えんとつ町のプペル その1
数年ぶりに渋谷に降りて映画を観てきました。
話題のやつです。
鑑賞中に感じていたこと、考えていたことを少しだけ書いてみようと思います。
(映画の感想ではありません)
東京・茨城を中心に全国で活動中。
感覚と感情と思考をつなぐセラピスト
innochi目育士のきたみさちです。
『えんとつ町のプペル』ようやく観てきました。
心の準備が必要で、尻込みしている間に舞台挨拶を逃してしまいました。残念。
はじめに
まずはじめに、なぜ心の準備が必要だったのか。
上映開始までの数年間、西野さんの奔走をきっと日本中のほとんどの人が見ていたと思います。
わたしも同じでした。
自分自身の状況と重なる部分が、多かれ少なかれ誰もにあったのではないでしょうか。
これまたわたしもです。
だからこそ覚悟が必要でした。
だって目の当たりにしてしまうのだから。
絶対ハードだよ。そんなの簡単に予想できる。
おーこわ。
不意にタイミングがやってきちゃって。
ですよねー。わかるー。今ですよねー。
おーこわ。
自分目線で味わいきる
鑑賞する上で決めていたことがあります。
とことん自己中心的に投影して、自分目線で感情全開で味わうこと。
そうしたらもう、序盤からずっとハンカチが手放せませんでした。我ながら早くて笑う。
突きつけられたこと、再確認したこと、口から出てきた言葉。。
我儘に味わって正解です。
2回3回と観方を変えて味わいたい。
そんなわけでこの記事には【その1】と付けました。
感じたこと、考えたこと
苦しいくらい、わたしは仲間を求めているみたいです。同志、仲間、ともだち、ピンとくるものが見つからないのだけど。
2020年総括の記事で孤独について書きました。
諦観しましょうよ、きたみさん。もうそろそろ。
そう言い聞かせながら、どうやら根っこでは地団太踏みっぱなしなんですね。そら序盤から泣くわ。
ずっと響いていたイメージは、正直であること、信じること、希望をもつこと。
光をみるのではなくて、光でみる。
『光でみる』と浮かんだとき、すんなりと整理が起こって。それはとても穏やかな感覚でした。
良心
このところずっと頭から離れない思考があります。
良心についてです。
語弊があることを承知の上で書きます。
物事を成すとき、良心はどこに置くものか。
なくしてはいけないものと疑わずにきました。
けれど、必ずしも歓迎の対象とは限らない。
物事を成す過程で邪魔になることが大いにある。
良心って本当に必要なのでしょうか。
良心に見える何かで賄えるものなのかもしれない。
それでなにが変わるのか。
答えは見えないですね。
自分でも見つける気があるのかないのかわからない。
器用な人間ではないから、わたしにはなにかで賄うことは出来ません。あくまでも、わたし個人には。
映画の後、カフェにて
すっかり放心状態のままカフェで一服。
感想を言葉にし難い、、したくない方が適切かな。
そんな状態。
このところ実は体力的にスレスレにいました。
セッションは変わらず大好きで、エネルギーの源泉だから大丈夫。
このスレスレ感には背景があります。
いつか気が向いたら書こうと思いますがピックアップすると、『自立して対等であること』がキーワード。これは長期テーマになりそうです。
プペルを観終えて、直後に出てきた言葉はドシンプルで、「頑張ろう」でした。
そしてしばらくして、内側から炎症みたいなヒリヒリずーん。この痛みが良心に絡む想いでした。
丁寧に触れたいところ。
まだまだ、動きそうです。
ゆっくり掬いあげようと思います。
プペル、流石でした。
今日はここまで。
読んでくださってありがとうございます。
また近いうちに。。
きたみさち。
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