どこまで求められているのか。
コンビニでちょっと贅沢なアイス買った時、店員さんがレジで商品を放って渡してきた時があって、めっちゃイラついたけど何も言わず、コンビニの店員さんに対してどんな対応を求めていたのかってことを考えたことがあってね。
まぁ商品は、投げちゃダメなんだけどさ。当たり前だけど。でもまぁ考えるきっかけにはなった。
僕は学生時代、前職にアルバイトでお世話になる前、某牛丼チェーンでバイトしてた。
そこでは時給920円を稼ぐ大変さを学んだし、彼曰く『ホスピタリティ』ってヤツをDVDやらなんやらですりこまれた。だから当時280円の牛丼一杯を求めてきたお客様に対して、それなりの対応じゃなく、それ以上の対応をすることを会社からも求められた。
その店舗の立地柄、客層ははっきり言ってあまり褒められたものではなかった。学ランでたむろする連中に「灰皿!」と言われて「未成年にはお出し出来ません」って丁寧にお断りしたらアンケートに『山本っていう店員が最悪、死ね』とか書かれるし、ニッカポッカ履いた屈強な男たちがたむろしてはビールをのみ、近くの三河屋で買ってきたおつとめ品の唐揚げを広げて宴会始めるし、シメで頼まれた牛丼の盛り付けに対して酔った勢いで絡まれて「表出ろコルァ!!!」と凄まれたので、バイトリーダーに「すみません、外出てきます」って言ったら「山もっちゃんダメだよダメダメ耐えて!」って言われたり。そんな店でも、スマイルいっぱいで牛丼を盛り、スーって滑りながらお客様に提供していましたよ。なんの話だよ。
何が言いたいかと言うと当時の値段で並盛280円の牛丼にさえ、その商品以上の期待値をもってくる人たちがどれだけ多いかということ。いくらだったらどんなサービスがあるのかを階層ごとに想像も体験もしたことがなければ、こういう事態は起こりうるのだと。
逆に言うと、商品値段以上の対応があったからこそ、広く商売が出来ているとも考えれらる。
1000円の服でも生地クオリティや縫製の良さを求める人はいるだろうし、暴言をぶつけたくなるくらい商品をディスる人もいるだろう。でも、その裏で、その価格帯に納得出来なくてもその商品が世の中のためになると信じて作っている人たちもいるという想像力が働くと、もう少しマイルドにならんかなと思った。っていう側面が一つ。
だからね、例えば見積もりとかに対して反射的に「高っ!」って言うのとか、少しだけ飲み込んで交渉の方法を考えてしゃべることができると、仕入れ先さんたちもどうしたら納得してもらえるかを前向きに考えるようになるかもしれんよね。
あともう一個考えたのは、ただ、どちらにせよ、その金額で折り合いがつけられる対応や商品と、相手方の受け取り方は同じではないので、買う側は安いからこんなもんだろって思わないのだから、売る側だって安いからこんなもんでいいやって感じでやっつけてたらずっと商売の質は上がらないんじゃないかって強く思ったこと。
商品が高ければそれなりのサービスも求められるし、モノが良いのであればなおさら対応面に対する期待値も上がる。牛丼屋で文句言い散らかすんだから、回らない寿司屋に行って対応が悪かったら余計に腹を立てるでしょう。
「ウチの生地はエエもんやから」と胸を張って商品自慢するだけじゃなくて、お客様に対する敬意も薄れないようにしていきたいものだなと。
さっきのよs某牛丼チェーンの考え方からすると、商品価値以上の対応をすることでお客様の満足度は上がってって当たり前なんだろうけど、なんか産地と向き合ってると相変わらず『商品が良いから売れるはず論』がなかなか根強くてね。手強いですわ。もう令和なのにね。