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2018.01.13 05:46

Facebook・Yuri Morita さん投稿記事

https://ameblo.jp/yurimorita9/entry-12649810903.html

森田ゆりのブログ 番外編「アリス・ミラーの虚像と事実:戦争トラウマと子ども虐待」 アリス・ミラー(1923〜2010)といえば、体罰や虐待で傷つく子どもの・・続く(上のリンクをクリック)

https://ameblo.jp/yurimorita9/entry-12649810903.html?fbclid=IwAR01bVaK6Jjnjs0CWvfhwcp4XBLTmJRyOum1xwqBTJRJs3gsr48E0fnUk8M 【アリス・ミラーの虚像と事実:戦争トラウマと子ども虐待】 より

アリス・ミラー(1923~2010)といえば、体罰や虐待で傷つく子どもの発達心理を40年前に、子どもの視点から理論化した子どもの人権擁護の大御所である。1979年から80年代初頭に「才能ある子のドラマ」「魂の殺人」等を次々と出版し、いずれも世界的ベストセラーとなった。

私は1978年から米国で性暴力被害当事者を支援するフェミニズム運動に関わっていたことから、子ども虐待分野で仕事をするようになり、そのちょうど同じ頃にミラーの本は次々と出版された。当時の仲間たちと、口角泡飛ばして語り合いながら興奮の内に読んだことを思い出す。

トラウマ理論がまだ言語化されていなかったあの時代に、人間の攻撃的言動の背後に子ども時代の心的外傷を見出すその鋭い分析に感銘し、アリス・ミラーは私のメンターとなった。元精神分析家という肩書きを敢えて挑戦的に使い続け、精神分析の限界を忌憚なく批判したその論調も納得行くものだった。

 1985年頃、カリフォルニア州政府主催の子ども虐待防止の会議での基調講演を依頼するために、私は当時スイス在住だったアリス・ミラーと国際電話で話す機会を持った。

そのアリス・ミラーが、夫と二人で息子に虐待をくり返していたというのだ。

6年前、息子マルティン・ミラーが親による虐待を明らかにした本をドイツ語で出版したとネット上で知った時は、まさか、とそのニュースをまともに受けなかった。

 しかし2年前にその英語版「真の『才能ある子のドラマ』~アリス・ミラーの虚像と事実~」(邦訳無し)が出版されたので読み、衝撃を受けた。以来、私はこの事実を日本に紹介することに2年間も躊躇した。この分野での私の40年の仕事の最初の師であるアリス・ミラーを安易に、ゴシップ的に扱われたくなかったからだ。

 今年71歳になる心理療法家マルティン・ミラーは決して暴露本を書いたのではなかった。

母の虐待的行動のルーツを、彼女の戦争トラウマに見出し、戦争と虐待の深いつながりの一例証を明らかにしたのである。

 私は2018年に「体罰と戦争~人類の二つの不名誉な伝統~」(かもがわ出版)を出版し、私のライフワークでもある、この二つの暴力の関係を世に問うた。その中でヒトラーの暴力性の由来を、彼の子ども時代の体罰被害から分析したアリス・ミラーの論文も引用した。さらに、ヒトラーを熱狂的に支持したドイツ人大衆の行動のルーツにも、体罰・虐待という子ども時代の屈辱と喪失体験があるという彼女の分析にも賛同しているので、強い関心を持ってこの本を読んだ。

 マルティンは被虐待の苦悩をアリス宛の手紙で書いている。生まれてすぐに、知人の家に預けられるがその理由をアリスは、両親ともに博士論文を書かねばならず、新生児を育てるゆとりがなかったと説明していた。預けられた家でマルティンが疎まれていることを察知した叔母がマルティンをその後7ヶ月間引き取ったが、アリスは滅多に訪れなかったし、訪れてもマルティンを抱くこともしなかったと叔母は言う。

 その後、マルティンは父親の暴力に晒されて育つ。父の体に少しでも触れると「ホモ野郎!」と怒鳴られた。それを母が止めたことはなかった。毎朝シャワーを父親と一緒に入ることを強いられ、それは性虐待もどきだったが、母は決して止めなかった。

 1994年に44歳のマルティンはアリスへの手紙の中で、父親からの虐待をアリスに訴えたのに守ってもらえなかった絶望と寂しさを書いている。

 その同じ1994年に、アリス・ミラーは「才能ある子のドラマ」の新版の謝辞に謎めいた一文を残している。

「最後に私の息子マルティン・ミラーに対する感謝の念を表明しておきたいと思います。マルティンは、率直に、妥協することなく、明確な意識をもって、私の内部の障害に対して私が眼を開くよう、助けてくれました。私は長い間それを見る勇気がなく、マルティンが今のようにはっきりと指摘してくれなかったら、おそらく見ないままにしておいたかもしれません」(新版「才能ある子のドラマ」山下公子訳1996年新曜社)

 「私の内部の障害」が何を指すのかの説明は一切ないが、マルティンが手紙で訴えた父の虐待の放置のことだったのかもしれない。しかしその後、アリスは手紙の中で、マルティンの訴えを否認し、自分を悪い母親とする彼を激しく批判する。二人はついにアリス87歳の死に到るまで再会し和解することはなかった。晩年は南フランスに引きこもり、そこで死を迎えたアリスの墓はない。

 死後、マルティンは、母が決して口にしなかった戦争中のポーランド時代を調べ始める。そして驚くべき事実を知っていく。

 ヒトラーのポーランド侵攻後、ユダヤ人のアリスの家族・親族の多くは強制収容所に送られた。アリスはツテを使って母と姉を救い出したが、父親は救えず、収容所で死んだ。

 その後、アリスはポーランド人のハンサムで背の高い青年ゲシュタポに出会い、彼と恋仲になることで、母と妹と自分が生き延びることを可能にした。その青年の気分ひとつで収容所送りになるかが決まる日々を送ったのだ。それはおそらくDV被害と同様の恐怖と緊張の関係だったのでは、と推測される。

 終戦後、スイスに移住した二人は結婚し、彼の手はずで奨学金をもらい二人は同じ大学に入学した。その青年こそマルティンの父親だった。ユダヤ人の息子を持ったことに耐えられない父は、誕生後すぐに息子を人に預けるよう妻に命じ妻は従った。その後離婚するまで、アリスは夫の支配から抜け出せなかった。

 父の虐待を止めることができなかったのは、彼女が戦争トラウマに向き合わなかったためだとマルティンは結論付ける。

  昨年2020年1月にはヨーロッパで、ドキュメンタリー映画 "Who is afraid of Alice Miller"が公開になった。マルティン・ミラーの本をベースに、戦前のポーランドにおけるユダヤ人排斥の中を生きのびた若きアリス・ミラーの足跡をたどる映画である。 

(月刊「部落解放」連載・多様性の今」2020年11月号掲載より  森田ゆりメールマガジン「エンパワメントの風」146号)