夜のパリと真っ赤なパンツ

2016.09.14 18:31

現在夜の21時。私は今、スペインの国境近くにある、Narbonne(ナルボンヌ)という街にいます。


今週の月曜にパリに着き、友人宅でちょろっとパリ暮らしをして、いよいよ明日から3ヶ所目のwwoofingが始まります。


今回の記事は役に立つ系ではなく、頭の中でこんなこと考えてるよ系です。題名どうしたの?!って思った方、これから説明します(決してふざけてる訳ではありません!)。



ということで。


昨日の夜、私を泊めてくれていた友人(フランス人)と、その友人(フランス人)と一緒に、パリ6区のサンジェルマン・デ・プレのバーで落ち合いました。


2人は以前いた2件目の農家さん、la ferme de l'Ecureuilで一緒に過ごしたwwooferです。


なんだか、4月にパリに来た時には孤独で孤独で仕方なかったのに、メトロの乗り方もイマイチ慣れてなくて怖がってたのに、今やサンジェルマン・デ・プレのバーで!パリジェンヌと!お酒を飲める!


こんなこともあるんだなあ、とふと考えました。ありがたいなあ。涙が出そうなくらいに、前の自分からは想像がつきません。


あんなに、フランスに行くのが怖くて仕方なかったのに、今では会いたい人がたくさんいる。こんなにありがたいことがあっていいんだろうか。


そんなこんなでバーを出て、友人が自転車で来ていたので、夜のパリを自転車で回りつつ帰宅することに。


ここでもうー、なんとも忘れられない事件が!


友人が自転車の鍵を外して、信号に向かおうとした瞬間。

道路の下が通気口か何かになっていたんでしょうね、足元から急に風がぶわっと!!!吹いたんです。


私はズボン姿だったのでまったく気が付きませんでしたが、ワンピースを着ていた友人は見事に風に巻き上げられて、真っ赤なパンツがこんにちは。

自転車を支えるために彼女も手が放せず、風は吹き続け、30秒くらいパンツが見えてたんじゃないかなと思うくらい。


それを見て、「ああ、私今パリにいるんだ」と思う自分。


「こんな古風な映画みたいなことある!?」と焦る友人。


よくわからないけど、それをなんだか素敵な思い出のように感じました(あれ、これは男性的発想になってしまうんだろうか...)。


パリではこんなことも綺麗に見えてしまうのかーなんてぼんやり考えつつ、私はvelibを使用。


[velib(ヴェリブ)というのは、パリにある公共自転車サービスの名前です。至るところに自転車ステーションがあり、30分以内にステーション(どこでもOK)に戻せばなんと無料。通勤通学、ちょっとお出かけ、みんな使っているシステムです]



ということで、夜のパリを自転車で。もう秋になり、日が沈むのも20時頃になりました。真っ暗な夜空に、ライトアップされたパリの街並が映えて惚れ惚れします。


夜のパリなんて、日が暮れるのが怖くて出歩けなかったのになあ。velibの使い方もわかんなくて乗れなかったのになあ。


建物そのものはもちろんきれい。その中で夜風が吹いて、エッフェル塔、セーヌ川、オペラ座、東駅が光る。


タクシーの勢いに心底びびりましたが(すれすれを攻めてくるんです、しかも左側に慣れてなくてなお怖い)、夜のパリを自転車で駆け抜けられるなんて、何て贅沢なんだろうと。



きっといつか、"緊張する"とか"はじめて"というものが、"当たり前"になっていく。

最初は驚いて、感動して、すごいなあと思っていたことが、普通に思えるようになっていく。


それはいい意味でもあるし、悪い意味でもある。


5ヶ月前の自分に比べれば、私は成長したんだなあと思う。


でもそれが、できて当たり前、あって当たり前、見れて当たり前、そんな風にはなりたくない。できなかった自分がいるからこそ、感謝することを忘れないでいたい。知らなかった自分がいるからこそ、感動することを忘れないでいたい。すべてのことに敏感な感受性を持って私は存在していたい。



慣れはありがたい。だけど、慣れは怖い。何よりも恐ろしいものだ。

だからこそ、これから始まる生活のために、敢えて言葉にしておきたかった。


そんなことを、自転車に乗りつつ、パンツ事件を思い出しながら考えた。



1日を安全に終えられたことに感謝して。明日からの出会いに期待して。今日はもう寝ます。