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監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心-本ダウンロード

2020.10.05 01:38

監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心-


監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心-本ダウンロード - 任 章による監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心-は同文舘出版 (2017/4/4)によって公開されました。 これには256ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、1人の読者から3.9の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。

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監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心- の詳細

この本を見つけたり読んだりすることにした場合は、監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心-の詳細を以下に示しますので、参考にしてください。

書名 : 監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心-

作者 : 任 章

ISBN-10 : 4495205617

発売日 : 2017/4/4

カテゴリー : 本

ファイル名 : 監査と哲学-会計プロフェッションの懐疑心.pdf

以下は 監査と哲学 -会計プロフェッションの懐疑心- の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。

欧米の会計プロフェッションの間で、職業的懐疑心(professional skepticism)に対する関心が高まっている。しかし、監査人の「懐疑」についての哲学的・歴史的背景や定義を詳細に取り扱った本書のような研究は極めて少ない。本書は、古代ギリシア哲学におけるピュロンらの懐疑主義から説き起こして、中世のセクストス・エンペイリコスや近代のデイヴィッド・ヒュームの思想を渉猟し、現代哲学に至るまでの数多くの「懐疑」(Skepticism)をめぐる哲学的思潮を俯瞰している。著者の「はしがき」には、「哲学的懐疑主義に全く関心をもたぬ監査プロパーの読者にあっては第1章を飛ばして読んでいただければ良い。また、懐疑主義導入の嚆矢を放ったマウツ=シャラフの思いにご関心があれば、第2章に専心していただければ良い。」とある。しかしながら、第1章・第2章が本書のプロフェッション・ド・フォア(Profession de foi)と称すべき部分と解するので、ぜひ最初でも最後にでも、第1章を読まれることをおすすめしたい。監査という行為自体が『疑う』という要素を本質的に内包し、『疑う』という要素なしでは、監査という行為自体が成立しない。監査に従事する会計プロフェッショナルの本職は『疑う』ことであると言われている。経営者には、財務諸表を故意に歪めるインセンティブがあり、財務諸表には経営者の判断ミスや会計手続上の誤りによって虚偽が含まれている可能性があることを監査人は常に念頭に置いておく必要がある。この「懐疑心」を、どの程度強く意識して監査手続の計画・実施・評価に臨むかという問題が、監査上の職業的懐疑心(professional skepticism in a financial statement audit)である。「公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もつて国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする。」と法律では規定されている。しかし一方で、職業的懐疑心(professional skepticism)の定義は明確に示されてはいない。東芝は4月11日、監査法人の適正意見を得られないまま、2016年4~12月期決算を「結論不表明」で発表した。同社の監査人であるPwCあらた有限責任監査法人は、この決算を「適正」と認めていない。PwCあらた監査法人の前身は、PwCの日本におけるメンバーファームだった中央青山監査法人で、2005年にカネボウ粉飾決算事件にかかわって解散に追い込まれた。解散後、PwCあらた監査法人になり、今回は厳格な姿勢で臨んだと思われる。投資家の立場からすると、企業の財務諸表が疑わしいものであると、安心して企業に投資することができない。こうした「情報の非対称性」をいかに軽減することができるかという点でも、監査業務は重要な意味を持ち、それに携わる監査人の職業的懐疑心の深さは、資本主義市場の健全な発展に関わるものである。監査と哲学に関連した分野の先駆的研究は、ウィリアム・モンタギューの「知の方法論」(1925)と、それに影響されたマウツ=シャラフの「監査哲理」(1961)である。その成果について、本書の著者の論文から引用させていただく。「マウツ=シャラフは古代ギリシャ以来の哲学をも俎上にあげていた。