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神崎琴音

要約できなかった2020年

2021.01.12 12:43


 第二次緊急事態宣言=ステイホームである。夫は眠っている。

先日結婚式場の下見に行った。

私と夫は第一次ステイホーム期にインターネットで知り合い、宣言解除後に初対面し交際から婚約、入籍までを済ませ、では結婚式をというところまでを、第二次ステイホーム前にすり抜けた形になる。


2020年はこんな年だったねということを、わたしたちはこれからの人生も結婚とともに思い出すことになるのだろう。


(大学入学前に震災があり、入学式がなくなり、大学が5月からになったことを思い出す。

震災が起こったとき、わたしは北海道の実家で幼馴染とお化粧の練習をしていた。)


2020年はのんびりしていたようで、振り返ってみるとわたしにとってはけっこう激動であったのだ。

1~3月にはまだ前の恋人と同棲していたのだが、同時にうっかり別の人を好きになってしまい、ひいてはその人が関西へ転勤する、さあどうする、という局面にぶち当たっていたのだった。めちゃくちゃだ。人を好きになるというのは本当にどうしようもないもので、一度はすべてを捨てて関西移住計画を遂行しようかと思った。むちゃくちゃだが、当人は至って真剣で、深刻で、唯一無二だった。


愛か演劇かを選ぶようなもので、どちらを選んでも身が引き裂かれる思いがした。

結果無理矢理だったが愛を選ばせてくれなかった通りすがりの関西の君のおかげで、わたしはすべてを捨てずに済み、東京に残った。恋人とも別れた。


恋人が部屋から出ていき、二人分の2年間(同棲前を含めれば4年間)の思い出のある一人ぼっちの部屋で、緊急事態宣言が出されるかという世の中は先行き暗く、わたしはアルバイト先で勤務中に涙が止まらなくなってしまった。

もともと2017年からうつというか適応障害(病名はどうでもいい)を患っていて、そのころにはかなり良くなっていたのだが、またぶり返したと思った。メンタルの死セカンドシーズンである。勤務先である百貨店も宣言を受けて休業となったのも幸いして、わたしは実家に避難した。


(もっと簡潔に書くはずだったのだが記録しようと思うと詳細を書かずにいられないものである。)


実家療養中には姉が切迫早産でほとんど動けないために実家にこれまた避難してきており、わたしは姉の上の子である2歳児を追いかけ回しているうちに1日が終わるという生活を送ることになり、それもまたごちゃごちゃ考えずに済むのでよかった。


そんな中、心の傷には次の恋人をということで、マッチングアプリを始めた。なんとなくその界隈を見ているうちにTwitter婚活というハッシュタグを見つけ、別アカウントを作って参加してみた。そこで出会ったのが今の夫である。ほんとうにありがとう。


そこから先はわりと最近のことなので思い出ベースの要約はできないのだが、簡単に記録すると、

型通りビデオ通話で話し、5月末に宣言が解除されてわたしは東京に戻り、彼と初対面した。3回目のデートでプロポーズを受け婚約し、7月末から同居。


9月にはなぜか私が職場との反りが合わなかったか新生活に疲れたか、メンタルの死サードシーズンを迎え、職場に行こうとすると涙が出て行けなくなってしまった。10月末に5年半続けた仕事を辞めた。そして12月に入籍。そんな1年である。


わりと自分の面倒をみてばかりの1年だったが、そんな年があってもいい。わたしは28歳になったが、年相応の精神は身についているなと思う。これから右肩上がりに歳を取るのが楽しくなればいいなと思う。