枯木竜吟
Facebook・近藤裕子さん投稿記事《 枯木竜吟 》こぼくりゅうぎん
枯れているように見える木々が強い風に吹かれ 竜が声を発するかのような音を鳴らす事から
一度衰退したものが回復したり 苦しい状況から抜け出して勢いを盛りかえしたり 有り得ないことが実現することなど 素晴らしい意味を持ちます。
この言葉は年を重ねても 困難な状況にあっても希望を持って生きることを思わせてくれます。
https://plaza.rakuten.co.jp/harurindou/diary/201201020000/ 【枯木竜吟】 より
「枯木竜吟」転じて苦境を脱し、生命力を回復すること。枯れ木が風に枯れて勢いよく
音をたてている様子を言うらしい。
困難がどうあろうとも、時は留まらず静かに時が、何事もなかったように過ぎていく。忘れる事のない災害は既に過去のこと。しかし忘れる事のできまい苦悩とかすかな希望は入り交じる。
立ち上がる力が出ない・・・。力なんざなくていいから、諦めないことか。
枯れ木も平然と、なにもなかったごとくふんばっているではねえがぁ・・
マノマノ稲穂@manomano_farm
とっても不思議な話なんだけど、この世には「振り子の法則」があります。壮絶な苦しさや悔しさの過去がある人ほど+のエネルギーが大きく、その原体験の振れ幅が大きければ大きいほど振り子のように大きな大きな喜びとなって返ってきます。だから今がとても辛い人は、未来はきっとよくなるのです。
Facebook・岡部明美 さん投稿記事 苦しみ 〜愛しきものへ 〜
「これまでの自分」「今までの自分」から、「新しい自分」「本来の自分」「自己の本質」に目覚める時が来た時は、
「魂のウエィクアップコール」が鳴る。
神話学者のジョーゼフ・キャンベルはそれを、
「電話のベルが鳴るようだ」
と表現しているが、その通りだと思う。
人生の大きな転換期が来ている人に鳴る電話のベルが、
今や地球レベルでも目覚めの「ウエィクアップコール」として鳴り続けている。
受話器を取らずに無視しているとある日ハンマーで殴られるような出来事が起きてくる、とジョーゼフ・キャンベルは言う。
世界は今、まさにそのような状況にある。
人類の存続が問われるほどの大きな転換期にきている私達の今に問いかけられているのは自分(自分達)は何を選択するかだ。
個と全体は密接不可分につながっているから、この作られたコロナパンデミック(敢えてそう言う)の今、個人の人生にもとてもしんどいことが起きている人が多い。
私はかつて電話のベルが鳴っているにもかかわらず「変化への恐れ」「手放すことへの恐れ」「起きている現実に対する自分の本当の感情を感じることへの恐れ」から受話器を取ることをしなかった。
その結果、頭を何度もハンマーで殴られるような肉体的苦痛の極致を味わった。
「命」という字は、「人が一回叩かれる」と書くが、私は眠りが深かったので、その叩かれ方も半端ではなかった。
ものすごく痛かった。この世の地獄だと思った。体も心も悲鳴を上げた。
この心身に起きている本当の悲鳴こそが電話のベルだったなんてあの頃は全く気づかなかった。
でも、その後、恐る恐る受話器を取ってみた。
電話のベルが鳴り、受話器を取るというのは、自分の内側に意識を向け、自分の中の本当の感情、真実の想いに耳を傾けてみるというこだった、
同時に今までの自分の人生を駆動させてきた欲求や価値観や信念体系、
他者や社会に適合するために身につけたペルソナ(仮面・マスク)のサバイバル戦略と防衛パターンを理解していくということだった。
それと同時に小さな自分を超えた、より大きな存在からの「呼び声」にも耳を澄ませてごらんというメッセージでもあった。
苦しみは「変化への招待状」であり、新しい道が拓かれていく「未来からの招待状」でもある。
その苦しみという変化、変容、進化への招待状が、今は、個人と組織と世界に同時に手渡されいる。
「ワールドシフト」「グレートリセット」という言葉を最近よく目にするが、
自分の価値観や在り方のアップデイト、人生のグレートリセットが今迫られているように思う人は大きなチャンスだ。
