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はじめての親子留学を終えて(上)

2016.09.18 17:41

2015年8月

私は悩んでいた。

私の1人娘は、昔からとても慎重派だった。

決して悪いことではない。

しかし「石橋を叩いて叩いて叩きまくったあげく渡らない」という極度の消極的な性格だった。


大人になるにつれてきっと性格は変わる。

そう信じていたし、まわりも大丈夫よーと言ってくれていた。

しかし毎年あるクラス替えが苦痛で、新しい友達ともなかなか馴染めず、更には新しくチャレンジすることに対しての意欲が0%だった。


私の性格と正反対すぎて理解できないところも多々あった。


このまま見守るだけでいいのだろうか。


そんな時、ふと2人で海外に行ってみたらどうなるだろう、と突拍子もない考えが浮かんだ。

娘は6歳の時はじめて海外に行っている。

それ以来毎年必ず海外に行こうと決めているのは、日本という安全で平和な狭い国だけを見て育って欲しくないという私の信念からである。


幸いパスポートもまだ期限があるし、とりあえず調べてみようというところから始まり、母子だけで行ける海外をリサーチした。


「親子留学」

その中でその文字を見つけた時、これしかない!私のレーダーは反応した。

私も英語ができないし勉強したいと思っていたし、娘にもホテルに泊まるのではなく現地での生活を知ってほしいと思っていたから。


しかしこればかりは娘の意思を無視しては行けない。

「ねぇ、来年の夏休み、ママと2人で海外に行ってみない?海外の小学校に行くことになるんだけど。」

娘はこう言った。

「うん、ママと一緒なら行ってみたい。」


早速、親子留学ができる国を探すといくつかあったが先進国はやはり費用が高額。

夏休みを利用していく1ヶ月で100万を超える金額だった。

もう少し安くないかな…

そして見つけたのが「フィジー留学」

親子で3週間27万円(渡航費は別)!!

先進国の半分以下の金額に目がくらんで即申し込みをした。


ホームステイで女の子のいる家庭


それを条件に探してもらい、あれよあれよという間に2016年7月22日を迎えた。

いよいよ成田空港からフィジーに向かう。

オーストラリアのゴールドコースト乗り継ぎで計16時間の長旅。

はじめてのロングフライト。

娘は大丈夫だろうか。

ゴールドコースト空港での4時間のトランジットは本当に辛く眠たくて2人ではじめてロビーの椅子の上で寝た。



ゴールドコーストからフィジーの機内では、日本で買ったアリスインワンダーランドを読みふける娘。



22日の夜に出発して到着したのは23日の15時。

時差は日本より3時間早い。

エージェントの送迎でついたお家はインドのお家。

フィジーとインドは語ると長い確執を含めた歴史があることは、事前調べで勉強していたけど、日本がいかに住みやすく平和かをよく知ることができる。

11歳、9歳、3歳の姉妹のいるお家に3週間お世話になることになった。

リヤ、シヤ、アイシャの3人。


着いたその日はプジャの日。

インドでは大切にされているプジャという習慣はお肉を食べないらしい。野菜オンリー。

そのプジャの儀式が親戚の家で夜にあるためホストファミリーは出かけるが「あなたたちも来る?」と聞かれ、ほとんど眠れなかったフライトで疲れていたものの、こんな機会は滅多にない!と思い参加。

だれかんちの庭でお経のようなものを唱えたり

歌ったりお祈りしたりした。

私はただずっと見ていただけ。


そしていざ、ご飯タイム。

わかっていたけど、

やっぱり手づかみなんだね。

生まれてはじめて、洗わないその手で食べるご飯。お腹壊すかも…と不安でしかなかった。



初日からカルチャーショックを受けつつ

更にびっくりしたのはシャワーが水。

フィジーは常夏というイメージが強いけど、私が行った7〜8月は一応冬で、昼間は27度くらいで暑いけど夜は20度をきるくらいでかなり寒い。


実のところ、フィジーの生活で一番辛かったのがこの水シャワーなのだ。

割と能天気な私でもこの水シャワーには

「あと3週間やっていける自信がない…」と凹んだ。




翌日の日曜日

元気に走り回る子供達

娘は英語が喋れないため会話でのコミュニケーションはない。

しかし、子供というのは不思議なもので

言葉なんかなくてもちゃんと伝えられるものがある。

言葉がわからないからこそ、相手を思いやる気持ちが芽生えているように感じた。



その日は年に一度の大きなお祭りの日で

家族総出でそのお祭りに行った。

しかし日本とは比べてはならない。

観覧車は、ただのパイプを組み立てただけのチープな作りで、しかも高速回転。


コットンキャンディは色が付いていて甘すぎる。

この大きさで激安の150円。

しかも日本なら保健所の許可が下りないであろう。



遊具もチープで戦前戦後を思い出させるような作り。

それでも、娘は楽しかったと言っていたし

これぞ、娘に知ってほしかったことの一つでもあった。日本だけが全てではないんだということ。




翌月曜日からは、いよいよ学校が始まる。

娘は現地のプライマリースクール。

私はエージェントのEnglish school。


英語が話せない娘、果たしてフィジーの小学校で過ごしていけるだろうか。

朝、三女のアイシャがお見送りをしてくれた。

娘の制服は娘が大好きな紫色。


バスを降りてひとりで小学校へ入って行く娘を見て、少し不安ながらもきっとなんとかなる、そう信じて送り出した。


私の学校は海の目の前。

こんなに美しい海を見たのは久しぶりだ。

新しい生活、新しい学校、はじめての環境。

初日の水シャワーで凹んだことなんか忘れ

心が躍るのを感じた。

37歳にしてこんな経験、なかなかできないぞ!と思いながら、クラスのみんなのいるラウンジに入っていった。


(つづく)