西成区の歴史【近代以降】 2021.01.12 02:15 西成区の歴史 (Wikipedia)【近代以降】明治時代には町村制の実施により、現在の区域は西成郡今宮村、木津村、勝間(こつま)村(のちの玉出町)、川南村および東成郡天王寺村の一部となった。1899年の大阪市第一次市域拡張により、今宮村と木津村の北部が大阪市に編入され、今宮村南部と木津村南部が合併して新たな今宮村(のちの今宮町)となった。また川南村の大半も大阪市に編入されたが、唯一編入されずに残った川南村大字津守新田が津守村として独立した。明治時代後期以降、南海鉄道や阪堺電気軌道などの開通により、天下茶屋から北畠(現・阿倍野区)・帝塚山(現・阿倍野区・住吉区)にかけての界隈が郊外住宅地として開発された。また大正時代以降大阪市の拡大とともに、大阪市に近接している地理条件から人口が急激に増加し、住宅地、工場地へと変貌した。特に花園町、岸里、玉出などは商店街が栄え、木津川沿いは繊維、鉄工、造船などの大工場が立地した。