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禅とシンボリズム

2018.01.20 01:24

https://hotokesamatoissyo.hatenablog.com/entry/2019/01/12/200000 【【禅問答とは一体なんなのか?】シンボリズムについての考察】 より

巷においては、禅問答=理解できない会話・議論の代名詞みたいになっている気がする(`・ω・´)ノ まあ、そうなんだけど…

しかしながら「シンボリズム」という視点を学ぶと、超貴重なライフハックになります。

ちなみに、禅の修行が深まると、これが自由自在に表現できるようになってきます。

というわけで「シンボリズム」について書いてみようと思います。

***

「シンボリズム」っていうのは、一般的には「象徴主義」のことを指しています。

ちなみに「象徴主義」の定義として、「理念に感性的な形態をまとわせること」

(byジャン・モアレス Wikipediaより引用)という一文があります。

これは簡単に言うと「ある概念に、五感で認識できる形を与えること」です。

例えば、「春」っていう「概念」を表現するときに、

・桜

・ポカポカした気温

・雪解け水

・ウグイスの鳴き声

など、目で見たり耳で聞いたりできる「具体的な形」を与えることができます。

これが、春(概念)→桜(五感で認識できる形)です。そして、これの逆の動きも、成立します。

桜(五感で認識できる形)→春(概念)です。

これは、「五感で認識できる形から、ある概念を導き出すこと」ですね(`・ω・´)ノ

***

というわけで、まとめると

①春→桜 (抽象的な概念→具体的な形式)②桜→春 (具体的な形式→抽象的な概念)

この「春⇔満開の桜」の図式が、シンボリズムです。

さて、このシンボリズム(象徴主義)は、

「絵画や音楽などにおける芸術表現の傾向」という狭義で捉えることもできますし、もっと広い意味で捉えることもできます。

仏教や禅は、どちらかというと「広い意味でのシンボリズム」で成立しています。

宗教とかスピリチュアルも、そうだと思います。


https://note.com/zen_akano/n/n5dc91c43ed77 【禅画の円相と成長のイメージ】 より

あなたは「成長」や「発展」と聞いて、どのようなイメージを思い浮かべますか?

禅に出会う前の私は、□の人生を歩んでいました。

左下の角から右上に向かって、とにかく右肩上がりを目指して頑張る。

人からの評価、車や服、お金、地位、パワーをもっと得るため、目標を達成するための計画や戦略を立てて、達成してきました。

ところが、どれだけ売り上げを上げても四角は四角。

たとえば、5000万円の売り上げを達成しても、1億の売り上げを上げている人もいます。

自分よりすごい人は、いくらでもいて、上を見ればきりがありません。

これが「さらに頑張ろう!」というモチベーションにつながることもありますが、□を大きくするためにいくら頑張っても、苦しさがなくなることはありません。

目標を達成するたびに、□は少しずつ大きくなっていきましたが、

□をどれだけ大きくしても、自分の欲が満たされることはない。

□という枠から出ることはできない。

ということに気がつきました。

ここで申し上げたいのは、□の人生が悪いということではありません。

より高い目標を達成するために頑張り、心が満たされたら素晴らしいと思います。

今もし、□の生き方に疑問をお持ちだったら、別の生き方があることをお伝えしたいのです。

あなたは「円相」をご覧になったことがありますか?

下のような、円を筆で描いた書画です。

禅のシンボルと言われていて、誰が書き始めたというものではありません。

また、さまざまな円相があります。

宇宙や真理などを示していると言われますが、観た人が自由に意味を解釈してよいのです。

円相はどこからスタートして、どこで終わるというのがありません。

禅の修行に参加するようになって気づいたのは、〇の人生があるということです。

私たちが成熟していくためには、原点や初心に戻ることが必要という話を「『初心』ビギナーズマインドとは?」に、書きました。

初心者のための禅入門の講座でも、成長しようと努力してきて、気が付いたら原点に戻っていたという経験をシェアしてくださった経営者がいました。

お店を経営されているAさんがお客さんのカルテを整理したところ、今でも来てくれるお客さんは、お店をオープンした年に使っていたピンクのカルテの方が多かったそうです。

Aさんは売り上げをさらに増やそうと経営者向けのセミナーで経営理論などを勉強して、いろいろと努力されてきました。

ところが、Aさんを支えてくれているのは、理論に基づいて、いろいろと工夫をすることで来店された方ではなく、お店をオープンした年に出会ったお客さんだったというのです。

