「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡本pdfダウンロード
「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡
「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡本pdfダウンロード - 篠田 英朗による「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡は勁草書房 (2012/5/1)によって公開されました。 これには346ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、2人の読者から4.7の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
多くの人々はこれらの本をPDF形式で[ダウンロード]本タイトルをダウンロードしたり、無料の本を入手するためにタイトル本電子ブックPDFをダウンロードしたりするなど、いくつかのクエリで検索エンジンでこれらの本を検索しようとします。 検索エンジンでより良い結果を得るためには、検索クエリ「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡 Download eBook Pdf e EpubまたはDownload 「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡 PDFを使用することをお勧めします。
「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡 の詳細
この本を見つけたり読んだりすることにした場合は、「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡の詳細を以下に示しますので、参考にしてください。
書名 : 「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡
作者 : 篠田 英朗
ISBN-10 : 4326351608
発売日 : 2012/5/1
カテゴリー : 本
ファイル名 : 国家主権-という思想-国際立憲主義への軌跡.pdf
以下は 「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡 の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
「国家主権」というと、今では「内政不干渉」などとセットでイメージされることが多い。しかし、国家主権を巡る議論は、それだけにとどまらない幅広いものをもって、現在の主権論に至っている。本書は、その歴史をひもとく試みである。ある時代までは、主権概念は「主権者」とワンセットでしか考えられなかった。つまり、抽象的な「主権」があるのではなく、あくまでも具体的な対象が「主権を持っている」のである。そのため、例えばフランス革命で国王が処刑されると「では真の主権者はどこだ」という議論が起こった。主権は、その上位者が存在しないようなものを意味している。であるとすれば「主権が制限される」とか「主権が分割される」というのはよく分からない話になってくる。社会契約論では人民の合意によって秩序が設立されると考えるが、ヘーゲル等の有機的国家説は国家そのものに統一された単一の意志を認める。国家を単一の人格と見ることで主権を確立しているとも言える。これが19世紀の大陸的な見方のベースにある。この見方だと国際社会には主権国家しかいなくなる。一方イギリスは、政治的主権(国民主義に関わる)と法的主権(議会の法制定の無制約性)とを分離する立場が強い。国際社会も、主権、疑似主権、非主権とが混在することになり、帝国主義が肯定される余地が出てくる。アメリカでは、南北戦争を機に主権が州から国民にシフトさせる議論が強くなる。国際社会は主権国家同士の世界だが、力は不平等で制限も許される。主権が上位的に制限される「国際立憲主義」は国際連盟に現れてくる。しかし、これは「道徳」によって各国家の主権を制限するものであり、またその道徳の内容が英米に都合がよいものだという批判も巻き起こる。アメリカは主権制限に反対する議会により国際連盟を脱退する。そしてまた、主権を凌駕する道徳の虫の良さ、危機状況における力としての主権の回復をシュミットは主張し、カーも道徳のユートピアニズムを批判する。モーゲンソーもまた、力を持ち得なかった英米自由主義を鋭く批判し、国際社会を絶対的な主権同士の力の対立と見る。主権の基礎は力しかあり得ず、そこから目をそむけるのは欺瞞であると論じる。冷戦構造は、東側や第三世界が「内政不干渉」を論じるために主権が持ちだされるようになる。しかし80年代以降、人権規範の普及とともに、再び「新しい立憲主義」が広まり、主権は尊重されるが絶対的ではないという流れに向かう。内容は非常に興味深い。しかし、思想家を並べていく面が強く、読んでいてすっきりと整理された気分があまりしてこない。また、20世紀に入る前の議論が駆け足過ぎてよく分からない印象も強い。もう少し筋を明確化した上で、時代を絞り込んだ方がよかったのではないかと思う。