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日本男声合唱史研究室

奥中康人「和洋折衷音楽史」

2014.11.11 15:00

  2014-11-12

 幕末から明治にかけて西洋音楽が流入したことで日本文化がどう変化したかを扱う本だが,エッセイ形式で豊富なエピソードとくだけた注が面白く,楽しく読める。

 勉強になったのは,今まで伊澤修二を始めとする明治の「音楽官僚」は,日本古来の音楽を否定し,西洋音楽の導入にのみ熱心だったと理解していたが,全く違っていた点。むしろ,日本音楽と西洋音楽の「折衷」を目指していたのだ。明治初期には,「むすんでひらいて」を和楽器で伴奏して子供達に歌わせたり,和楽器で「アポロ讃歌」やバッハのガボットを演奏したり,今ではないような試みがなされていたのだ。

 しかし,折衷の試みはうまくいかなかった。楽譜をツールに使い全国どこでも同じ演奏ができる西洋音楽に対し,日本古来の音楽は口伝を元とするためバリエーションが生まれやすいしくみ。統一はなかなか難しかった。結局,誰でもどこでも同じように演奏できる西洋音楽が主流となった。

 また,幕末には各藩が西洋式の軍楽隊をつくり,スネアドラムを導入して和楽器の合奏で兵士(お侍さんだろうか)に行進などの訓練を行ったという話も面白い。楽譜も何種類か出ていて,5つのマルス(マーチ)が特に多く演奏されたとか。日本人が作曲した可能性がある「ヤッパンマルス(日本行進曲)」なるマーチまであるとか。意外なほど迅速に,西洋音楽を活用していたのである。

 個人的に面白いのは,唱歌「ふるさと」が英国の国歌「God Saves the Queen」を模倣したのではないかという話。なるほど,冒頭部はよく似ている。しかし,たとえそうだとしても面白いのは,奥中が言うように,「ふるさと」を聞いたときに我々が日本の風景を思い浮かべる点。まちがってもウエストミンスター寺院は思い浮かべない。つまり,明治以来の音楽教育によって,西洋のメロディーを聞いたら日本の景観を思い浮かべるように,我々の意識が変化したのだ。唱歌の中では,「蛍の光」や「埴生の宿」も原曲は海外の歌だし,「仰げば尊し」も元はアメリカの歌である。我々が漠然と思っているように,「日本的」なるものの歴史は古くないのだ。