初めてお店を持って、混じり気のない気持ちで仕事をしていたときの原点が自分らしくてよかったということに気がついたということでした。

「『初心』ビギナーズマインドとは?」では、ある経営者の言葉を引用させていただきました。

「ずっと自分は前に向かって成長している

と思っていたのですが、実は最近、

自分の原点に戻っている気がします。

本来、自分が持っている魂を磨いている

感じかもしれません。」

〇の道はぐるぐる回っているので、進んでいるようで戻っています。

たとえば自分では西に向かって歩いているつもりでも、逆から見ると東に向かっています。

「一歩歩いたから、一歩進んだ」と思っていても、〇の一部として捉える、立体として見るなど、見方を変えると、戻っていたり、逆方向に進んでいたりするのかもしれません。

自分が見えているものだけを見ていて、別の観点からは見ていない可能性があるのですね。

□のやり方が悪いわけではありません。

生きるためには、お金や物も必要です。

ただ、最近私は、〇い考え方がしっくりきます。

禅の老師から聞いた話が印象的でした。

水を砂浜にまくと、水はどうなるでしょうか?

水は吸い込まれて、見えなくなります。

見えなくなりますが、水はどこかにあります。

私たちの命、生や死も目に見えません。

生や死は、私たちが意識で作り出した概念なのかもしれませんし、死は、水が砂浜に溶け込むようなものかもしれません。

こういう話を聞くと、生と死にもこだわる必要がないと思って、落ち着きました。

以前は、このような問いをよくしていました。

何のために仕事をしている?

何のために生きている?

何のために生まれてきたのか?

でも、最近は少し問い方が変わってきました。

何が自分を生かしてくれている?

私がお役に立てることは?

今この瞬間できることは?

簡単には答えが出ない問いです。

問い続けても意味がないかもしれません。

でも、問わない人生よりは、私は問い続ける人生が好きです。


http://www.noevir-hk.co.jp/magazine/2016/12/post_1358.html 【禅宗/円相の教え】より

■「円 相」

禅寺に行くと、円相「〇」を描いた掛け軸を見かけます。これは何を意味しているのだろう・・

「この丸は 月か団子か桶の輪か角の取れたる人の心」禅における円相「〇」は、角の取れた

あるがままの心、人の心を表しています。

「円(まどか)なること太虚のごとく欠くることなく余ることなし」

「〇」は大空(太虚)のように、境目がなくまん丸である。過不足なく、自由むげな悟り

の境地や、とらわれのない世界を表している。

1455 「吉村外喜雄のなんだかんだ」幸せな人生 「禅宗/円相の教え」

新しい年を迎えるとき、ふと生きてきた人生を振り返る・・と同時に未来に思いをはせる。そのとき私たちは、人生というものを”直線的”に見ている。

禅の教えに円相「〇」がある。禅では、人生を円相に丸く考える・・

円には始まりも終わりもなく、無始無終・・どの一点をおさえても終着点であると同時に、出発点になる。

この考えが、人生を意義のあるものに変えていく。

このことから二つのことが学べます。

その一つは・・

「どの一点をおさえても、今日まで生きてきた自分の人生の総決算の姿であり、同時にこれからの人生の出発点に立つ」という教え。

人生に降りかかる様々な困難を、どう受けて立ち、乗り越えてきたか・・その生きざまが、今の自分の人格になって表れる。何を思い何を語り、どう行動してきたか・・その積み重ねの上に今の自分がある。

久々の同窓会に出席して・・学生の頃目立たなかった友人が、ハッとするほど立派になっていたりする。

人生、物事をプラスに転じてきたか、マイナスに受け止めてきたか・・その違いが今の自分に大きく影響する。

釈迦は、この世の中には四種類の人間がいると語っている。

1. 闇から闇へゆく人 3. 光から闇へゆく人

2. 闇から光へゆく人 4. 光から光へゆく人

人生の幸を”光”、不幸を”闇”に置きかえてみるとよくわかる。

人から見れば小さな不幸でも、そのことにいつまでもこだわり、ひきずって、闇を5倍にも10倍にも膨らませてしまう人がいる。

一方、どう見ても闇にしか思えないようなことでも、幸いと受け止め、自らの人生を高めるチャンスと受け止めて、成長のかてにする人もいる。