「日曜小説」 マンホールの中で 4 第一章 3
「日曜小説」 マンホールの中で 4
第一章 3
日を追うごとに、凶暴性を増したカラスが増えていった。
「ヒッチコックの映画みたいね」
小林のばあさんが日傘をしながら老人会の集会所に入ってきた。
「日傘ですか、優雅ですね」
斎藤がそんな声をかけた。
「まさか、やめてくださいよ。日傘がないとカラスに襲われてしまうんですよ」
「それならば凶暴性を持った猫はどうなるんですか」
「猫はまだ何とかなるんですが」
小林は、そういいながら、やっと腰を掛けた。どうも大きなカバンでよけているようだ。鞄の端が傷がついている。
「最近、なにかあったのですかね」
「本当に怖いですね」
老人会ではそのような話でもちきりであった。
「善之助さんなんかはどうするんですか」
目が見えない善之助は、なんとなく笑うしかなかった。実際には、何もしていないのであるが、しかし、なぜか善之助は襲われてはいなかった。善之助はよくわかっていなかったが、次郎吉が守ってくれているような気がした。
「猫だけではなく、最近では飼い犬も急に吠えてきたり」
小林はそんなことを言い始めた。
「何かが起きているような気がするんですよ」
「何かとは」
「いや、私は本当は何も関係ないのに、東山資金の現場に行ったではないですか。でも、あの東山資金の中に何か呪いが掛かっていたり。解いてはいけない封印があったのではないかと思うんです」
斎藤は、大真面目な声でそんなことを言った。
「呪い・・・・・・ですか」
「はい。何かそれしか考えられないんですよ」
「なるほどね」
呪い、そう聞くと善之助には何となく思い当たるところがあった。そういえば時田が最近姿を見せていない。もちろん、何か起きていることは確かだ。しかし、何もわかっていないのであるから、呪いといわれても仕方がないのである。
そのころ、郊外の農薬工場には、また郷田と正木が来ていた。
「おい、和人、何か変わったことはないか」
郷田と正木は、いったいどこにいるのであろうか。少なくとも自宅には戻っていないようである。交番の横には全国指名手配犯として郷田と正木の顔写真が貼ってあるにもかかわらず、二人は意外と堂々としている。
「はい、特に変わったことはありません」
この場合、変わったことというのは、警察や追手のことを指す。警察がこの農薬工場を嗅ぎつけたとか、巡査が見回りに来たとか、あるいは尾行や張り込みが付いたなどということを言う。う。そのへんは、この郷田の子分たちも心得たもので、基本的には派手な行動はしない。警察はこの農薬工場に不良が集まっていることはわかっていても、それほど大きな事件を起こすわけでもないので、放置している状態であった。
「それならいいが、この農薬のカスをちゃんと片付けておけよ」
「いや、それが」
和人は、ちょっと申し訳なさそうに郷田の方に目を向けた。
「なんだ」
「毎日掃除をしているのですが、どうも最近猫とカラスなんかが騒いでいて、その辺のカスを漁るんです」
「ネコか。そんなら鼠でもくわえさせておけばいいじゃねえか」
正木は、少し笑い交じりに言った。実際に、彼らの本当の敵は警察ではなく「鼠の国」の時田である。その鼠を猫が退治してくれるのであればもっともよい話なのである。逆にこのようなところでゴミが散らかっていて、近所の人に苦情でも出されれば、役所人間が大挙してやってきてまた大騒ぎになる。郷田山崎にしてみればアジトが一つなくなるということを意味しているのである。
「鼠か、正木。そういえば時田はどうしている」
「そうですね、時田はおとなしいですね。郷田さん」
正確に言えば、郷田と正木は主従関係ではない。昔からのしきたりで上下関係が決まっているのであり、戦前の町の役員とその町の中の役員の関係である。その上下関係が戦争が終わって70年以上継続しているだけであり、郷田の暴力団組織の上下関係、いわゆる親分子分の関係ではないのである。それだけに、郷田に対して親分とか兄貴というような言い方をせず、正木だけは郷田さんと呼ぶ。
