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アロマ検定1級用⑲ 歴史 ~古代~

2015.05.06 04:31

アロマセラピストを目指しているYumiです^^


今日、やっと自分の持っている精油の香りが全部正解出来ました!

でも、昨日「生活の木」に行って嗅いでみたら・・
自分の持っている精油の香りと違うものがあってビックリ!

それ以外は、自分の持っている精油より分かりやすかったかも?
全部揃っていたわけじゃないけど。
検定まで、何度か行って覚えていこうと思います^^

さてさて、残すは「歴史」と「環境」ですね。
歴史は、以前書いているので、詳しく見たい方は、そちらを見てみてください^^



<歴史>

~ 古代 ~

古代エジプトでは、ミイラ作りに「乳香(フランキンセンス)」「没薬(ミルラ)」などの芳香植物が用いられ神殿では、煙で香りを焚く「薫香」が行われていました。
当時の芳香植物の活用法は、この「薫香」とハーブティーやハーブオイルなどをお湯やオリーブオイルなどに漬け込んで作る「浸剤」が主流でした。


インド・スリランカを中心に行われている伝統療法「アーユルヴェーダ」は、紀元前1500~1000年頃の賛歌集「リグ・ヴェーダ」にその源流が見られます。
医学のみならず宇宙観・自然観を含む哲学でもあり、具体的な生活方法も含みます。


ソロモン王とシバの女王の逸話
「旧約聖書」では、シバの国の女王がソロモン王の博識を確かめるために「黄金」「宝石」「乳香(フランキンセンス)」「白檀(サンダルウッド)」などの香料を贈ったとされています。

アレキサンダー大王の東方遠征
マケドニア王国のアレキサンダー大王(紀元前356~323年)の東方遠征と大帝国建設を契機として東西の交流が行われ、やがてギリシャ文化とオリエント文化が融合した豊かな「ヘレニズム文化」が誕生しました。
同時に、東西のハーブやスパイスが交易品として取引されるようになり、大王が遠征中に建設した港町「アレキサンドリア(エジプト)」は東洋(インド)からの香料の集積地・加工地として栄えました。


新約聖書の逸話
「新約聖書」では、イエス・キリスト誕生の際に、東方の三賢人が「黄金」「乳香(フランキンセンス)」「没薬(ミルラ)」を捧げたくだりがあり、「乳香」と「没薬」は「神の薬」を意味し、今日でもアロマテラピーで広く使われています。
また、キリストを葬る際に塗られた「ナルドの香油」はチベット地方原産の高山植物「スパイク・ナルド」という植物の浸剤だったと考えられています。


医学者 ヒポクラテス
古代ギリシャの医学者ヒポクラテス(紀元前460~375年頃)は、それまでの呪術的な手法とは反対に病気を科学的にとらえて西洋医学の基礎を築き、「医学の父」と呼ばれています。
没後、「ヒポクラテス全集」が編纂されました。
また、マッサージの重要性を説き、医療の手法や健康づくりに用いたとされます。


哲学者 テオフラストス
古代ギリシャの哲学者テオフラストス(紀元前373年~287年頃)は、アリストテレスの弟子で、植物を系統立てて研究・分類し、「植物誌」を著して「植物学の粗」と言われました。


博物誌家 プリニウス
古代ローマの博物誌家プリニウス(23~79年)は、77年に全37巻にもわたる「博物誌」を完成させました。大規模な自然誌で、古きよき農業国ローマの伝統が賛美される大作です。


古代ローマの皇帝 ネロ
暴君で知られる皇帝ネロ(37~68年)は、バラの香油を身体に塗り、部屋をバラの芳香で満たすなど、バラ好きで有名でした。
古代ローマでは火災防止のため集合住宅での浴室設置が禁止され、公共の浴場カラカラ浴場では、人々が香油を身体に塗っていたと言われています。


古代ローマの医学者 ディオスコリデス
ディオスコリデス(40~90年)は、皇帝ネロ統治下のローマ帝国内で軍医として働き、「薬物誌 マテリア・メディカ」を著しました。
これは、薬物(植物・動物・鉱物全般)を薬理機能上(収れん・利尿・下剤など)から分類したもので、収載物は600種、薬物全体では1000項目にもなり、千数百年もの間、古典として広く利用されてきました。
現存する複写本では512年に写本されビザンツ帝国の皇女に献上されたと言われる「ウィーン写本」が有名です。


古代ローマの医学者 ガレノス
古代ローマ時代のヒポクラテスに次ぐ著名な医学者ガレノス(129~199年頃)は、コールドクリームなどの製剤法の創始者として知られています。
ヒポクラテス医学を基礎として、自らの解剖学的知見と哲学的理論により体系的な学問としての医学を構築しました。
動物の解剖を実施して優れた成果を挙げましたが、人体の解剖は行いませんでした。


中国の薬物について書かれた本草書
中国では薬物について書かれた本を「本草書」と呼び、最も古いものは漢の時代(2~3世紀)にまとめられています。
「神農本草経」は西洋の「マテリア・メディカ」と並び称される薬草学書です。
5世紀末に陶弘景(456~536年)によって再編され730種の薬石が載った「神農本草経集注」として今日に伝えれています。