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DMC JAPANバトル部門優勝者 DJ FUMMY、世界への挑戦を語る

2016.09.21 10:00

DJバトルにある程度の知見がある人は、DJ FUMMYの名前をすでに知っていると思う。10代より数々の大会に出演して入賞し、2013年にはDMC JAPAN FINALのシングル部門で優勝、ロンドンの世界大会を経験している。 

大阪はPLANT RECORDSに所属するDJ FUMMYは、Kireekらとレーベルメイトであり、17歳のころから毎年DMCに参加し続けている。今年はバトル部門に初エントリーし、見事優勝の座を勝ち獲った。当日は自由に伸び伸びと、楽しそうにプレイしていたDJ FUMMYだが、実は「今年は出ないでおこうと思っていた」と胸の内を語った。 


「DMCは年に1回の恒例行事みたいになっているんですが、今年はもうやりたいことが自分のなかから出てこないような状態で。でも、エントリー締め切りの日にテンションが上がって、出ることに決めたんです。その時点でルーティンは1個しかできていなかった」 

“ルーティン”とは、シングル部門なら6分間、バトル部門なら1~1分半のセットのことを指し、さらにバトル部門はルーティンが6個必要になってくる。 

「ギリギリまで動けない状態で、当日までの1週間で、残りの5個を作ったんですよ。エントリーしたからには出なあかん!という感じ。しかも、本格的にスイッチが入ったのが、大会の前日でした。遅いねんって話なんですけど」

ーターンテーブルの神の声が聞こえたとか?  

「神の声だったのか、お酒の力だったのか(笑)。今まではシングル部門にエントリーしていたので、新しいことや変なことをやることにフォーカスして挑んでいて。でも、バトル部門ではシンプルでスタンダードなターンテーブリズムの方が受けるかなと。自分でもそれが一番好きですし。だから、いけるかなと思ったんですよね」

2013年に世界の舞台を踏んだものの、ここ2年間くらいはスランプの時期だったと話す。

 「悩んで考えすぎて動けないような状況でした。でもエントリーしたら、嫌でも大会の日は迫ってきます。今まで何度もバトルに出て、何度か賞を取っていることもあって、変な慣れが生じていたせいで、何もしていなかった。でも、前日にようやくテンションが上がり、今日の朝まで一睡もせずにルーティンの仕上げにかかりました」 

ターンテーブリストはこのように、寝る間も惜しんで練習に励んでいるイメージだが、彼の場合は波が激しく、「何週間もまったくやらない場合もあれば、ひたすらターンテーブルに向かっている何日間がある」という。しかし、波が激しいタイプのプレイヤーほど、スランプの後には一気にスキルが上昇するのだろう。さらに、8年間積み上げてきた知識や経験が、何よりもの糧だったに違いない。 

「毎ラウンド終わるごとに、負けたと思った。だから勝つたびに驚きました。前日になってルーティンを仕上げたというのもあるし、よくやったと言えばそうなんですけど。でも、普通に考えてそんなやり方じゃ絶対に勝てないですよ。だから、運もあったと思う」

 ーちなみに、緊張はする方ですか?

 「今回はしましたね。でも緊張を見せた瞬間、終わりだと思う。人間同士だと、相手にはそれが伝わりますし。ただスランプの時期だったとはいえ、出てみたらやっぱり楽しかったです」 

ターンテーブルに目覚めたきっかけ  


ー15歳でターンテーブルを触りはじめたんですよね。最初はなぜ興味を持ったんですか?

「15歳って、部活をするかバイトをするか、それともギターを弾き出すか、という時期ですよね。僕の場合、DJが単純に一番カッコいいなと思って。あの、宇宙船のコックピット感。光るし回るし、デカい。それで『週刊ジャンプ』とかに載ってた5万円くらいのDJセットを買ったんですが、全然使いモノにならなくて。スクラッチしようとしても、針がポーンって飛んじゃうんですよ。だから、ターンテーブルが鍵とかキャップ置き場になってた(笑)。DJって、ヒップホップとかが好きでやる人が多いと思うんですけど、僕の場合はロックが好きでしたし、ターンテーブルを買ったのも音楽を聴くのが目的ではなく、ただスクラッチという行為がしたかった。でも、そのスクラッチだけができないという(笑)。そんなある日、母が”スクラッチばかりやっていいヤツ、あるらしいで?”って。”え!? スクラッチばかりやるヤツがあるん!?”って(笑)」 

 ー(笑)。  

「15歳の子供が自分で何かを買ったのはうれしかっただけに、”鍵置いてるだけやん!”って思ったんでしょうね(笑)。それで、”スクールもあるらしいで。最初だけはお金出したる”って」

 ーお母さんに感謝ですね!

 「ありがとうの気持ちと、あとは大変なことも多いので、別の気持ちもありつつ(笑)」

ー今は機材は何を使っていますか? 

「始めた時はバイナルでしたが、その後にSerato DJに移行、今はNative Instruments Traktor Kontrol Z2とTraktor Scratchの組み合わせですね。針はShureですが、実は飛ばなければ何でもいいです。機材に対して強いこだわりはなくて、左右違う針でやってるときもあるくらい(笑)」

 ー影響を受けたターンテーブリストは? 

「最初のころは、だれのルーティンを見ても何をやっているのかぜんぜん分からなくて。でも、スクールに通って本格的にやり始めて1年くらい経ったころに見た、DJ IZOHさんの2005年のDMCの映像には震えました。こういうことがやりたい!と思いましたね。音楽も一気に聴くようになったんです」  

ー日本語ラップを使ったヤツですね。 

「もう、すべてがカッコ良かったです。DMCに頑張って出ると、DVDで見ていた人たちが目の前にいて、しゃべったら面白くて」 

 ーFUMMYさんも、今やその一員になっていますね。

 「ただ、出続けていただけなんですけどね。去年くらいから新しい世代と入れ替わりつつあって、若いターンテーブリストが出てきました。僕もその時期があるから分かるのですが、勝ち出したりして楽しいし、伸びている時期。だから、新しい人たちを見ていると、忘れかけていた感覚を思い出しますね」 

 ーでは最後に、世界大会への思いを。

「世界大会に出るのは2回目ですが、前回は初海外でしたし、すべてにビビりました。気候も寒暖差が激しくて、一瞬で風邪引いちゃって。大会自体は正直、想像とは違いました。日本のDMCは、きちんとPAさんが転換をやってくれますけど、ワールドにはそういう人があまりいないんですよね。お客さんの雰囲気も違いました。正直、日本の方がイベントとしてきちんとしていると感じましたね」

 ーそんな日本の舞台で場慣れしていれば、きっとワールドは大丈夫でしょうね。 

「もう、ビビらないと思います。今回はバトル部門なので、8年間やってきたネタを生かすことができますし、いろいろ試したいですね。とにかくすべてを楽しんできたいと思います」

 photography : 下城英悟 / Eigo Shimojo