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しあわせの探し方

星を さがして

2016.09.12 23:00

「指導死」という言葉を、Yahoo!ニュースに見つけ、不穏な気持ちで読んでみました。

やはりそう・・・。学校という教育現場での不適切が、また問題になっていました。

教師からの「指導」と、その後追い込まれた生徒の死について、そして余裕のない教育現場の実態についての記事でした。。

http://news.yahoo.co.jp/feature/344

「いじめ」「不登校」「体罰」・・・子供たちが希望を胸に学ぶ場所でいつから、こんな不似合いなことが、起き始めたのでしょう?そして今度は「指導死」。

「指導」は学校での本分です。それが、なぜすべての終わりへと繫がってしまうのでしょう。

「指導」が必要なほど 荒れてしまっている現場があったとして、きっとその事は、「教育の場」では起こってはいけないこと。放って置くことはできない。何かの手立てはしなければ・・・せめて、元の授業のできる状態に戻さなければ・・・荒れた行動の生徒に更正してもらわなければ・・・。善悪の判断の下、二度と同じ事にならないよう、きつく注意しなければ・・・。たくさんの「MUST」=・・・しなければ・・・。が、教師に迫ります。

追い詰められるかもしれません。そんな時の「指導」は、穏便で適切でしょうか?親からの躾同様「愛」はあるのでしょうか?

また、たとえ、「指導」したとして、それに従うかどうかは、受けたものの意思だと、知っているでしょうか。いつ従うのか、どう従うのか、どこは従うのか?の義務もそこには伴いません。その上で腑に落ちなければ 本来納得できるように伝えるのが「指導」。

「命令」ではないのです。


記事を読んで、悲しすぎたこと・・・。教師は「きつめに意図的に発言した結果で生徒のこころの動きをつかめず残念」と語り、生徒は「僕が悪い」と謝りながら死を選んでしまい、親は「もっと何かできなかったのか」と、叱責の日々から抜け出せないとあったこと。

親は、子供を学校に送り出せば、あとは信じるしかありません。その根本の重要性を現場は忘れているようです。そして、出来ないことは手放さなければなりません。専門外の人間が立入って収めようとして、そこに働く「エゴ」は、「本当」を持ち合わせた子ほど敏感に察知し・・・「あきらめの気持ち」を持ってしまうでしょう。


私が子供の頃・・いわゆる「体罰」はあったと思います。廊下に立たされたり、お尻をたたかれたり。私もやんちゃでしたので、掃除をさぼっていてぞうきんで顔を拭かれたこともあります。ただその先にあったのは「反省」でした。その後、私自身が教職を選ばなかったのは、「勉強は教えられても、人として大切な事は教えられない・・・せめて、ガキ大将のようにこどもを引っ張っていける存在にならないと・・・」という理由でした。普通にこれといった悩みや躓きもなかったその頃の私には、とうてい教師の資質は備わっていませんでした。

子供たちのきらきらとした希望にも たくさんのことを見せてはあげられなかったでしょう



KIN8 黄色い星/赤い龍/音8

-意識を高く持ち、人との輪を尊重し

       あるがままの自分を愛する日-



赤い龍という紋章がKIN13の日9/18まで続きます

生命・愛・慈愛といったキーワードを持つこの時に目にした記事は

まさに、「愛」が不足していることへの提起。

そう感じ、たくさんを書いてしまいました。

マヤ暦ツォルキンのよみときで見つかる固有の「キラ星」を知ると、

互いに優しくなれます。是非、悩み多き子育てに、役立てていただきたい・・・。

そう感じ、アドバイザーになったことを改めて、じぶんのに刻みました。