飛行機は逆風で飛ぶ。
Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「生がなければ死もない」
あらゆる危機状況は わたしたちに目覚める機会を与えてくれます。
80年代のエイズは治療法がなく死の病でした。
ところがエイズ陽性と診断されてのちに陰性となり完治した女性がいます。
彼女の名はニロ・マルコフ・アシスタントといいます。
これ以降、彼女を「ニロ」と呼びます。
彼女の体験は「どうして私はエイズから生還したのか―NIRO(ニロ) からのメッセージ」(絶版)として出版され医療関係者向けの講演で来日もしました。
1985年11月にニロはエイズ検査で陽性と診断され、あと十八ヶ月生きられれば幸運だと医師から宣告されました。
ニロがエイズウィルスに感染したのはバイセクシュアルの恋人からでした。
1981年に、アメリカで同性愛者の男性に初めてエイズが報告されてから世界中にエイズ感染が広まりました。
2017年、全世界で3,690 万人のHIV感染者がいて一年間で新たに180万人が増えています。
ロックバンド・クィーンのフレディ・マーキュリーは80年代にエイズに感染して1991年11月24日に亡くなっています。
人間の死亡率は100パーセントです。
遅いか早いかの違いがあるだけで全ての人は間違いなく死に向かっています。
私たちは健康に生きていることを当然のこととして受け取っています。
「死」に直面したときに初めて命がいかにはかないものかを知ります。
それまでほとんどの人は刺激に反応して日常を機械的に生きているだけなので、死は他人ごとなのです。
世の中には自分には全く問題や悩みがないという人がいます。
しかし、不安や恐怖などの抑圧された情動(感情エネルギー)は無意識の底にしまい込まれているので本人は気がつきません。
そして人生の危機に直面した時に、否定的なエネルギーが無意識の層から浮上して、問題がないと思い込んでいたその人はパニックに陥ります。
80年代のエイズ感染は死刑の判決と同じことでした。
ニロのマインドはエイズに感染したことを知るとパニック状態になりました。
ニロは神秘家OSHOの弟子でニュージャージー州で瞑想のファシリテーターとセラピストをしていました。
しかし、彼女の瞑想は不十分でマインドの次元を水平移動しているだけでした。アセンション(次元上昇)していなかったのです。
一般的に精神的混乱が長く続くと今までの自我では適応しなくなるので、境界が揺らいで崩壊するアイデンティティの危機が訪れます。
新しい環境に適応するには古い自我の殻を脱ぎ捨てなければならないのです。
自我の死と再生のプロセスは次の三つの段階を経過します。
第一段階 旅立ち
第二段階 死と再生のイニシエーション
第三段階 帰還
最初に起きる感情は否認です。
つよい否定の感情が湧きます。
ニロも「なぜわたしが」という思いで心がいっぱいになりました。
自我の境界がゆらいでいるので抑圧してきた情動(感情エネルギー)が意識の表層に上ってきます。
「うそだ、信じられない。何かの間違いであってほしい」様々な思考が次から次へと湧いて来ます。
当時はエイズが他の人に感染させる可能性が大きいと考えていました。
「どうして自分がこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか」と様々な感情が湧いてきました。
共同体の人々に拒絶され村八分にされてしまうこと、恋人に捨てられるのではないか、子どもたちに感染するかも知れないと考えることは発狂してしまうほどの恐怖でした。
自分が使いものにならない野菜のように朽ち果ててしまうのも怖かったのです。
自分に敬意を払ってくれない周りの人々への敵意、「自分を見捨てた」神への怒り、やり場のない感情が怒りとなって噴出しました。
ニロは恐ろしいウィルスを自分に移し、その上隠さずに正直に話してくれなかった恋人に、激しい憤りを抑えることができませんでした。
共通の会話がなくなり、恋人はよそよそしい態度になって、ニロを避けるようになりました。
ニロと恋人との関係は悪化していきました。
