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胸の奥にそっとしまったままで。

2021.01.19 15:00

Naoyaです。

今日は二十四節気の最後、24番目の節気の大寒となります。その名の通り、一年でもっとも寒いという意味。そして、水瓶座のシーズンの始まりでもあります。昨年の今頃は平年よりも暖かで、春のような陽気の日もありましたが、この冬はとても寒いです。その一方で、日没の時刻がちょっとずつ遅くなっているのを感じています。

プレオープンのエントリーとして、この「森羅万象の聲」に初めて記事を投稿したのは、3年前の大寒でした。あれから3回の二十四節気のサイクルが廻り、次回のMaribrengaëlさんのエントリーで、4年目に突入することになります。とはいうものの、アニバーサリーっぽさとか周年感みたいなものはなく、ただひたすら巡る季節や星たちの流れに則って、そのとき感じたことを吐き出し続けているだけで、それがまた新たに巡っていくだけなんだなぁと俯瞰しています。毎回、大寒が近づいてくるごとに、「森羅万象の聲」を終わりにしようかと思うものの、取り立てて辞める理由がないので続いている感じです。

最近は状況も状況なので、自宅で過ごすひとりの時間も多いのですが、プライヴェートで誰かと話がしたいというモードにまったくなりません。寂しいだとか、人との繋がりを感じたいという感じでもなく。そして、誰かに熱く伝えたい何かがあるわけでもなく、ふと気づくと、TwitterなどのSNSの投稿も前に比べて少なくなっていることに気づきました。「風の時代」になってから、自分の中の風の要素がどんどん静まり返っているみたいです。「森羅万象の聲」のひとつ前の僕の投稿や、山羊座新月のメッセージの発信をすっかり忘れていたのも、きっとそのせいでしょう。自分からSNSが剥がれ落ちているみたいです。

先日、知人の訃報が飛び込んできました。もう遥か昔、僕が若い頃にお世話になっていて、長いこと連絡を取っていなかったのですが、ひょんなきっかけで意外なルートから、その人の死をオンタイムで知りました。情報や人との繋がりを貪欲に求めなくても、必要なことは自分の手元にやってくるんだ、と実感しました。

その人との間には、とても味わい深い記憶や思い出があるものの、誰かに話したいとはまったく思いません。まして追悼の気持ちみたいなものをまぶして思い出に浸ったツイートやブログは絶対に書きたいとも思いません。とてつもなく私的なものをいちいちSNSやブログにアップして、それを元手に自己アピールしたり、誰かと交流を深めたり共感し合うことが、ひと昔前のやり方のように感じる今日この頃。胸の奥にそっとしまったままでいいものの方が、実はたくさんあると思うんです。

季節のサイクルの最果てにて。騒がしさとか、熱さを感じさせる物事や人から距離を置き、寒さが極まった冬の日々を、見送るようにひとりで静かに過ごしています。暖かさと共に賑やかさが解けてくる春が、着実に近づいているのを感じつつ。