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男の書道『侍魂』【明智光秀編】〈2021/1/16〉

2021.01.24 03:00

女性書家二名で開催する『侍魂(武将文字)』の書道講座が始動しました!


第1回目は、「明智光秀」。

勇武な文字を書いた後は、日本史談議。

これがまた、楽しいのです🎶


テーマの武将について、自ら取材に出向いて編集した資料も、毎回お渡しします。


艶のある濃墨で豪快に筆を動かすと、ストレスも吹き飛んで、スッキリしますよ!


そして、歴史は、浪漫。想いは、時空をこえて…


書道オタクからの日本史オタクになりそうです😊

ご一緒にいかがですか?

超濃墨を使い、雄勁な筆運びで力強い書を!

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の題字に挑戦!

書道は、小学校以来とおっしゃっておられましたが、流暢な筆運び😊書道歴は、全く気にしなくて大丈夫です😉

この度の講座は、基本はしっかり…でも、気持ちよく書くことに重きをおいております✨

翠華と文香の二人の女流書家が、ご指導。

カジュアルですが、和装でのお出迎えを心がけています。

お稽古の後は、ビール🍺やハイボールで乾杯🍻

ここから更に、日本史談議に花が咲きました😝

今回の講座は、飲み物(アルコール含む🍻)が受講料に含まれてます。

明智光秀の家紋「水色桔梗」。

マスクもネイルも水色桔梗でコーディネートしてみました。


〜取材旅行より〜

光秀大博覧会を開催中の、西教寺へ。

元亀二年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちでは、坂本の町家、日吉山王二十一社、山上の延暦寺堂塔一宇も残さず焼き払われ、僧侶や町人も老若男女区別なく約三千人が殺戮され、西教寺もすべて焼き尽くされました。

坂本城の城主となった明智光秀は西教寺の不断念仏の鉦の音を聞き自分の心のわだかまりをなくそうと、何かあるごとに参詣していたそうです。

本堂の前には、明智光秀とその一族の墓や光秀の妻煕子の墓がひっそりと佇んでいました。


江戸時代初期、幕政に大きな影響力を持っていた僧・天海と、戦国武将の明智光秀 は同一人物であるとする説がありますが、なんとなく私は この説を支持しています。

焼土と化した比叡山の復興に尽力し、光秀の居城があった坂本に「滋賀院門跡」を再建するなど光秀と天海の不思議な共通点は無視できません。

比叡山延暦寺を焼き討ちした織田信長は、明智光秀に坂本城を築かせ、この地を支配しました。これにより信長は、琵琶湖の制海権と陸上交通の掌握を目指したのです。

宣教師、ルイス・フロイスの記録に「安土城に次ぐ豪華壮麗な城」とあります。

大小2つの天守をもつ巨大な城だった坂本城。遺構の大半は既に破壊されていますが、渇水期に水位が下がると湖面から石垣が現れる幻の城となっています。

その構造や規模についてはいまだ不明な点が多いらしく…設計図を探しあて、再建していただけないものかと、切望してしまいます。


今回の取材旅行の宿泊は、びわ湖畔に佇む【千松】さん。丹後より直送の新鮮な魚介類がウリで、〝元祖 舟盛り料理”で定評のある料理旅館です。

お料理も、豪勢で美味しいのは勿論のこと、旅館の方々の接客も素晴らしかったです。

私たちの旅行の目的をお話ししたら、地図を出して、琵琶湖周辺の、武将にまつわる注目すべきスポットを細かに教えてくださいました!

「ポルトガルに、フロイドが持ち帰ったであろう水城の設計図を探しに行ってきてください」なんてお話にも花が咲きました!夢は、広がります(笑)

京都にて、取材した本能寺跡。

本能寺の「能」の字は右側の2つの「ヒ」が「去」のような字に替えられています。

これは本能寺が度重なって焼き討ちに遭っているため、「『ヒ』(火)が『去』る」という意味で字形を変えているといわれています。

「本能寺の変」で類失後、寺院は天正15年(1587)に現在の中京区寺町通御池下ル下本能寺前町に移築されています。

次回の『侍魂』(武将文字講座)は、2月20日(土)  18:00~

テーマは、『織田信長』です✨