怒り、恐怖の奥には愛の否定、心の痛みがあります。
子供は成長するときに両親から愛されることを経験します。
しかし、あるがままの自分を両親に否定されると自己は分離して偽りの自我(マインド)を自分と思い込みます。
偽りの人格(マインド)にエネルギーを浪費して生き続けます。
偽りの自己は解消していない心の痛み(トラウマ)を抱えているので、危機が訪れると強い不安と恐怖にさらされます。
自我には自己防衛機制があり、自己イメージが崩れると、不安から逃れようと必死に思考を働かせます。
マインドは思考エネルギーを強くして感情を感じないようにします。
怒りや恐れ、不安の感情が幸福を邪魔する物と考えてしまうのです。
メロドラマに入ってあるがままの自分と直面することを止めてしまうのです。
ニロは恋人が才能豊かな詩人で、舞踊家なので思索するために自分から離れて一人静かになりたいのだと合理的に考えるようにしていました。
子どもの頃のニロは怒られると、まったく反発せずに、黙りこみ、かわいそうな印象を相手に与えて、自我の殻の中に引っ込んでいました。
暴力を恐れて避けるため思考を働かせて内面にこもるのがニロの自己防衛の方法でした。
ニロは病気になったことを恥ずかしいと思っていました。
健康で有能な講師の自己イメージを維持するために感情をおさえ葛藤を内部にしまいこみ苦しみを隠そうとしていました。
マインドは弱さを見せたり、あるがままの自分になることは怖いのです。
ニロのマインドは思考エネルギーでフル回転となり罪悪感と恐れ、恥辱というマインドの罠にはまって袋小路に入ってしまいました。
一体何が起きているのか把握できず、現実と非現実の境界がゆらいで方向感覚を失ってしまいました。
ニロは海のそばに住んでいたので、毎日寄せては返す波を眺めていました。
生命の自然のサイクルは昼と夜、夏と冬、死と誕生と休むことなく繰り返しています。
海を眺めているときに「ありのままの生き方を続けなさい。この経験は貴重です。そして、いま起こっていることから何かを学びとるようにしなさい」と静かにささく声が聞こえました。
あらゆる危険は わたしたちに目覚める機会を与えてくれます。
ニロはエイズの不快な症状を「目を覚ます為の目覚まし時計の役割をしてくれた」と言っています。
ニロにとってエイズは自分を目覚めさせて真の自由をもらしてくれる存在からの最高の贈り物でした。
死の宣告を受けたニロは毎日が非常に大切に思われて、すべてのことに対して優先順位を並べかえることにしました。
そのトップに自分を置くことにしました。
エイズ感染を自分の意識の成長と進化のための最後のチャンスにしようと決心したのです。
一生懸命に自分をコントロールすることをやめて、それまで、とても受け入れることができなかった「死」という事実を受けとめる気持ちになりました。
ニロは常に「こうしなければだめだ」「あれをしてはだめだ」と自分を裁いていました。
わたしは、愛される価値がない。
誰も自分を必要としていない。
私は天国にいけるわけがない。
自己肯定感が低い人は分離感が強いので否定性の中でエネルギーは低下しています。
偽りの自我を選択した結果、分離されたエネルギーは不安、恐怖、怒り、悲しみとして微細な身体の低次のエネルギーセンターでとぐろを巻いています。
心理学ではそれをブロックと呼んでいます。
ニロはOSHOから「人生という神秘の流れに逆らって進もうとせず流れのままにまかせる」ことを学んでいましたが、頭だけの理解だったので実際はコントロールされないようにすべてをコントロールしていました。
マインドの次元にとどまっていたのです。
マインドを超えるにはアセンション(次元上昇)して第4身体(メンタル体)を超えなければなりませんでした。
「わたしがこの病気を作ったのだから、自分でそれを治すことができる」
この素晴らしい真実はマインドのレベルになるとネガティヴになり病気を生み出した自分に対し罪悪感をもたらしました。
瞑想をするとニロの心の中は怒り、恐れ、絶望、無力感、罪悪感、孤独感が渦巻いていました。
そして自我は臆病なので慣れ親しんだ古い自分を放棄することに恐怖を感じました。