彼らは古くからの哲学基盤を含め、科学性を促進する上では拒絶されるべき形而上学全般に言及していた。マウツらは、あえて未踏の領域、監査哲学についての議論を巻き起こすために、理論が分散し概念が膨張してしまう事態を承知し、それらを故意に放置したと思われる。マウツ=シャラフ(1961)の哲学的な監査思考方法は、その後米国会計学会により刊行されたASOBAC(1973)に引き継がれた。同時に、監査基礎概念にては哲学が包摂する、現実と否定的に交渉せざるを得ない傾向までが、受け継がれてしまった。当初マウツ=シャラフによって導入が図られた懐疑主義は、後に『監査人の責任に関する特別委員会:報告、結論と勧告』(AICPA, 1978,コーエン委員会)報告書により、純粋な哲学思考から離れ、正当な注意義務水準の目標たる職業専門家の懐疑心(professional skepticism)に矮小化され、会計プロフェッションに対し要請され始めた。他方で監査基準書にあっては、説得的たる証拠属性が変わらず措置された。そして21世紀に至ってからは殊に財務諸表監査の領域で、監査人に現実と否定的に関わることを促す、被監査経営陣の誠実性を疑ってかかる程の、原則的懐疑(presumptive doubt)の態度が要請され始めている。」「マウツら(1961)はその書の巻頭言にて、『我々が執筆した書のタイトルによって、あらぬ誤解が生じないよう望んでいる。我々は当該の研究が監査哲学の完成形を示すものとは全く、考えていない。監査哲学という本書タイトルに関して言えば、我々の努力は不完全に終わっている』と述べていた。時に統合失調性さえ見出される哲学のアプローチは、監査概念の探究者 “audit thinkers” を、さらなる思考の深淵に引き込もうとしている。監査が社会に批判的に関る思索的構造論である限り、それは非収斂性から逃れることが出来ないのである。」(任章 「現代分析哲学の監査概念基盤への浸透過程」2015-03 )こうした思考の深淵を覗き見るような監査概念の探求とは別に、「市場の番人」としてアメリカ証券取引委員会=SECの委員長を1993年から2001年まで 8年間務め、 様々な制度改革に奔走して小口投資家を守り、公正な市場を目指した第25代SEC委員長アーサー・レビットについて述べた部分は印象深い(cf.「ウォール街の大罪 ― 投資家を欺く者は許せない!」日本経済新聞社.2003)。現在の東芝問題を鑑みるに、日本政府が守りたいのは企業か、それとも公正な市場か、と問いたくなる。この問題を「不適切会計問題」として処理しようとした背景を考察する上でも、本書で探求されている「懐疑心」が必要とされるであろう。目次第1章哲学的懐疑主義の様相 ― アンソロジーに代えて1.古代ギリシャの懐疑主義2.中世の終焉と懐疑主義の復興 ― デカルトとロック3.近代の懐疑主義者 ― スコットランドのヒューム4.現代哲学と懐疑主義 ― 現代監査の概念形成に影響を与えた思想家第2章哲学思潮と監査概念との共振1.1925年モンタギュー ― 『知の方法論』2.1961年マウツ=シャラフ ― 『監査哲理』3.マウツ=シャラフ監査公準の死角 ― 被監査経営者との利害関係性第3章米国の現代監査史1.1970年ペン・セントラル鉄道会社事件 ― 嵐の始まり2.1973年エクイティ・ファンディング社事件 ― 懐疑心の欠落3.1975年事件調査報告書 ― 責任回避の顚末とSECの態勢4.1976年モス小委員会報告書 ― SECへの批判5.1977年メトカーフ小委員会報告書 ― 会計プロフェッション界への挑戦状6.1978年コーエン委員会報告書 ― 期待ギャップの克服を目指して7.1978年オリファント委員会報告書 ― 監査基準設定主体の擁護8.1986年アンダーソン委員会報告書 ― 職業倫理規範の再構築9.1987年トレッドウェイ委員会報告書 ― 不正な財務報告に関する全米委員会10.1993年公共監視審査会特別報告書 ― 公共の利益のために11.1994年カーク・パネル ― プロフェッショナリズムの高揚12.1995年民事証券訴訟改革法 ― プロフェッションの保護主義13.2000年オマリー・パネル報告書 ― 懐疑原理主義の起点第4章期待ギャップと会計不正1.期待ギャップの構造2.期待ギャップ監査基準書について3.不正リスクのトライアングル第5章米国会計プロフェッション自主規制の終焉1.第25代SEC委員長アーサー・レビットの問題意識2.会計プロフェッションの独立性3.政治的マインドの跋扈とその帰結第6章不正に関する監査規範1.不正に対抗する監査規範の展開 ― その起点2.1960年SAP第30号 ― 経営者が誠実という前提3.1977年SAS第16号 ― 経営者が誠実という前提の維持4.1988年SAS第53号 ― 監査人の中立性5.1997年SAS第82号 ― 中立性から原則的懐疑への道筋6.2002年SAS第99号 ― 原則的懐疑の表象7.国際的な監査規範8.日本の監査規範第7章職業専門家の懐疑心の属性1.懐疑心の深淵2.心証の崩壊について3.新世紀米国における監査人懐疑心研究の進捗状況第8章まとめと展望1.現代監査の哲学的基盤2.実用主義と懐疑との相克3.米国現代監査史の半世紀を省みて4.プロフェッションの内なる相克と今後の展望 ― 『21世紀の公開会社監査』資料1.1990年代米国におけるビッグ5監査法人報酬要素内容の変遷2.1990年代米国における大卒初任給の業界別変遷3.米国証券取引委員会歴代委員長名補遺(転載)「被監査経営者の不誠実性」― SEC委員長宛エンロン社元会長からの書簡