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Pink Rebooorn Story

第2章 その3:「私の主治医②」

2016.09.14 05:10




 私たちは乳がんという病気について、改めて説明を受けた。

 …だけど、一生懸命聞いているのに、尾田平先生の説明は専門用語だらけで、全く意味がわからなかった…。




 (全然わからない…!)




 私は泣きそうになった。夫にもついてきてもらえば良かった。でも、夫は今日、どうしても抜けられない仕事があった。

 母親は、私よりは先生の話を理解できていたみたいで、いろいろと質問していた。まるで、乳がんの治療を受けるのは私ではなくて母であるというような感じだった。私は少し恥ずかしくなり、ますます委縮してしまった。

 質問したいことはあった。だけど、そのほとんどが、自分の甘えからくる質問だという自覚があった。尾田平先生にはそれをすぐに見抜かれる気がしたので、私は発言することすらできなくなっていた。




 それでも何とか理解できたのは、どうやら乳がんの治療方針にはガイドラインがあり、「標準治療」というものが幾つか示されているということ。

 患者にももちろん治療方針の選択権はあるものの、ガイドラインで示されている標準的な治療法を、一人一人の状態に合わせて組み合わせていくというのが大体の流れである、というようなことだった。




 そして、その治療方針の決定のために、「PET」(ペット)という術前検査をしなくてはならない。しこりの正確な大きさ、状態、位置、リンパ節への転移など、より詳しい検査結果のデータをもとに、尾田平先生が方針を決めるということになる。




 これらを淡々と説明している尾田平先生の視線は、相変わらずずっとパソコンのモニター上にあった。

 なんだか、私自身、患者としてではなく、乳がん「症例」のひとつとして見られているような気がして悲しくなった。

 難しいいろいろな説明を理解しようとするのもいやになってきたところだった。話が「抗がん剤の副作用」になったときだ。




 「抗がん剤治療をすると、生理が止まります。」




 と先生は言った。さらに、このように続けた。

 「平西さんの年齢ぐらいでいうと、その後、生理が戻ってくることがないケースも少なくありません。1年後の再開率は半々くらいですね。」

 そして、冷然たる口調でこう言った。

 「再開したけれど妊娠に至らない、というケースもあります。」




 それはつまり、妊娠ができない体になるということだ。

 そういう治療をしなくてはいけないのだ。

 わかってはいたことだけれど、ショックすぎる。

 改めてまた、将来子どもを授かるということを考え直さねばならなかった。




 やっぱりこれが一番つらかった。フツーに妊娠してフツーに出産してフツーに子育てして…というのができなくなったということだから、この日も付き添いで来てくれていた母親に対して、ごめんねと思った。子どもを授かることが最大の親孝行になると思っていたし、めちゃめちゃ喜んでくれると期待していた自分がいて、それができない悔しさにまた、打ちのめされた。




 乳がんを宣告された直後の日々、「死」のことが頭をよぎったかどうか、と、ときどき質問される。

 思い返してみると、、「この時点では、そんなに気にならなかった」と思う。

 「死」を意識するようになるのはもう少し後になってからで、このときは「子どもが望めない」ということへの喪失感や、夫と私の人生にそれが起こってしまったことの悔しさが、心を大きく占めていた。

 そして、尾田平先生との出会いが、あまりに強烈な第一印象を残したということも、その理由の一つだと思う。