ロシア帝国の道11-スウェーデンに勝利
2021.01.21 11:14
1707年9月2日、ついにスウェーデン軍42000人が、ザクセンを出発した。彼らはヴィスワ川が凍結するのを1月10日まで待ってしまう。そして翌08年2月8日にフロドナを無血占領。スウェーデン軍は冬将軍に悩まされ、6月までミンスク周辺で待機。この間風土病が兵を襲った。
7月14日、ホロウチンの戦いでスウェーデンは勝利するも、ピョートルは焦土作戦を展開。軍は進むにつれ補給が困難となった。そのためスウェーデン軍は南へ展開し、ウクライナコザック首長イヴァン・マゼーパと協議しようとするが、ピョートルは先手を取り、マゼーパを追い出してしまった。
10月9日、レーヴェンハウプト率いる補給部隊が、ロシア軍に急襲され、食料も兵器も全部奪われてしまう。スウェーデンはさらに7千人のお荷物をかかえることになった。そして2度目の冬は大寒波に見舞われる。翌09年春に進軍を開始したとき、なんとスウェーデン軍は3分の1となっていた。
ピョートルは補給拠点であるポルタヴァで4万2千の兵力で待ち受けた。さらに10個の堡塁を設け、大砲を備えるなど万全の構え。スウェーデン軍は1万6千しかなく、突撃は大砲を浴び、数千人の死者を出して敗北し、カール12世はオスマンに逃れ、「まだまだ終わらんよ」と言った。
下は映画ザ・コンクウェストよりポルタヴァの戦い