短気は損気
どうもどうも
「ザ・ライフ・コーチャー えるびす」こと、みうらまさるです。
短気は損気。
よく言いますね。
なんで損か?
大切なものを失う確率が
高くなるからです。
瞬間湯沸かし器のように
ちょっとしたことで怒る。
するとね、
周りがついていけないんですよ。
だってそんなすぐ怒る人
どうしろって言うんですか?
ついていけないんですよ。
だから
腫れ物に触るような
扱いしかされなくなり
最後には
誰も相手にしてくれなくなるんです。
寂しいですねぇ。
でもなんですぐ怒るんでしょう?
それは「思い込み」によるものです。
こいつ分かってないなぁとか
分かってくれてないとか
でもこれって
考えようによってはとても
上から目線で傲慢です。
自分の考えていることを
他人が理解してあたりまえだ!
なんでそれくらいのこと
分からないんだ?
って考えてるってことです。
いえいえ、私の場合は
どうせ自分のことこう思ってるんでしょ?
所詮こんな奴って思われてるんだって考えるから
腹が立つんです。
でもそれも同じく傲慢です。
他人に理解を強要しているのと同じです。
イジけてスネて
気付いてもらおうとしているのです。
そんなんじゃ誰も分かってくれません。
ではどうするか?
高らかに宣言するのです。
私はこういう人間です。
こんな風にされるととても嫌です。
こんな風にされると悲しい気持ちになります。
ってね。
元々は寂しかったんでしょ?
悲しい気持ちになるのが嫌だったんでしょ?
それを自分自身が感じてしまうのが嫌だったんでしょ?
だから怒っちゃったんでしょ?
それを素直に受け止めましょう。
それを素直に表現しましょう。
それで離れる人は
どうやったって離れていきます。
それでもいいよって人が
残ってくれます。
怒ったら
誰も本当のあなたが分からなくなります。
あ、短気でもいいんですよ(^^)
それでも困っていないなら。
短気であるおかげで
体験できていることも何かしらあるはずです。
それを体験する必要があったから
短気だったとも言えるのです。
でも、その短気のおかげで
いま実は寂しい思いしてるんだよねとか
本当は直したいんだよねと思ってるなら
まずは
「短気である自分」をしっかり受け止めて
認めてください。
そして
そんな自分でもすでに素晴らしいし
そんな自分でもすでに価値があるし
そんな自分でもすでに愛されている
ってことを認めてください。
受け入れてください。
それを受け入れることを
自分でゆるすことができれば
宣言もできるし
短気な反応をしない
自分になることができます。
「短気な自分」をあなた自身が嫌っているから
いつまでもくっついて離れないのです。
「短気な自分がいてもいいよね」
そこからです。
「どんな自分がいても
まるっと愛してね。」
これが一生かけて取り組むべき
自分から自分に対する
メッセージなのかも
知れませんね(^^)
ではでは。
わー、あと数ヶ月でまた会うね(笑)