温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第61回】 マキャベリ『君主論』(岩波文庫,2001年)
菅総理がマキャベリの「君主論」を愛読書としてかつて掲げたことが多少なりとも物議をかもした。ある作家は「マキャベリの「君主論」は注釈も多くて、それなりに読みにくいので、菅さんが読んだのは要約版や語録のようなものではないか」と少しばかり意地悪なコメントをしていた。さらにある雑誌などは「支配者は、キツネの如く狡猾で、ライオンの如く獰猛でなければならない」とのマキャベリの有名な考えを引いて、総理の発想は危険ではないかとも批判していた。もっともこれらの言葉は一部のひとたちが好む「発言の切り取り」をしたものに過ぎないのであり、本来のテクストは「君主には獣を上手に使いこなす必要がある以上、なかでも、狐と獅子を範とすべきである。なぜならば、獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れないがゆえに。したがって、狐となって罠を悟る必要があり、獅子となって狼を驚かす必要がある。単に獅子の立場にのみ身を置く者は、この事情を弁えないのである」(「君主論」第18章)となっており、だいぶ趣が異なると私は感じている。いうなれば君主の回りには煮ても焼いても食えない奴らが多いとの前提があっての展開なのだ。
それから、「君主論」は注釈などが多くて読みにくいとの考え方も、どのような読書のアプローチをするかで変わってくるとも思っている。確かに、マキャベリが生きた16世紀前後のイタリア事情、フィレンツェなどの都市国家のこと、加えて古代ローマなどの治乱興亡を多少なりとも知っておかないとわかりにくい部分もあるだろうが、正直なところ何を言わんとしているのかを感じ学ぶのであればそれほど難しい書物ではない(分量もそれほどではない)。 私自身がはじめて「君主論」を読んだのは二十歳くらいのときだった。よく「韓非子」との引き合いでマキャベリが出てきたので読んでみようというくらいの軽い気持ちだった。それにあわせてマキャベリについては一家言を有していると目された歴史作家の塩野七生さんの「わが友マキャベリ フィレンツェ存亡」(中央公論社)も通読した記憶がある。なお、この本の終わりには作者からこんなメッセージが載っている。「読者に これを読み終えられた今、あなたにとってもこの男は「わが友」になったでしょうか。一九八七年・春 フィレンツェにて 塩野七生」
これについては最後にコメントしたい。さて、マキャベリの有名な言葉(要約を含む)を端的に引いて、その思想を単純に論じるのが今の流行りなのかどうかは知らないが、マキャベリ自身やその考え方は結構複雑だと思っている。ただ、「君主論」だけでなく、その主要な作品、たとえば「政略論」(ディスコルシ・ローマ史論)「戦術論」(「戦争の技法」)なども日本語訳があり、多少わかりづらくても難解とまではいえない。そして、マキャベリ自身の歩み(経歴)も明確になっているから、そうした歩みとこれらの作品を読みながら彼が何を言わんとしたのかじっくりと考えてみるのも面白い。なお、「君主論」では君主がいかにして権力を得るか(奪取、相続、譲渡、推戴などいろいろ含む)、そしてそれを如何に維持するか、何を絶対に手放すべきではなく、何を他に押し付けるべきか云々を26章にわたって展開しているが、マキャベリ自身は君主になったことはない。決してエリートの出身でもなく、当時、政府の高官になるためのマストに近かった大学教育も受けてはいない。それでも、その「才能」(とくにインテリジェンスを収集分析する能力)を買われて、フィレンツェ共和国の「第二書記局書記官」に29歳で登用されて、43歳で失職するまでの間、その地位にとどまり続けた。
