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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大王対女帝2-プロイセン王国誕生

2021.01.18 11:05

スペイン継承戦争は北方でも異変を起こさせた。1701年1月18日、やがてドイツを飲み込むプロイセン王国が誕生した。ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世は、神聖ローマ皇帝レオポルド1世に、8千の援軍を派遣することを条件に王国を認めさせた。

王国といっても神聖ローマの域外であり、皇帝の知ったことではない。しかし王という称号は臣民を一致させる。また先代フリードリヒ=ヴィルヘルムは「ポツダム勅令」を出して、フランスからの亡命ユグノー2万人を受け入れた。これがその後の躍進の力となるのである。

ザクセン侯国では、「鉄腕王」と呼ばれるフリードリヒ・アウグスト1世が、1697年、ポーランド・リトアニア王国の選挙に勝ち即位した。鉄腕王は、若い頃先進国を訪問、特にヴェルサイユ宮殿に感動し、ザクセンを北のギリシャと言われる芸術都市へと変貌させる。

ポーランド王はカトリックなので、彼はなんと自分の野望のために旧教に改宗する。このせいで、新教の中心は、ザクセンからプロイセンに移るのである。ともあれ、ポーランド王アウグスト2世となった鉄腕王は、自分の野望のために、ロシア、デンマークと共にスウェーデンに戦いを挑む。

下はフリードリヒ1世の戴冠