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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教56-新井白石とシドッティの邂逅

2021.01.17 10:51

鎖国中の日本に入国しようとした宣教師が居た。ローマ教皇の法律顧問もしたイタリア人、シドッティである。1708年10月屋久島に上陸したが見つかって江戸に送られた。そしてここで尋問に当たったのは当代最高の儒学者新井白石である。二人はお互いの学識を認め会い、ここで計らずも、東西対話が行われた。

白石は、その後出島のオランダ人からの聴取や不干斎ハビアンの著書なども読んで「西洋紀聞」「采覧異言」を著し、西洋の国々の状況を書いた。ルイ14世の起こした戦争が記されている。白石は、「天文・地理の事に至ては、企<くはだて>及ぶべからず」と西洋学問の凄さに驚嘆する。

一方、宣教師が日本を侵略するために来ているのではないことは理解したが、キリスト教についてはやはりすれ違った。シドッティも東洋哲学は理解していなかっただろう。白石は、世界を創造した人格神を批判したが、その信仰こそが、西洋学問探求の奥底にあることは理解していない。

シドッティは厚遇を受けたが、やはり世話係を宣教したことがバレて、地下牢に移され、やがて衰弱死した。白石の本は公開されなかったが、たまたま八代将軍吉宗がこの書を読んで、その影響で蘭学を解禁することになる。二人の対話がなければ、明治維新はもっと違ったものになったかもしれない。