「愛人ラマン」(6)ーサデックの青い家-1:映画ロケ地パーフェクトガイド
2016年8月 ベトナム旅行
サデックツアーの一番は「ヒュン・フィン・レイ(Huỳnh Thủy Lê:黄水黎:中国人青年)」の生家になります。
グーグルマップでは「Nhà cổ Huỳnh Thủy Lê」(ヒュン・フィン・レイの古民家)と期されています。
映画では青い家とされています。
実は映画を見ていると混乱してしまいます。
最初に少女と中国人青年の会話の中で、中国人青年が「土地の者です」と答えると少女は「ヴィンロン?」と問いかけます。
中国人青年は「河に面したテラスの屋敷に住んでいます」と答え、少女は「青い家?」と問い「ええ」と答えるからです。
青い家がヴィンロンにあるかのような会話に思えます。
小説にはこのような会話はありません。
小説では、青年がサデックの青いタイルの家に住んでいることを話しています。
少女もサデックの女子小学校の教師の娘であろことを青年に告げているのです。
青年は少女の母親のことを知っていました。
なぜ、映画ではこのような会話になったのかの推理は後程書いてゆこうと思います。
少し前時期の記事を見ますと、青い家は川ぞいにありますが、家の前に建物が建っていてとても当時の雰囲気がないという記事を見かけました。
確かにグーグルマップの航空写真を見るとこの家の前には建物が建っているように見えます。
2016年8月に訪れると家の前の建物は取り壊されていました。
まだ、サデックマーケット前は取り壊し工事中でした。このあたりを昔の川沿い風景を取り戻すように再開発しているようです。
青い家は立派な存在感のある建物ですが、意外に小さな建物です。
現在では両側の建物のほうが大きいのです。
映画の撮影当時は役所か警察署かの建物となっていて撮影はできなかたということです。
現在は、内部が整備されて、英語とフランス語によるガイドが行われています。
マルグリット・ヂュラスの人気は欧米ででは現在も高く、訪れる人は欧米人ばかりでした。
一緒に英語のガイド受けていた30台後半ぐらいのカップルは映画を見ていなくて、小説を読んで訪問したそうです。
我々とは逆のパターンなのはしかたありませんね。
なにせ1992年公開の映画ですから。
こちらはフランス語のガイドのグループです。関羽廟の前で説明を受けています。
関羽廟はとても存在感があります。
生活する家の中までこんなに大きくするするってすごいことですね。
エントランスホール右側には、マルグリット・ヂュラスの晩年の写真と少女のころの写真や家族の写真が展示されています。
また、撮影当時のジャン・ジャック・アノー監督の写真も飾られています。
エントランスホールの左側には小説のモデルとなったヒュン・フィン・レイの写真が飾られています。
小説の舞台となった1929年がすぐそこに感じられます。
この家の頑丈な扉です。
この家を長年、外から守ってきましたが、大きな扉に阻まれたように、マルグリット・ヂュラスは決してこの家に入ることがなかったのでしょう。
関羽廟の裏はプライベートスペースになります。
ベッドは天幕がついていますが、意外と狭いのですね。
2つのスペースの裏側がバルコニーになていて、全体的には意外とこじんまりとした家です。
内部は2の大きなフロアーだけですから、ガイドは15分から20分で終わります。
あとは裏のテラスでロータスティーをゆっくり飲んで、静かに映画や小説の世界に浸ることができます。
優雅にお茶を楽しんだのですが、後であることに気づきました。
入場料は30、000ドンです。
チケットの裏にはロータスティーのサービスが含まれているとが書いてあることに後で気づいたのです。
私たちは知らなかったので、ガイドさんにいくら?
と聞いてしまったため、英語のガイドの女性はちゃっかりお茶の代金を受け取りました。
150円ぐらいでしたが。。。
1929年当時のサデックの雰囲気は十分に堪能できました。
さて、映画のロケに使われた家は別の場所にあります。
映画のロケ当時この家は役所だったため、撮影は、国道1号線(QL1A)をミートュー橋からまっすぐ南に下ったカントーにある古い家を使ったとのことです。
映画の青い家はこんな感じです。
内部は広い感じですが、雰囲気はよく似ています。
関羽廟は、サデックの方が立派でした。
い青い家のロケ地についてはまだまだ続きます。
Nhà cổ Huỳnh Thủy Lêの場所こちらです。
また内部のロケ地「VNhà cổ Bình Thủy」はこちらになります。
何とか制覇しようと思いましたが、距離が遠く無理でした。
青い家編は続きます。