「ああ、何か不気味な感じがする。まあ、鼠だから日の光の中には出てこないがな。それにしても何かおとなしい。」
「でも、おとなしいということは、ここも感づかれていないということじゃないんですか」
「いや、ここに俺たちがいることを知っていても、時田は通報するような奴じゃねえよ。何かあった時に、ここに俺たちのアジトがあることを使って、何かを仕掛けてくるに違いない。それならば、使われないようにしなければならないし、また、掃除を普段からしておいて、仕掛けてきたのを見破んなきゃなんねえんだ。だから和人たちはしっかり掃除して、サツだけではなく、普段から周りに目を配んなきゃなんねえ。わかるか」
「へい」
郷田は少し周りを見回すと、まだ掃除が完全ではない農薬のカスを目につけた。
「こういうところに、時田は印をつけるんだよ」
郷田自身が近づくと、その辺を足でこすった。そこには、無残に猫に食い破られた鼠の死骸が転がっていた。
「親分、すみません。サツばっかり気になっていたもので」
「まあいい、ちゃんと掃除しておけよ」
「へい」
「それにしても鼠がこんなになるまでとはな」
郷田は死骸を凝視していた。
「郷田さん何か」
「いや、猫に何か仕掛けたんじゃねえだろうな」
「鼠がですか」
「ああ、何かロボットの猫とか、猫が何かで操作されているとか」
「さすがにそれはないと思いますよ。でも、和人、その辺の猫をひっ捕まえて調べてみろ」
和人と、数人の若いものがアジトから出ていった。
「時田は俺たちでは全く考えねえようなことをするからな」
「へい」
「最近、鼠も住みにくくなったよ」
ちょうど郷田が猫を追いかけているころ、次郎吉は鼠の国に来ていた。
売店の売り子をやっているのが時田だ。しかし、周りの人にはそのことは気取られないようにしていた。ここで、鼠の国の住人達と会話をしながら、世の中の事や鼠の国にいる泥棒や殺し屋のことを知るのが、時田の役目である。ここに鼠の国の長がいるとなれば、だれもが警戒してしまうので、なるべく自分のことは隠していた。
時田はこのようにしていても、もともとは東山将軍の一の子分であり、この町の学校の校長の子孫である。もちろん、時田自身は東山将軍などとは会ったことがない。しかし、校長をしていた自分の祖父とは様々な会話をしていた。
その中で、様々なスパイや戦争の話を聞き、そして自分で学んでいたのである。また、この街のことをわかっていたために、鼠の国を作ったのではないか。
犯罪者であるからといって、実はそのことだけで差別するわけでもない。アメリカ軍などと戦争になった時は、犯罪者こそ、もっとも愛国者であった。国の役に立つ人物とは平時と緊急時は全く異なる。緊急時は緊急時の理論で動ける人が最も重要なのだ。そのようなことは祖父から習っていて、その緊急時の人物を時田は集めていたのである。
「そうですか」
次郎吉は、何処からか盗んできた物品の鑑定を時田に依頼していた。もちろん、鑑定は専門の人間が行っていたので、それを待つ間は店主である時田と次郎吉の会話の時間でもある。
「郷田さんのおかげで、警察の目も厳しくなってな」
「そうですね。ところで、鼠が住みにくくなったといえば、最近猫やカラスが凶暴化していないですか」
次郎吉は、先日善之助と話した内容を何気なく話した。
「そうなんだよ。何か気になるよね」
「調べていないんですか」
「調べていたって、こんなところで言うわけないだろ」
「そうなんですね」
さすが時田である。すでに何か調べ始めているようである。
「何かわかったら知らせるよ」
時田はそういうと、鑑定結果に合わせた金を次郎吉に手渡した。
「ありがとうございます」
「水に気を付けろ」
「水ですか」
「ああ」
時田はそういうと、軽く右手を挙げて、さっさと出てゆけというような仕草をした。