Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

yoyo

当たり前を問い直していくこと

2021.01.12 16:28

昨日散歩へ出かけると振袖を着た女の子やスーツを着た男の子たちがちらほら駅前にいた。数えるほどしかいなくて驚いた。

自分の子どもは、成人式のために髪のばすの、とかそんな会話しなくなるんだろうな、成人の日にはみんな里帰りして集まって式を挙げてたの?なんで?っていつか訊かれるかもしれないな、とかそんなことを考えた。


「人と会える=しあわせ」という前提があって私たちは「悲しいけれど今は我慢しよう」とか言っているわけだけれど、子どもはその前提すらないまま、会えなくて当たり前のまま生きていくんだなあと思うと、本当に「人と会える=しあわせ」だったのかなと考えざるをえない。

同じ世界を生きつつ違う世界を見ているというのは、まあ今までだって、誰だってそうなんだけれど、コロナを挟むことで余計に際立つなと思った。コロナ以後しか知らない子どもと一緒に生きていくということは、いろんな当たり前を問い直していくことなのかもしれない。


---


小説書くの苦しい期に入っている。過去作の直しをして、これで次はもっといいのが書けるぞ~と思って取り掛かったから、多分、肩の力が入りすぎているのだと思う。こんな風にエディタにベタ打ちで文法とか読みやすさとかなにも考えず、思いつくままに書けたら楽だけど、それではダメだし、自分でもそうしたくないと思っていて、だから上手く力が抜けない。そういう書き方をする小説も書いてみたいけれど、今書いているのはすでにそういう感じでは書いていないので、この姿勢を維持してなんとか書ききろうと思っている。書けなくても、「なんやかやあって楽しく暮らしました」で締めて完結させる(はやみねかおるさんの教えです)。どちらにせよ宣伝等はあまりせずひっそりと出そうと今は思っている。


きっとこうなってるのは「ちゃんとしたものを出さねば」と思って腰が重くなっているからで、もっと数をこなして「ちゃんとしたものを出さねば」と気負わなくても「ちゃんとしたもの」になるぐらいの技術を身につけることが解決策なのかなというのが今の考え。なので来年は短編を沢山書く年にしたいとぼんやり考えている。今までも短編しか書いていなかったけれど。目標は据えつつ取り組むけれど、失敗しても、まあそんなものが出来上がることもあるよね~ぐらいの気構えで書きたい。小説を書き始めて2年経ったし長編も書かねばと思っていたりしたのだけど、「ねば」って思ってる時点でまず挫折すると思うし、今の自分が長編書いたら確実に崩れる自信がある。のでしばらくは短編書こうと思う。


一方、仕事始まるのにできるのだろうかという思いもあるのだけど。最初はぜんぶやってみて、無理だったら軌道修正する感じにしようと思う。そうしているあいだに一年が終わるのですが。


---


最後に。新刊、既刊をお手にとってくださった方(テキレボで注文してくださった方も)ありがとうございます。去年の今ごろは本作りたいな〜という中高生時代の願望をそのまま引きずっていただけだったのに、こうして形になって、しかもそれを手にしてくれる人がいることがなんだか信じられないです。楽しんでもらえたら嬉しいです。でも読まなくても、本棚にさしたり積読に重ねてもらえるだけで嬉しいです。


それではおやすみなさい。