初期の軍歌の手本となった物に,ドイツで1854年に作られた「ラインの護り」がある。この曲は,ドイツの人々に一体感を与えた名曲。この曲は明治初期に日本にも伝えられ,1889年(明治22年)に東京音楽学校発行の「中等唱歌集」に替え歌「火砲の雷(ほづつのらい)」として収録された。辻田の本に楽譜が収録されているが,嬉しいことに4部合唱曲である。早々に口ずさんでみると,なんと,これは同志社大学のカレッジソングである。同志社グリークラブが演奏会の幕開けに歌うのを聞いて,いつも勇壮でかっこいいなあと思っていたのだけど,ルーツをたどれば軍歌だったわけだ。 同志社大学のホームページを見ると,エール大学の学歌「Bright College Years」と同じで親しみがあったのでこれになったのでは・・というようなことが書いてある。宣教師の方々にとってはそうだったのだろうけど,学生達にとっては「火砲の雷」で親しみがあったのではないだろうか。カレッジソングの制定は1908年(明治41年)だそうなので,日本に知られてからも20年以上たっているのだから。