助かる道は、ただ一つ自分でまいた過去の悪夢をたち切るより他に方法はありませんでした。
マインドは起きている事実にストーリー(解釈)を持ち込みます。
日常生活のマインドの状態は不快な事や失敗してた過去にこだわります。
そしてそれを未来に投影して不安になっています。
瞑想をして病気を治そうとする行為はマインドの次元を水平移動します。
何かをしてどこかに到達しようとする行為はいまここではありません。
瞑想は努力することなく、いまここにくつろいでいる状態です。
今この瞬間に生きると言うことは、過去の記憶から自由になることです。
過去は過ぎ去ったことなので、自分の中で過去に起きた事実は絶対に変えられません。
過去は変えられないけれども、過去が現在に与える影響は変えられることをニロは学びました。
今ここの神聖さにゆだねることで過去の記憶から解放され真の自由を体験できるようになったのです。
それは罪悪感からの解放を意味していました。
ニロがしたことは今ここにくつろいで、近づいている死という現実を受け入れることでした。
自分の気に入るように変えようとするのではなく、エイズで死ぬという現実さえもあるがままに受け入れたのです
ニロは「死」を受け入れて、毎日毎日、これが人生最後の日だと思って大切に生きました。
避けることができない不快な状況が起きてもNOを言わずにすべて許すことにしたのです。
ニロは身体と精神の不快な症状はすべて身体の自浄作用だということを学び、すべてをあるがままにまかせようと考えました。
ニロは戦いと抵抗をやめてあるがままにしました。
完全にサレンダー・明け渡したのです。
自分の否定的な感情を受け入れたニロの心のダムは決壊して、情動が抑えきれずに次々に流れ出しました。
エネルギーが大量に放出された後は穏やかで静かな沈黙が訪れました。
ニロの個性は大海に融合する雨水のように全体の中にとけ込んでいきました。
境界は消え、海、空、そして飛んでいる烏の中に溶け込んでいました。
時間はなく、完全だけがあり、どのようにして家まで帰りついたか、そして、その後何をしたか、まったく覚えていませんでした。
いつのまにかニロは肝臓、胃、膀胱などの自分の内臓器官が見えるようになっていました。
しかも内臓が黄緑になって悪臭を放っているのがわかったのです。
今この瞬間にくつろぐようになると季節のうつり変わりのように自分の感情を眺めるようになっていました。
すべてを受け入れると言うことは健康になる可能性も受け入れるのです。
頭ではなくハートに人生をゆだねたのです。
ニロは自分の生命に対して自分で責任を持つことができるようになりました。
不可能であると考えることをやめて、可能であると考えたことは肉体的にも精神的にも、あらゆる努力をおしみませんでした。
そして物事をありがままに受け入るという新しい認識によって生活の質を変えたのです。
ニロは最初、投げやりになり「もうすぐ死ぬのだから、何も気にすることはないわ」と好きなチョコレートやアイスクリーム、また太りそうな食べ物を腹いっぱい食べていました。
ハートに気づいた後、砂糖、カフェイン、その他の加工化学食品をやめビタミン、ミネラル、糖質、脂質をバランスよく吸収するダイエットに変えました。
そして毎日海岸を散歩して、太極拳をして、太陽が昇るのをみながら呼吸法とハミングする瞑想を毎日継続したのです。
検査をするとニロの身体に巣食っていたエイズは陰性になっていました。
人生という神秘な流れの中で文字どうり完治したのです。
九州大学・心療内科 池見酉次郎教授は、ガンの末期患者の考え方や生き方すべてが変わって、がんが自然退縮することを「実存的変容」と言っています。
ユングは病気になって、そこから回復することを、「魂のひとつの成長のステップ」と言っています。
ニロに起きたことはまさしく「実存的変容」であり「魂の成長」でした。
ニロは今ここに生きること、つまり、あるがままの自分を受け入れて、その瞬間、その瞬間の人生に起きる最高の贈り物にイエスと言って生きることを学んだのです。
生まれなければ死はありません。
死を恐れる前に目を覚まして生きるのです。