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色と香りと音で遊ぶオーラソーマ福岡*ヨフィエル*

9→10へ

2016.09.19 17:20

「祈り」

祈りってなんだろう、祈ることってどういうことかな〜って最近考えてた。


祈ると願うは違う。

そこにエゴがない、自我が乗ってないものが祈りとわたしは思う。


だからエゴまみれのわたしが世界の平和を願うとか祈るとか、どうなんって思ってた。


でも、日曜の朝少し腑に落ちた。


宮沢賢治の「農民藝術概論」の一節


『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』


という一文がずっと頭にあって、世界が幸せにならないと個人の幸せはないのなら、


自分が幸せになるために、世界の幸せを祈ってもいいんじゃないかって。


資格があるなしではなく、エゴ丸出しでもいいやん、とりあえず、祈れるときは祈っていいんじゃないかと。


そう思って、いつもブログを拝見している右京さんのプロジェクトに参加しました。




たまたま福岡で、富士神道の御神体がやってきて、1合目から頂上までのお砂を踏むと富士山の頂上に登り、御神体から御神力をいただけるという、扶桑教という神道の御巡幸に参加させていただいたのです。


この記事を見た時、一生登るつもりもない、富士山に福岡にいながら登れるという、なんとも邪な気持ちで参加したいと思った反面、宗教に勧誘されたり、何かを勧められたりしたら嫌だな〜とも感じ、また、わたしが世界の平和などのために祈るって…という引っかかりも感じていました。 


そして、その日直前まで、歯医者を予約していて、時間的に間に合うかも心配したのです。


でも、なんか大丈夫な気もどこかでしていて、本当に大丈夫でした。


右京さんのプロジェクトで祈っている人たちのことをミラクルズと言われていて、なんかその親衛隊みたいな括りに入る抵抗とか、初めての場所に1人参加することの不安さとかもあったのだけど、会場に行ってみると、初参加の人も多くて、そして、何人か顔見知りの方もいらして、ホッとしました。


でも、白い服装で参加というのも知らなくて、ゴールドカラーのカーディガン着て行っちゃった。


参加して、なぜわたしがここに来たのか分かったのは、


扶桑教の開祖の方が戦国時代に、富士山の道を開きながら頂上に登った方で、

その方のお名前が

「藤原角行」さんという方で、


うちの母方の苗字が「藤原」なのです。


なので、この母方のご先祖様に呼ばれたんだな〜と思ったのです。


そして、こんな大事な行事に、全くの無知な人たちを大勢受け入れてくれたこの方たちの懐の広さとか、大らかさとかを感じて、すごくありがたく思いました。


それは、右京さんのお陰で、右京さんからのお知らせがなければ一生知ることのない世界だったと思います。


富士山や世界の平和を祈り続けている方たちがいること、そんな方が世の中にはたくさんいて、そんな方たちの祈りの強さのお陰で、大難が小難に、小難が無難になったりしてるんだなーとしみじみ思いました。


御神事のあいだ、わたしは全くの無心で、エゴはどこにもありませんでした。


1合目からのお砂を踏むときに、


あ、これは、人生とかパターンとか表れるなと思いました。


3.4合目とか、7合目とかで、フラついたりして、何かを成し遂げる時のこの合目で、揺れたり滞ったりするのかなということに気付きました。


そして、御神体の入った箱(御神賽みかんざね)を頭に乗せてもらったとき、頭頂のクラウンチャクラから、背骨に沿って、ピリピリしたエネルギーを感じました。


これで、身体に神様の力が入ったから、神様ならどう行動するかを考えて、その力を自分のためでなく、周りに使ってください、神の道を歩んでくださいと言われて身が引き締まる思いでした。

その後、右京さんのお話を聞いたのだけど、すごくいろんな経験されて今があること、伝えたいたくさんのことを人に伝える表現力の豊かな方だな〜と思いました。


そして、力説されていたのは、「周りは鏡」ということ。

嫌いな人が今いるのは、その人の嫌いなところが自分にもあるからだと。

それならそんな嫌いな自分もそのまま許す、相手も許す、そうしないのありのままの自分を愛せない、愛したいのに。だから、なんで嫌いなのかどこが嫌いなのかを探求して、それが自分にあることを認めてくださいと力説されていました。


わたしもひとつひとつ、認めて行こう。


そんな御神事に久々にご一緒して、最後お茶までしてお話もたくさんできたのが、前、NPO団体で一緒に行動してた櫻和葉さん。


今は、会社員もしながら、アーティスト活動もされていて、


自分の未来像を見せてもらった気がします。


そして、強力にある方に繋いでくださって、これは必要な出来事だな〜と感じました。


そして、今、999のポータルで、変化で苦しい思いをしてる人がたくさんいるのを知っていたんだけど、


わたしは精神的にはそれほど感じてなくて、むしろ身体に出てるんだけど、


それはなんでかな〜と思ってたら、


御神事の始まる前に、人数を数えたのですが、わたしは、


10番目だったのです。


なんか今なら、9がいいなーとその時の思ったのだけど、


9から10のステージにもうすでに移行してるんだと思ったのです。


その世界をこの御神事で見せられた気がします。


泣いたり苦しんだりたちどまったりもしてるけど、何かしら前にすすんでる。


きっと大丈夫って思いました。



さて、宮沢賢治の一文を調べたときに、その後の文章がまたスゴイと思ったので、シェアします。


『自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 

求道すでに道である』


賢治さん、スゴイな。


銀河系を自らの中に意識ということは、神の道を歩んでくださいと言われたことと繋がる。


13の月の暦では2番目の月が終わり、3番目の月になりました。

 

そして、右京さんが言ってたけど、麻研究家の中山さんや、奇跡のリンゴの木村さんは、2016年9/19で地球の暦は終わり、その後がなかったビジョンを見ていたそう。


心新たに、また今日から生き直して行きたいな。