは昭和51年の第3版で2,000円ですが、これも値段は箱に書いてあり、今はもう少し高いはずです。なお小学館からはこの全集の改訂簡略版として「完訳日本の古典」というシリーズが出ており最近完結しましたが、残念ながら連歌集も俳諧集も収めら
れませんでした。
☆潁原退蔵・尾形 仂訳注『新訂おくのほそ道 付現代語訳・曽良随行日記』(角川文庫昭和四十二年九月)
「奥の細道」の注釈書はそれこそ数え切れないくらいあるのでしょうが、一番のお薦め品はこれでしょう。文庫ですから廉価ながら、内容はハードカバーの単行本に決して引けをとらない。
尾形仂はこれまた私の恩師ですから言いにくいのですが、現代の芭蕉学者の中でも第一人者、と言っても石は飛んで来ないのではないかと思います。当然私は不肖の弟子。
☆中村俊定・萩原恭男校注『芭蕉連句集』(岩波文庫一九七五年三月)
芭蕉の連句の中で完本として残っているもの全てを網羅した(と言えるのかどうか芭蕉研究の現状を心得ていない私には断言は出来ませんが)もの。文庫ですからどうせそんなに高いはずはないので、前記角川文庫もそうでしたが値段は挙げません。
☆潁原退蔵校訂『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波文庫昭和十四年二月)
芭蕉の俳論を知るためには最も基本的なものとして定評がありますね。実は私はまともに読んだことがないので、これから読みます。と去年言いながらまだ読んでなかった。いかんいかん、今年中に読もう。
☆白石悌三・上野洋三校注新日本古典文学大系『芭蕉七部集』(1990年3月岩波書店)
芭蕉七部集は芭蕉及び蕉門作品のエッセンスとも言うべきもの。これも岩波文庫に入っていますが、こっちの方が最近出たばかりで詳しい注が付けられている。3900円というのはちょっとお高いかもしれませんが。
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あ と が き
これで去年の私の公開講座報告の焼き直し版「連句講座」全20回の完結です。ここまでDLしてくれたみなさんご苦労様でした。DLして更に熱心に読んでくれた方やリプライをくれた方々、ありがとうございました。