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日本男声合唱史研究室

輪島祐介「創られた『日本の心』神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」

2014.11.28 15:00

  2014-11-29

 「演歌は昔から歌われてきた日本の歌で,古き良き日本を表現する」とは,私が漠然ととらえていたことだけど,根本的に間違っていることをこの本に教えられた。4部14章のうち,3部が演歌の成立過程を歴史的にたどり,第4部はその考察。私には,第4部が圧巻のおもしろさだった。

 そもそも,演歌とは明治時代に自由民権運動などの演説会が弾圧されたとき,主義主張を歌うことにより「演説会ではなく,歌である」と言い逃れたことが起源。「演歌」とは,「演」説会の「歌」だった。当然,政治運動が下火になるにつれ,廃れていった。「復活」するのは昭和40年頃。 戦後からその頃まで,歌謡曲というジャンルはあっても,演歌とは言わなかった。「演歌の女王」と思われる美空ひばりにしても,当人は歌謡曲の歌い手としての認識で,自分が演歌歌手だとは思ってもいなかった(そんな言葉もないわけだし)。「真っ赤な太陽」でミニスカートをはいて歌っていたのも,今の我々が映像で見ると違和感があるけれど,当人としては歌謡曲歌手としてその時のスタイルを取り入れていたに過ぎなかった。

 輪島によれば,「演歌を発明」したのは五木寛之。小説「艶歌」をきっかけとし,藤圭子などタレントに恵まれたこととレコード会社の戦略もあり,ジャンルが確立していった。初期は「酒場」「男と女(ホステス)」など,「健全な市民生活」から排除された人々が主題だったため,反体制・反市民的立場から,そのような人々こそ経済成長に毒されない「真に下層なプロレタリアート」「真の日本人」と見なされた。つまり,昭和30年代までの「進歩的」な思想の枠組みでは否定され克服されるべき「アウトロー」「貧しさ」「不幸」にこそ,日本の庶民的・民衆的な真正性があるという反体制的思想が,ある種の音楽に「アウトロー」などとの関連性を見いだし,「抑圧された日本の庶民の怨念」と意味づけたことにより,演歌は日本の心となり得た。

 これは本当に卓見で,輪島が指摘するように演歌の成立が昭和40年代だとすれば,そんな新しい物が,あたかも古くから存在していたかのように「錯覚」させられている理由がはっきりする。輪島は,更に踏み込んだ分析をする。演歌はその後。小柳ルミ子の「私の城下町」「瀬戸の花嫁」のように「明るさ」「健全さ」を持つ曲も現れるのだが,すると「演歌の韓国ルーツ説」が現れる。成立の歴史からあり得ない話なのだが,これは「『演歌は日本の心』と言った物言いが『体制側』にとりこまれたことに対する対抗言説」であり「新左翼運動の争点が『階級』や『疎外』から,アジアにおける『日帝』の加害者性の糾弾」へと移行していったこととの関係を指摘する。

 歴史的な経緯から,時代背景を踏まえた分析など,教えられることが多い本だった。昭和40年代半ば以降は,私も歌謡曲なるものを聴き始め,この本で取り上げられている歌・歌手・時代背景もほぼ承知しているのだけれど,このような考察には全く至らず表層的な受け止め方しかしていなかった。著者は1974年生まれと若いのにたいした物。「日本の軍歌」をまとめた辻田さんもまだ30才だし,馬齢を重ねるだけではいかんなぁ,と反省。