ぼくが、ダウトをする理由。
どこかの区のギガスクール構想のお話を受けた。
来年からとなると急ピッチで、準備していくことが必要なのだろう。
その準備というのは、担任が手はずを理解することだと言っているような感じだった。
登録の仕方、使用方法、宿題の管理の仕方。
一問一答という欄には、
充電はどこでするのか?
持ち帰りするのか?
そんなことが書かれていた。
つまり、担任は手順と区
(どこかの区である、それを明かさないのはブログのマナー。ロックかもしれないし、四苦八苦かもしれない)
のルールを理解すればよいという話なのだ。
よいとか悪いとか、?とか、疑問を挟み込む余地はなさそうだ。
?について、少し書くと、講義形式のシミュレーションを受けた。
画面の向こうには、講師がいる、四角形の面積計算の導入あたり。
講師は言う。
「テキストに課題を書きましょう」
「かけたかな?画面を止めて書いてみよう」
「何✖️何って答えが聞こえるね」
「こういうやり方もあるって聞こえるね」
当たり前だが、そこに子供はいない。
子どもの思考をシミュレーションしてるようでもあるが、
正解に最短距離で向かわせるためのペテンの声に聞こえた。
これが、よしとされるなら、ぼくらの仕事はなくなる笑
さて、この講義は明らかに勉強のための勉強で、そこに効率以外のものはなさそうだ。
メリットがあるのは、何度も戻れるというところ。
この講義形式だけではない。
ドリルのような取り組みも配られる端末で取り組むことができる。
教師は、その宿題の学習状況(やったかやっていないか)把握できる仕組みになっている。
講義形式、家庭学習の把握、こういう手法をギガスクール構想に取り込むことで、
このシステムを考えた人は、
勉強を理解するためのレールを敷いているように感じているのかもしれないが、
これは、どう考えても勉強嫌いをこの上なく増やすためのレールである。
勉強のための勉強には、なんの魅力もないだろう。
なぜ勉強するのか、何が面白いのか、そういったことを考える余地がここにはない。
仲間との楽しい記憶も生まれなければ、自分の夢中に出会うこともなさそうだ。
そして、遊びと勉強が、またかけ離れる。
とある区のとあるシミュレーションなので、これだけではないかもしれないが
第一印象はこんな感じ。
楽しく勉強することは大事なのだと思う。
初任の頃からそう思い、学習ゲームの本を買い集めた。
人がやっている楽しいことを知れば、翌日には、無理にでも入れ込んだ笑
今もそうしたいと思うようにしている。
忘るべからずの初心である。
ここの表題に書いたダウトとは、
モンセラット・サルトさんの「読書で遊ぼうアニマシオン 本が大好きになる25のゲーム」にある、作戦名「読みちがえた、読み聞かせ」である。
本日の国語で、久々にやったのだ。
アニマシオンを混ぜ込んだ、国語や他教科の授業を見せたとき
〔授業観察、研究授業、四年次研修(このときはびっくりした!
アニマシオンで展開した研究授業の指導講評が掲示物を4点どめにしてください!という指導で終わったからだ!
多分死ぬまで忘れない。〕
なぜ、ダウトをするのか?
ダウトをするねらいは何か?
楽しければいいのか?
という、話になる。
あれこれと、言葉を並べるが、協議会での話が噛み合わない。
さて、なぜダウトをするのか?
この理由が、今日はっきりと分かった。
昨日の授業が、面白くなかったからである。
正しいことを教える(授業のやり方が悪いと言われればそれまでだが笑)説明文に息が詰まったのだ。
だから、今日久々に、ダウトをやった。
理由は、十分である。
最初の10分を大いに盛り上げる。
アイスブレイクである。
長い間やっているが、しらけたことは多分ない。
収集がつかなくなったことは何度かある笑
書いていて思い出したが、今年度の6月は大変だった。
収集がつかず笑
通りかかった管理職は、心配したと思う笑
それが、集団で楽しめるようになったのだ。
ダウトも色々なやり方があると思うが、
ぼくは、
1、ダウトの数を考えさせる
教科書は閉じた状態。
うそつきの範読が始まる。
ダウトの箇所は、二か三個。
範囲は低学年の教科書でいうと1ページくらい。
範読のあと、教科書を確認させ、ダウト箇所を考えさせる。その数を聞く。
今日は、2個に23人、3個に5人、一兆に一人挙手した。
一兆と言った子の意見については、ふざけてないか確認した。
ふざけてないと言ったので、
そうか笑、とうなずき板書。
2、どこが間違いか一つずつ聞く
みんなで楽しめるからいい。→みんなで楽しめるからいいのですね。
一人で楽しむ→みんなで楽しむ。
きまり→ルール
場合によっては、どう感じるかとかも尋ねる。
3、また、うそつきの範読、今度はみんな教科書を開いて確認。
そう。
お気づきかも知れないが、10分では足りない笑