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松浦信孝の読書帳

ダウンヒルはじめます。

2021.01.17 11:52

2021年に入って、2週間。

色々始めたり滞ったり、相変わらずごちゃごちゃした毎日を過ごしている。


そんな中、これを言葉にして良いものかどうか、悩んでいるが、あえて書くことにする。



昨年の怒涛の出会い(人、本問わず多くの出会いがあった。)で見えてきたことがある。


それは、「これ以上の真理はない」、という地点に出会ってしまった感覚。

今まで、より真理に近い本を、と追い求めてきて、そういう書籍の全てを読んだわけではないが、「突き詰めると、こうだよね。」というものは見えた気がする。


だから現時点の見え方では、他の本を読んでも、「これって、あのことでしょ。」となってしまうだろう。現にそういう本が増えてきてしまった。


その真理の確認作業は、僕がやるべき事だろうか?


執行草舟が言っていた、「内容はわかっているけれど、味わって読む」って、こういうことなのではなかろうか。燃料として問い続けるのは良い。けれど僕がそれをやっても前に進んでいかない。


昔の覚者たちが残してくれた真理を、「これって、こうだよね。」と体感なしに語るのって、清水店長が言っていた、「月指す指は月ではない」の指に自分がなっているということだとやっと理解し薄ら寒くなった。


だから昨年末感じてしまったのは、自分は思考の次元で到達する最高地点にまで到着してしまった感覚と、その先に登山道が途切れている景色だった。


体感とか実践が重要だと言いつつも、本質から逃げ続けている限り、自分の脳は思考を走らせ続けてしまう。しかしその先に真理はない。思考のマトリョーシカの虜になるだけだ。


思考だけで悟れるなら、水槽で培養した脳だって真理に到達するだろう。けれど体感を伴わない言葉には重みが乗らない。同じことを言っているようでも、人には響かない。ずっとあの手この手で回避してきた部分に目を向ける時が来た。


昔から、人と違う道を歩んでいた気がする。

周囲が勉強しているときに、違うことを学びに行ったり。

周りが臨床をちゃんと勉強しているときにも、全く関係ない分野に手を出してみたり。


そうやって歩んできた道の限界に到達して、茶道の先生やヨガの先生がいる、これより先の領域に到達するには一旦山を降りる必要があるのだな。というのが昨年の結論で、今年の方針になった。


今年は自分の本業を、徹底して勉強する。


本来下から積み上げていくはずのものを、見えた景色から逆算して接続する。


何年かかるかわからないけれど、もしそれができたら、良い感じの大人になるんだろうなと、今は少し、わくわくしている。