東洋式疑似餌釣研究所

釣の哀しみ

2021.01.21 21:09

釣は、楽しく愉快なものか。

痛快でときめくものか。


いいや、私はそうではないと思っている。


どちらかと言えばその逆だ、釣というものは、どこか虚しく、そして哀しいものだ。 


この釣という自縛に心を奪われてから40年、私の気持ちはそこにいる。


あの川も、あの池も、あの空も風も、そこにあった仲間の笑い声も、もう何処にも見当たらない。


釣をした事で、確かに何かを得た、それが何かはわからない。


そして何かを失った。


それは代償を支払ったのではなく、手放すべきものを手放し、得るべきものを手に入れたげなのだろう。

その哀しみ故に。


時折、魚が答えてくれたとき、一瞬だけ私の孤独という暗闇の部屋に、光が差し込む。


それに何度も救われながらも、また幾千も哀しみの淵に突き落とされ続ける。


何かを掴みたい。


明日、釣るための理由を掴みたい。


そんな事は無いと言うのは、貴方の釣。

その通りだと言うのも、貴方の釣。


この哀しみの向こう側には、何が有るのだろう。