和俗童子訓104
貝原益軒著『和俗童子訓』104
婦人は、人につかふるもの也。家に居ては父母につかへ、人に嫁しては舅姑・夫につかふるゆへに、つつしみてそむかざるを道とす。もろこしの曹大家(そうたいこ)がことばにも、「敬順の道は婦人の大礼なり」といへり。然れば女は、敬順の二をつねに。守るべし。敬とはつつしむ也。順はしたがふ也。つつしむとは、おそれてほしゐままならざるを云。つつしみにあらざれば、和順の道も行なひがたし。およそ女の道は順をたっとぶ、順のおこなはるるは、ひとへにつつしむよりをこれり。詩経に、「戦々とつつしみ、競々とおそれて、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如し。」、といへるは、をそれつつしむ心を、かたどりていへり。つつしみておそるる心もち、かくのごとくなるべし。
【通釈】
婦人は、人に仕える者である。家に居ては父母に仕え、人に嫁しては舅姑・夫に仕えることから、慎み深くして背かないのを道とする。中国の曹大家の言葉にも、「敬順の道は婦人の大礼なり」という。されば女は、敬と順の二つを常に守らなければならない。敬とは慎むこと、順は従うこと。慎むとは、畏まって好き勝手をしないことをいう。慎まなければ、和順の道も行なうことはできない。
およそ女の道は順を尊ぶことで、順が行えるようになるのは、ひとえに慎むことより起こる。詩経に、「戦々と慎み、競々とおそれて、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如し」というのは、畏れ慎む心を例えていったものである。慎みて畏れる心を持つことは、このようにすべきである。
【語釈】●曹大家 班 昭(はん しょう、45年? – 117?)のこと。後漢の著作家で中国初の女性歴史家。一名は姫。字は恵姫、または恵班。14歳で曹世叔に嫁いだが、世叔は早くに死に、彼女の才名を聞いた和帝が召し出して宮中に入れ、後宮后妃の師範とした。人々は敬して曹大家(そうたいこ)と称した。兄の班固が『漢書』を未完成のまま亡くなったので、八表・天文志の稿を書き継いで完成させた。その他の著として、『女誡(じょかい)』7章、『続列女伝』2巻も彼女が選定したものと伝えられる。
下の画像は『晩笑堂竹荘畫傳』より班昭