心に懐かしい風景を
子どもの頃に見ていた風景を
思い出せるかしら。
懐かしくて優しくて
いつまでもその景色の中に
そんな風景が自分にあるかしら。
淋しい時にそばにいてくれる
悲しい時に一緒に泣いてくれる
嬉しい時にともに肩を抱き合ってくれる
さらさらと他人が降りていけないような
自分だけの。
そんな心強い風景を
と子どもたちと過ごしていて思う。
保育園で過ごしていた頃、
毎日『ああ楽しい。いつも楽しい。』
と感じていた私。
朝早くからやさしい保育園の先生と
たくさんのお友だちと泥だらけで走り回り、
おいしい給食をもらい、みんなで昼寝して、
おやつを食べ、また遊ぶ。
けんかしたり、仲直りしたり、
歌ったり、踊ったり、怒ったり、笑ったり。
夕方、少し寂しくなった頃に
寂しさを味わった分、
母の腕に飛び込む瞬間は
小さな胸が夕焼け空みたいに
茜色の喜びで満たされた。
空を見ながら、母と手をつないで帰る道は
自分の周りを漂う冷たい空気からも
「よかったね。」
と祝福されているようで、
遊び疲れさえも心地よかった。
どの瞬間を切り取っても
どっしりとした柔らかな包容の中にあった
幼い日。
毎日、まいにち、マイニチ…
規則正しく繰り返される
楽しいいのちのリズム。
そんな日々が小学校でも続くのだ、
と勝手に思っていた。
そして…
小学校にあがって
落ち着きがない、
授業中の私語が目立つ、
丁寧さに欠けると評価され、
苦手な算数がある日は
授業中に計算問題が終わらず、
いつも居残り勉強…。
あれ?あれ?あれ?
『ああ楽しい』
毎日のはずだった小学校生活は、
私をすっかり萎えさせた・・・。
「大好きだよ」
「応援しているよ」
と言ってもらえる時代は短くて、
子どもの世界にも
すぐに点数や評価の波が押し寄せる。
年齢が上がるにつれて、
その波は力を増しスピードを増して、
飲み込んでくる。
私も例外なくその波に飲み込まれ、
あれよあれよという間に大人になっていた。
落ち込んだり、迷ったり、
悩んだり、傷ついたり、
間違ったり…しながら。
だけど、
幼い頃の毎日が
『ああ楽しい』
だった。
大人になっていく私を、
胸の奥の深い深いところで
支えてくれていたのは、
毎日をしっかり楽しめた子ども時代の
「わたし」
それは大人になった今も
自分をやさしく見守ってくれている。
自分の子どもたちはどうかしら。
私は、
そんな原風景を子どもたちに
作ってあげられているかしら。
子ども時代の懐かしい風景の大切さを、
心から理解しているかしら。
時々、襟を正してみてね…
それは幼い頃の「わたし」からの
時を超えた伝言。