第2章 その6:「PET」
数日後。やっと、「PET検査」の日が来た。
胸はズッキンズッキン鼓動を打つような激痛で、脇から腕にかけては相変わらずヒリヒリとした痛みが続いていた。もう、最近は、全身が痛いような感覚になっていた。
私はこの日を待ち焦がれていた。この痛みをとにかくどうにかしてほしかったし、治療に結びつくなんらかのことに、早く着手してほしかった。
「PET検査」によって、全身にひそんでいるがん細胞を見つけることができる、とのことだった。つまり、「転移」しているかどうかを調べる検査でもある。
このときに知ったことだけれど、がん細胞というのは、「糖」が好きらしい。
なんと、がん細胞は、普通の細胞よりも、何倍もの「糖」をエネルギーとして成長するのだそうだ。だから、色をつけた「糖」を注射して体内に送り込み、もし、その色が著しく集中してくる箇所があれば、それはがん細胞とみることができる、ということだった。
「画像センター」というところで、ものものしい機械に囲まれて続けざまに検査を受けていると、「私はがん患者」という意識がどんどん強くなってきた。この雰囲気に自分が飲み込まれていくようだった。健常な人たちに比べて自分は、圧倒的な弱者になったような気がした。
(私の体の中を画像で見て、この人たちは私のこと何て思うのだろう。)
(見慣れてなにも感じないのだろうか。)
(「かわいそう」とか、思うのだろうか。)
「かわいそう」と、人から思われたくなかった。
それは強がりでもなんでもなかった。自分という存在が、これまで所属していた場所から外され、特別な扱いになってしまうのかもしれないという疎外感や劣等感だった。
それでも、心の中では、「間違いでした」と誰かが言ってくれるかもしれないという一縷の望みを、捨て切れることができなかった。
だから、尾田平先生にも準備をするよう言われた帽子やウィッグの準備を、まだしていなかった。
いつもなら痛い注射も、あまり痛みを感じなかった。
その夜、姉(麻依)に電話をした。姉は8年前に結婚をして、その夫の転勤のため、現在は広島に住んで仕事をしている。メールのやり取りはわりと頻繁にあるけれど、電話をしたのは久しぶりだった。
彼女は、子どものころからなんでも自分でサッサと決めて、そつなくこなしていく「しっかり者のお姉ちゃん」で、私とは対照的な性格だった。
小学生の頃、私がピアニカを忘れて困った日があれば、休み時間に自分のピアニカを届けにきてくれるのが決まりだった。
とはいえ、性格は違っても、姉妹ならではの笑いのツボが同じで、なんだかんだと仲良くやっている関係だった。
姉は尾田平先生にものすごく興味を示した。
「専門用語の説明もしてくれないなんて、ドSだね、尾田平先生。」と姉は笑いながら言った。
「うん、ドSだよ。初めてだよ、こんな先生。」
「ドSの主治医にあたっちゃったんだ。」
「そう。ブルドッグみたいな顔だし。」
「杏莉の人生最大の強敵だね。」
「触診もしてくれないんだよ。」と私は文句を言った。
「触診しないんだ」と、姉は驚いていた。「でも、触診しなくてもわかるなんて、やっぱりすごい先生なんじゃないかな。」
「うん、怖い人だけど、先生のことは、信じたい気がする。」
姉とそんなことを話して、電話を切ったあと、夜食に温かいうどんを食べた。甘みのあるあたたかいだしが、疲れた体に染み渡った。
うどんも「糖」…。
これからは、食事の制限もあるのだろうか。元々そんなにたくさん食べる方ではないけれど、甘いものやフルーツは大好きだった。
PET検査、どんな結果が出るだろう。