安定的な皇位継承について
皇位継承の伝統
初代神武天皇以来、「皇位」は「皇統に属する男系の子孫」によって継承されてきました。「皇統」とは神武天皇以来の系統を指し、「皇位」つまり天皇の御位は、常に神武天皇の血を引く一系の男子孫によって継承されてきました。
「男系」と「女系」
「男系」とは、父方を通じて歴代天皇さらに神武天皇まで行き着くことのできる方々のことで、「父系」とも呼ばれます。明治以来、憲法や法律上「男系」という言葉が使われてきました。これに対して「女系」とは、母方を通じてしか歴代天皇につながらない方を指します。
皇位が男系によって継承されなければならない理由
「男系による皇位の継承」は、建国以来の皇室の伝統であり、不文法上確立したものです。これを成文化したのが大日本帝国憲法(明治憲法)と旧皇室典範でした。日本国憲法には「皇位は世襲のもの」(第二条)と書かれているだけですが、現憲法は明治憲法をもとに、その改正手続きに従って制定されましたから、この「世襲」は「男系」とみなければなりません。皇室典範に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」(第一条)とあるのは、それを確認したものです。政府も「世襲」は男系であると解釈してきました。
男系で皇位継承を安定的に確保するために
「宮家」は、「皇統」の危機に備え、男性の皇位継承者を確保するためのものです。鎌倉時代以降、「親王宣下」の制によって、「世襲」の宮家である「世襲親王家」が成立しました。室町時代以降は「伏見宮家」「桂宮家」「有栖川宮家」「閑院宮家」の「四世襲親王家」から三方の天皇を輩出し、皇統を支えてきました。
男系による皇位継承を安定的に確保するためには、常に一定規模の「宮家」を確保しておく必要があります。そのために、今考えられる方法は、戦後、GHQの圧力のもとで皇籍を離脱せざるを得なくなった旧十一宮家の男系男子孫の中から、相応しい方を皇族としてお迎えすることです。
旧宮家は、六百年以上の歴史がある伏見宮家の家系に属し、このうち賀陽家、久邇家、東久邇家、竹田家には、二十代以下の男系男子が八名以上おられます。そこで皇室典範特例法を改正して、かつての四世襲親王家にならい、四~五人位の男子を皇族に迎え、将来「宮家」を名乗っていただくことができれば、安心ではないでしょうか。