この官位がどのくらいの位置づけにあったのかといえば、塩野七生さんによれば、ノンキャリア官僚枠で「日本の中央官庁の課長」クラスとのことだ。マキャベリはそこで軍事を主たる担当として、いわば軍務官僚として祖国フィレンツェのために八面六臂の働きをした。(ちなみに、給料は失職するその日までほとんど変わらず、その水準は高くも安くもないものだったという)。だが、このマキャベリは共和国政体が崩壊したことで追放の憂き目にあい、そこからは失意のなかで山荘に籠り華々しい復職を夢見ながら執筆活動に入りはじめた。「君主論」自体は追放されてからわりと早い段階で書き始めた作品だ。もっとも望んだ公職に復職することは結局のところ叶わなかった人生だ。「君主論」はいろいろと言われる書物だが、面白いなと思わせる部分や魅力があるのは事実だ。たとえば一部抜粋(切り取りがあまり良いとは思ってないが)すると、
「この世の事柄は運命と神によって支配されているので、人間が自分たちの思慮によって治められようはずもなく、ましてやこれに何らかの手当など施しようもないので、まさにそれゆえに世事には齷齪(あくせく)しても仕方なく、むしろ成行きに任せておいたほうが、判断としては良いという意見を、多くの人々が抱いてきたし、・・・だがしかし、私たちの自由意志が消滅してしまわないように、私たちの諸行為の半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は、あるいはほぼそれくらいまでの支配は、彼女が私たちに任せているのも真実である、と私は判断しておく。・・・運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、・・激しく襲いかかってくる。・・・まず言っておくが、性質や資質を何ら変えていないのに、ある君主が今日は栄えていたのに、明日には滅びるといった事態を、見かけることがある。・・・すなわちその君主が、全面的に運命にもたれかかっていたので、それが変転するや、たちまちに滅びてしまったのである。私の考えでは、次いで、その君主が幸運に恵まれたのは、彼の行動様式が時代の特質に合っていたためであり、同様にして不運であったのは、彼の行動が時代に合わなかったためである。・・・時代と状況がその統治を良とするように回るならば、彼は栄えてゆくであろうから。だが、もしも時代と状況が変れば、彼のほうが行動様式を変えないかぎり、滅びてしまう。この点に適合できるほど、思慮深い人間は、見出せない・・・」(同書 第25章 運命は人事においてどれほどの力をもつのか、またどのようにしてこれに逆らうべきか)
時流のなかで変転する運命とそれでも抗い自助努力することの兼ね合いについてマキャベリの国家観と人生観、執念と諦念を吐露している文脈であり、なんともいえない独特の迫力で浮かび上がってくる。彼が生きた時代は、フィレンツェを含む諸国家は露骨な食い合いをするのが普通で(それは現代もたいして変わらないとの考えもあるだろうが)、油断をすれば祖国があっという間にひっくり返されてしまうものだった。事実、フィレンツェの政体もマキャベリが生きた時代だけでも何度もひっくり返されている。「課長」として実務最前線にいながら、自らの力の及ばぬ現実に切歯扼腕し、非効率な共和政よりも独裁的な君主政による統治が一つのアプローチであり、そしてその君主政をどうやったら守れるかをギリギリのところで考えたのが本作品だ。ただし、こうした考え方がマキャベリの一側面に過ぎないのも事実である。
なお、マキャベリは品の良い生き方をした男ではまったくない。お酒、賭け事、その他諸々を巡り、下劣なところもたくさんあったようだ。もっともそれだけならば「友」とするかどうかについてさして影響はないと思っている。ただ、塩野七生さんの質問、「わが友」になりえるかどうかについては、私の結論はNOなのだ。それは一番深いところでマキャベリは狐と獅子のごとき資質をもった君主の政治に何を夢見たのか、何を期待したのか、結局のところよくわからないからだ。もちろん、これがマキャベリの思想的特徴といえばそれまでであり、そこを度外視すれば知恵となりうるものもたくさん含むのだが、私の結論としては「わが友マキャベリ」ではなく、畏敬を込めて「わが敵マキャベリ」なのだ。私にとってはテーブルで食卓を共にするよりも、戦場で相まみえるほうがよい人物だ。もっともこの敵は向き合うにはとんでもなく強敵であるし、吸引力と磁力もハンパではなく、今もなお地獄で業火に炙られながらも人の世をシニカルにじっと見ているイメージが沸き立つのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。